Chapter 1-(1) 夏の再会
ギラギラと太陽の日差しが宮葉家にも差し込む。近くの部屋の人のベランダに提げてある風鈴も響き渡る。そして鬱陶しいほど大きなミンミン蝉の鳴き声。
「夏だな……」
その暑さの中、宮葉悠馬はフローリング仕様の床に頬をつけて涼んでいた。同様に結希、羽花も何もせずただ冷たい床に寝そべっている。
「……ねぇお兄ちゃん」
「何だ結希?」
「アイス買ってきて~」
「嫌だよ……外なんか出たら暑いじゃねぇか」
ここ数日、ずっと気温は三十度を超えており、まさに真夏日が続いていた。町を歩いてもほとんどの人が日傘を差すか、タオルを頭からかけるかをしている。店の中はクーラーがしっかりと効いている――そんな季節に移り変わっている。
「拓斗もよくこんな日に友達と遊びに行けるよな~」
「本当本当。羽花なんて暑さに負けて寝てるのにね~」
羽花は気づけば眠りにつき、スーと可愛らしい寝息を立てている。
またしばらく何もしないであると、急にアイスのような冷たいものを体が欲求し始める。悠馬は何度も我慢しようとするが、ついに耐えきれなくなってしまった。
「……アイス買ってくる。何が良い?」
「かき氷~。羽花も多分それ」
「はいよ~」
悠馬はいつも登校に使っている鞄から財布を取り出し、部屋を出て行った。相変わらず、力は入っていない。
☆
スーパーの袋の中にドライアイスに囲まれたかき氷を持ち、悠馬は帰り道を歩いていた。当然、家にいるときよりも日差しは強く、体中から汗が流れ出る。ドライアイスを入れていても溶けてしまうのではないか。それくらいの暑さだった。
色んな事が起きた春から約三ヶ月。あれからもミラアとはいつも通り普通に接し、祥也や治親とも普通に遊んで過ぎた。真菜とも特に進展はなく、ただ学校で出会い、バイト先で出会いお喋りをするくらいだ。
そんな日常を経て、季節は夏。期末考査も終了し、明日は終業式。夏休みという言葉に心踊らされている時期だ。
夏と言えば、花火や海、祭りなど様々な楽しい行事があり、特に無料で見られる娯楽、花火は宮葉家にとっても毎年楽しみにしている。
「……夏だなぁ」
その時、ボーっと道を歩いていると悠馬の目を覚ますためかのように携帯電話が震えた。発信者の名前は――。
「――また珍しい人だな」
そう思いつつも、鳴り続ける着信に応答する。
「もしもし。どうしたのお爺ちゃん」
通話が開始されると、祖父のところからは何度かガタゴトと音が鳴っている。何か作業でもしているのだろうか。
『おお、悠馬か。こうして話すのは久しぶりだな。いや、お前に電話をかけたのはどうにも涼一と電話が繋がらなくてな……。何かあったのかい?』
「いや……あの……」
『ん? やけに蝉の鳴き声が聞こえるの。今外か?』
「うん。ちょっと買い物に出かけていてね……。帰ったらまた連絡するよ」
『そうか? 分かった。ではまた後でな』
そこで通話は途切れた。それと同時に悠馬は顔を真っ青にしていた。祖父と久しぶりに話してある大事なことを忘れていることに気づいたのだ。
ボーっとしていた思考も今は冴え、全速力で家に向かって駆け出した。今はただ家族会議を開くしかないと思いながら。
☆
「ただいま!」
慌てて部屋に入った瞬間、若干涼しく感じるリビングルーム。出かける時には結希と羽花しかいなかったその部屋にはいつの間にかミラアとエンスがいた。
「やぁ。お邪魔してるよ」
軽く手を挙げエンスが挨拶する。悠馬はそれにお辞儀をして、手に持っていたスーパー袋をテーブルの上において結希の元に近づいた。
「なぁ、結希。お爺ちゃんにお父さんが家出したことって言った?」
「……言ってないけど?」
何となく状況を察した結希は若干笑顔が引きつっていた。
帰宅途中、拓斗にも電話をかけて聞いてみたが結希と同じ反応で、誰にも祖父にはそのことを言っていないようだ。羽花ではまず電話に手すら届かない。
「それって意外とまずくない?」
「ああ、意外とまずい」
悠馬たちは年に一度、それも夏に父方の祖父の実家へ帰っている。もちろん、今年もその予定だったのだ。……祖父の中では。
祖父は父親の家出という真実を誰からも知らされていない。無論、携帯電話が繋がらない理由も家出が原因とは思っていないのだ。
