Chapter 3-(3) 立ち向かうか逃げるか
「ってて……」
「だからやめるんだと言ったのに……」
あの後、悠馬はエンスの家に一度戻り、腹部の治療を受けていた。言うまでもなく普通の人間のパンチとは威力が格段に違い、たった一発殴られただけなのに大きな痣となっている。ほっとくのは致命傷、と恐ろしいことを口にしたエンスが治療をしてくれているのだ。
「よし、これくらいでいいだろう」
腹を包帯でぐるぐる巻きにされ、巻き寿司みたいになっている。貼ってある湿布も五枚とたくさん。そこまでしないとダメなのだろうかと疑ってしまう。
悠馬が礼を言うと、エンスはリビングから出た。そしてしばらくすると紙袋を持って、悠馬に手渡した。
「おそらくこれがミラアの言っていた羽花ちゃんへのお土産だ。持って行ってくれ」
「いいんですか? 多分羽花もミラアから渡してもらった方が喜ぶと思うんですけど……」
「……おそらく、今のミラアには人と話す余裕もないだろう。君が渡しておいてくれ」
エンスのその顔には拒否権はないぞ、と書かれているような気がした。悠馬は頷き、玄関の方へと足を運んだ。
「今日は色々とすまなかったな」
「いえ。お陰様でこれからどうすればいいのか分かった気がします」
「そうか。君には本当に感謝しているよ。ゆっくり休んでくれ」
「はい。おやすみなさい」
静寂の中、ドアが閉まる音だけが木霊する。悠馬は先ほどミラアが下りて行った階段をもう一度見てから家に戻った。
☆☆☆
「あ~! 美人さんが俺と付き合ってくれねぇかな~!」
「何言ってるんだお前は」
街灯が眩しい京安市中心部。ゲームセンターやファミリーレストラン、服屋さんからスーパーマーケットまでありとあらゆる店が並ぶ、学生からすれば夢の国。時刻二十三時の夜中を宮葉拓斗は同級生と歩いていた。
いつも格好が不良そのものの同級生と歩いているためか、友達は女子と歩きたいと望む。むさくるしい男たちとばかり遊んでいたら仕方のないことかもしれないが。
「なぁ拓斗。俺がナンパしたら成功すると思う?」
「うーん。相手がゴリラ好きだったら上手くいくんじゃないか?」
「誰がゴリラだボケ!」
この見た目も力もゴリラな友達はゴリ島。好きなものは女子と食べ物で、嫌いなものは彼女を持っている男と食べられない物らしい。
「確かに……ゴリラ好きの女性にはたまらないだろうね」
そして薔薇を持っているナルシストの同級生がナル島。好きなものは自分で嫌いなものは自分より美しいものらしい。よってアイドルが基本苦手。そしてルックスも人並みである。しかし、肩がぶつかり合ったら真っ先に喧嘩を売りに行くなど、一番不良っぽい人である。
「というかまず誰も俺たちに見向きもしないだろう」
そして一番まともな意見を持つイケ島。このグループの中では常識人であり、ただ面白い奴が多いからという理由でこの集団の一員になっている。
そして悠馬の弟、拓斗もこのメンバーの一員となっている。
「よーし! 今日はびっくりするくらい綺麗な女の子をナンパするぞ! 勝負だナル島!」
「僕に勝てるとでも思ってるのかゴリ島」
とうとうこの状況に耐えられなくなったのか、ゴリ島とナル島はナンパ対決を開始した。
「俺はまずあの水色の髪の毛の美少女を落として見せるぜ!」
「お、僕もああいう清楚な子はタイプだな。僕もあの子を狙うとしよう」
早速目に入った美少女に声をかけようとする二人。二人とも相手にされないのは目に見えているが、可能性を信じて二人は美少女の方へ走って行った。水色の腰までスラッと伸びた長髪に無気力な目。白いワンピースが彼女の白い肌をより際立たせている。
「ん? あいつ……」
「どうかしたの?」
「いや、もしかしたら……」
ミラア・プラハーナ。一瞬そう思った。突如宮葉家の前に現れたその少女は隣の部屋に住んでいる。人間では有り得ないような美しい姿は、すれ違った男性は必ず見惚れてしまうほそだ。
「そこのお姉さん! 僕と一緒に遊びませんか?」
「いや! 俺と遊びましょう!」
そんなことを考えているうちにゴリ島とナル島は美少女に声をかけている。いきなりそんなことを言われても表情が変わらない。やはり彼女はミラアのようだ。
「こんなところで何やってるんだよ?」
そうと決まったところでゴリ島とナル島の間から声をかける。二人が「俺(僕)の恋路の邪魔をするな!」と言っているが無視する。
「あ、紅鮭の弟の……そう、拓馬ね」
「拓斗だ。そんでもって俺の兄の名前は悠馬だ」
「……あ、あなたが斗で兄が馬なの? 名前が被ってるわ」
「一文字も被ってねぇだろ! ……で、こんな時間に何やってるの?」
警察官のような尋問をする拓斗。そう問うた瞬間、ミラアの表情は悲しいものになる。
「……ちょっと、一人になりたかっただけよ」
「何だそりゃ? わざわざこんなところで一人にならなくても……。ほら、エンスさんだっけ? も心配するだろう?」
「そうね。でも、エンスとも一緒にいたくない。何故かそう思ってしまうの」
胸のあたりでキュッと拳を握りしめるミラア。その体は小刻みに震え始めていた。
「今日、お父さんが地球に来たの。久しぶりに会ったから嬉しかったんだけど、もうお前の父親じゃないって言われちゃった……」