「どうかしたのかい?」
その深刻そうな表情を浮かべる悠馬と結希を疑問に思ったエンスが問うた。ミラアと羽花は相変わらず遊んでいる。
「毎年、宮葉家……父を含んだ五人で父方の実家に帰っていたんですけど、父親が家出したことを祖父が知らなくて、もしその話だったらどうしようと……」
「なるほどねぇ……。でも今年なら用事が多くて行けないという理由は通じるのではないかい? 悠馬は今年の春に高校に入学ばかり。多忙になって行けないとなってもおかしくはないだろう」
「とりあえずその話だった場合は断ってみますけど……。上手く行くかな……」
祖父は毎年悠馬たちが顔を見せに来るのを楽しみにしている。主に結希と羽花見たさで父を含む野郎ども三人には興味ないが。それでも毎年笑顔で迎えてくれるので、もし家に行くことを断ろうとしても簡単には引き下がってくれないだろう。
そう思いつつも悠馬はリダイヤルから祖父の携帯電話にかける。プリセット音が数回鳴った後、祖父が着信に応答した。
『おお、帰ったか悠馬。というか結局携帯電話からかけているじゃないか』
「ごめんね。ちょっと家の電話取り込み中で……」
もちろん嘘である。
『まぁ良い。今年もこっちの家に帰って――』
「そのことなんだけどお爺ちゃん。高校に入って色々と行事もあるし、お父さんも仕事探しに忙しいから今年は行けそうにな――」
『――来てもらうばかりもつまらないからお前たちの住む町に来てみた!』
「――はい?」
『えっと、京安駅ってところに今いるのだが……』
「……もしかしてお爺ちゃん。さっき電話の時聞こえてきた音って――」
『ああ、電車の音だよ。デッキで話していたんだ』
道理で聞き慣れた音だったはずだ。つまり祖父は自分の家に来てもらうばかりでは物足りなくなり、悠馬たちが普段どういう生活をしているのか見てみたい。それもあってここ、京安市に来た。
(想像以上に面倒くさいことに……)
ただ、このまま放っておくわけにもいかないので、冷や汗をかきながらも通話を続けた。
『それでお前たちの家がどこか分からんから迎えに来てくれんか』
「……分かったよ」
『あ、出来れば結希と羽花も一緒に迎えに来――』
そこで悠馬は強引に通話を切断した。そしてがっくりと肩を落としながらも結希とエンスに今あったことを伝える。
「まさかこういうことになるとは……やっぱりお爺ちゃんは強いね」
さすがの結希も感嘆している。エンスも何だか負けた気分になっていた。
「まぁ、俺もそろそろバイトあるからどっちみち結希にはついて来て貰わないとな。羽花も行くか?」
「うん! ミャアちゃんも行こ!」
「分かったわ」
かくして、悠馬たちは祖父のいる京安駅へと向かった。
☆
京安市の中心部にあるシンボル的存在、京安駅。比較的都会であること、そして大都会からは近距離に位置することから乗降者数はかなり多い。真昼間でもかなりの人の多さだった。
その中でも一際目立つのが銀色の時計台。京安駅開通を記念して作られた、京安駅と共に生きていると言っても過言ではないもの。そこで待ち合わせをするように祖父と約束している。
「あ、あれかな?」
白髪の短めの毛に優しい雰囲気の目。こんな真夏日であるにも関わらずチョッキを羽織っている老人が時計台を中心に配置されているベンチに腰掛けている。
「お~い、お爺ちゃ~ん」
「遅いわ悠馬!」
「ごめんお爺ちゃん」
「許さん!」
随分とお怒りの様子だ。でも、この猛暑日に暑い場所で待たせたのだからその気持ちは分からないでもなかった。そんなに律儀に日の当たる場所で待たなくても、とは思ったが。
しかし、こんなお怒りなどすぐに対処できる。悠馬は結希と羽花に目で言いたいことを伝え、二人ともそれに頷く。羽花までこれだけはしっかり理解しているものだから恐ろしい。
結希と羽花はとことこと祖父の元へ歩み寄る。そして結希は上目遣いで「久しぶり、お爺ちゃん」と呟いた。羽花は元気よく「お爺ちゃ~ん!」と足元に抱きつく。すると怒りの表情はみるみる治まり、笑顔が絶えない爺さんに戻る。
「おお~! 結希、大きくなったな~! 羽花も相変わらず可愛いな~!」
「ごめんお爺ちゃん」
「気にするな悠馬! わははははは!」
やはり家族は助け合って生きるべきなんだと思わされる瞬間だった。
「ところで、その後ろにおられる方はどなたですかい?」
お爺ちゃんはやっと後ろにいるミラアとエンスの存在に気づいた。その質問が出たところでエンスが一歩前に出る。
「私、宮葉さんの隣の部屋に住むエンス・デバイシーズです。こっちがミラア・プラハーナです。宮葉さんにはいつもお世話になっています」
「初めまして」
「おお、そうですか。悠馬たちの祖父の義三と申します。どうぞよろしく」
ゆっくりとお辞儀をし、お爺ちゃんは鞄から帽子を取り出して被った。
「さぁ、家に案内しておくれ」
「あ、お爺ちゃん。俺今からアルバイトに行くから結希たちに教えてもらってくれ」
「最初からそのつもりだ」
「……そうですか」
ハァ、とため息をついて悠馬は家とは逆の方向へと視線を変えた。
「それじゃあ、結希、羽花、後は頼むぞ~」
「ああ~! ちょっと待て悠馬!」
ファミリーレストランに向かおうとすると、お爺ちゃんが悠馬を止め、耳を貸すように催促する。
「お前の行っているバイト先は何と言うところだ?」
「すぐ近くにあるゲストっていうファミレスだけど」
「ゲストだな。よし分かった」
「何がだよ」
「こっちの事情だ。それではな。バイト頑張るんだぞ」
「へいへい」
意図の掴めないお爺ちゃんの話に若干呆れながら、悠馬はファミレスへの道を歩いた。
「ファミリーレストランならあの子も会いに行きやすいかな……」
そうお爺ちゃんが呟いたことも知らず。
☆
「こんにちは~」
いつもの休憩所に足を踏み入れると、店長の経済不振不況丸が新聞を持って座っていた。どうやらお昼のピークを過ぎ、完全なる休憩となっているそうだ。
「あ、こんにちは悠馬君。夜からは夏休みだし忙しくなるかもだけどよろしくね」
「よろしくお願いします」
悠馬はもう着慣れた制服に早々と着替え、ホールの方に姿を見せる。見事に客はおらず、ただ寂しくテーブルだけの景色が広がっていた。
「うわ~、お客さんいないの本当なんだね」
その景色に呆然としていると、後ろから春雨高校の同級生であり、このアルバイトでも同僚である白花真菜が、腰のリボンを結びながら姿を現した。
「こりゃあ、夜まで結構暇かもな」
「そうだねー」
しかし、もちろんそれまで誰も来ないというわけもなく、一人の女性が入店した。いらっしゃいませ、と声を出すと、悠馬と真菜がいるレジのところへとことこと歩いてきた。
「あの……ここに宮葉悠馬さんっておられますか?」
「えっと、私がそうですが?」
「……悠馬君?」
「はい」
返事をすると、その女性の肩がプルプルと震えだした。そして右手で被っていたフードを取り、両手を大きく開いた。
「会いたかったよ! 悠馬君!」
そして次の瞬間ギューッと抱きしめられる。悠馬は何が起きているのかさっぱり分からず、その女性を突き放してしまった。
「な、何するんですか!」
「ハグ?」
「そんなの分かってますよ!」
「えー……悠馬君、私のこと覚えてない?」
「覚えてないって……」
悠馬は完全に初対面だと思っていた。苺のような綺麗な赤色の髪の毛は肩まで伸びていて、田舎らしさを感じさせるワンピース。大きな黒い瞳。そして豊満なバストに細いウエストとスタイル抜群。言うまでもなく、美少女だった。
「本当に覚えてない? 橋森の――」
橋森というのは京安市から少し離れたところにある田舎である。そして、悠馬の祖父が住んでいる地域だ。
「橋森の――苺ちゃん?」
そして橋森から出てくる単語は祖父を除けばそれしか浮かばなかった。
「そうそう!」
「……え? 君苺ちゃんなの!?」
「うん! 久しぶり、悠馬君」
ニコッと苺という少女は笑った。それに釣られて悠馬も笑顔になる。
「本当に久しぶりだな……。小学生だった時以来かな?」
「それくらいかもね」
「あ、あの~……」
懐かしい顔にテンションが上がって話していると、傍らの真菜が小さく手を挙げて質問した。
「その……あなたは……?」
自己紹介していなかったことに気づいた悠馬は苺に自己紹介するように顎で示した。それに苺も快く頷き、視線を真菜に移す。
「私は佐々木苺。悠馬君の幼馴染だよ」