そしてついには涙を流し始めた。はっきりと分かる光を反射する一滴の雫。自分も必死で堪えようとしているのだろう。しかし、体は抑えようとする気持ちよりも溢れだすものを優先する。
「ふーん……父親がね」
そのミラアの姿を見て、嫌な過去を思い出してしまった。自分が生きてきたまだ短い人生の中で一番思いだしたくない過去。それが今のミラアとマッチしているように見えてしまう。
恥ずかしいから悠馬たちには言わないが、実際父親が逃げた時、何か胸の奥がずっしりと重かった。この感覚は母親が不倫した時以来だ。それから少しでも逃れようと、こうして町に来ては遊んでいるのかもしれない。
父が母に手を出すようになり、止めに入っても体格差で負ける。まるで紙切れを吹き飛ばすかのようで、父にとって拓斗など相手にもならなかった。
でも、ここに来れば喧嘩では負け知らず。ずっと強い自分でいられる。その優越感に甘えている。そんなことは十分に理解していた。しかしやめられないのだ。一種の中毒とでも言える。
どうしようもなくなったとき、立ち向かう者と逃げる者がいる。この世の大半は後者だ。無論、それは拓斗もミラアもあてはまる。
「おい、帰るぞ。ミラア・プラハーナ」
「え?」
「さっさと帰らないとエンスさんも悠馬も心配する。もうこんな時間だし」
「よくそんなこと言えるわね……」
「うるせぇ!」
なかなかミラアが動こうとしないので、拓斗は強引に手を掴んで自宅方面へと歩き出した。
「悪い。今日何かしんどいから帰るわ」
「ちょっと待てよ拓斗! 俺のマドンナをさらうつもりか!? 俺がさらいたいのに!?」
「ゴリ島がそれをやるとただのキング○ングだぞ」
「まぁまぁ事情があるんだね。また月曜日ね~」
突っかかってくるゴリ島をイケ島が抑えて手を振ってくる。拓斗は笑顔でそれに振り返し、京安市中心部から外れて行った。
☆
「何するのよ、いくら」
「拓斗だ。それ鮭の子供じゃねぇか」
「……は! 弟だったわね」
「仮に息子だとしてもいくらじゃねぇよ! なぜなら兄が人間だからね!」
車の通りも中心部に比べたら少なくなってきた。もちろん何代かは走っているが、それも今となっては煌めく背景である。
車がほぼ通らない住宅街。もう二十三時を回っているので通っている方が珍しい。その中を拓斗とミラアは歩いていた。
「拓斗、どうして連れて帰るの? 一人にしてほしいって言ってるじゃない……」
また弱弱しい声で言う。しかし、それには動じず自分がしたい話をした。
「なぁ。俺たちの父親って見たことあるか?」
「……言われてみればないわ」
「実はつい最近借金取りから逃げる形で出て行ったんだ。俺たちを残してな。まだ出て行ってから一週間も経っていない」
先ほどまで何かに怯えるように震えていたミラアが少し落ち着きを取り戻し始めた。視線は真っ直ぐに拓斗を捉え、話を聞いていた。
やがてマンションの宮葉家とエンス家間の廊下に着いた。そこで改めて話を始める。
「何が言いたいかっつうと、俺みたいに逃げるなよって話。親父が逃げだしたら俺はすぐに町に行って、自分のやりたいことやって気持ちを紛らわしてる。多分これからもな。でも悠馬や結希はバイトしたり料理学んだり、生活に必要なことを身につけようと努力して、立ち向かってる」
「…………」
「だから俺みたいな道を歩むより、悠馬たちのような生き方をした方が絶対後で得をする。それだけは、頭に置いておいた方がいいぞ」
「……そうね」
かなり臭いことを言っている。それは自分でも分かっていたが、それが拓斗自身の本心でもある。こんなこと人に言えるほどしっかりしていない。おそらくこれからも変わりはしない。でも道を違う前の人物に助言くらいは出来るつもりだ。
「まぁ、明日は日曜日だしゆっくりしろよ。考える時間は十分にある」
「拓斗……。あのね、ずっと気になってたんだけど」
「何だ?」
「髪形変よ? その中途半端なワックス……」
「うるせぇ! ファッションだファッション!」
「センスゼロね……」
「ああもういい! 寝る! じゃあな!」
拓斗は鞄から鍵を取り出して部屋に帰って行った。ミラアも小さく「おやすみ」と言って部屋に戻った。
☆
翌朝。日曜日ということもあって朝から子供たちが元気に遊んでいる。その声でミラアは目を覚ました。
時刻は九時頃。昨日夜遅くまで起きていたこともあって、起床時間もそれなりに遅くなっていた。
「ん~……」
まだ視界がぼやける中、布団の上で伸びた。それからエンスのいるリビングへと行く。テーブルの上には朝御飯のパンが用意されていて、置き手紙で「食べたらすぐに着替えるように」と書いてある。
ミラアはそれに従い、朝食を終えると私服に着替えた。それと同時にインターホンが部屋に響き渡る。
玄関に行って覗いてみると、そこには悠馬の姿があった。
ドアを開け、声をかけようとすると、足元に黒と白のワンピースを着た小さい少女が急に現れた。
「おはよう! ミャアちゃん!」
「は、羽花?」
「おはよう、ミラアさん」
「結希?」
「おはよう、ミラア」
「エンス?」
「おはよう、ミラア」
「馬子?」
「悠馬だ」
この四人が突然訪問にやって来た。といってもエンスに至っては自宅だが。
「外出の準備は出来てるな? ミラア」
「出来てるけど……?」
「さぁ、みんなでデートに行くぞ!」
「へ?」