Chapter 1-(2) 渦巻く想い
放課後、真菜は当番の掃除を終えて帰る支度をしていた。
今日も特に大きなことは起こらない平穏な一日だった。普通に授業を受けて、普通にクラスメイトと話す当たり前の一日。しかし少し物足りない感情が真菜の中に渦巻いている。
その原因は真菜自身もはっきりと分かっていた。
真菜は教室の後方にあるミラアの席に目をやった。水族館の出来事以来、一度も引かれていない椅子がとても寂しく見えてしまう。そしてあれが現実で起こったことなのだと嫌でも思い知らされた。
「真菜ちゃん!」
「わっ!」
他のことに意識が行かずに思考を巡らせていると、急に後ろから肩を叩かれた。
振り返るとそこには未来がいた。現役アイドルということもあり、学校に来ることは少々珍しいのだが、今日は一日中授業を受けていた。
「どうしたの?」
「実は真菜ちゃんにプレゼントがあるの」
「プレゼント?」
真菜が小首を傾げると未来は通学鞄からクリアファイルを取り出して二枚のチケットを手渡した。
「今度やる私のライブのチケット。良かったら見に来てよ」
「ええええ! いいの!?」
「もちろん!」
真菜もこうして未来と仲良くなってから一度は行ってみたいと思っていたから、このプレゼントは絶頂と言っても過言ではないくらい嬉しかった。西月祥也調べによると未来のライブチケットは年々入手が困難になっているようなので、かなり贅沢なことをしてもらっていることになる。
「二枚か〜。苺ちゃんでも誘おうかな」
「あ、そのことなんだけど」
「ん?」
「悠馬君を誘いなさい」
「……」
悠馬の名前を出された途端、真菜の顔は真っ赤に染まり上がり、沸騰しそうになった。
未来がいつもよりテンションが高いと思っていたが、そういう魂胆があったのだと今更ながら気づかされる。受け取って喜んでいた手前、今から断るのも何だか申し訳ない。
しかし、よく考えれば受け取った以上、このチケットは真菜のものなのだ。誰を誘おうと真菜の自由である。
「あ、ちなみに他の人を誘ったら没収ね」
「ひどいよ未来ちゃん……」
一人での参加であっても未来のライブを見たい真菜の心境を完全に把握されている。真菜には未来に勝てる道が一つも見つけられなかった。
「何をそんな嫌がることがあるかな」
「だって、宮葉君を誘うことなんて緊張するじゃん……」
「じゃあもし、苺ちゃんを誘うならどんな感じで誘うの?」
「苺ちゃん! 未来ちゃんのライブのチケット貰ったんだけど、一緒に行かない? って感じ?」
「そのセリフの苺ちゃんのところを宮葉君に変えれば成立しない?」
「それができないの!」
「何でよ! 簡単じゃん!」
「じゃあもし未来ちゃんが私として、それを西月君にできるの!?」
「…………ごめん」
結局、二人とも真っ赤な顔を覆う結果となってしまった。何とも不毛な言い争いだったと虚しくなってくる。
しかし未来はどうしても悠馬と来てほしいのか、真っ赤な顔のままビシッと真菜を指さした。
「でもこのままだったら何も進まないよ! 勇気を持って! ね?」
ついに未来も勢いに任せて言うようになってきた。思ったより作戦が上手く行かなくて焦っているのだろうか。
未来が言っていることは真菜自身が一番感じている。
悠馬とは中学生のときに比べて話す機会が多くなった。学校でもそうだが、休日に出かけることがあるなど、中学生のときには考えられなかったことだ。そういう点では進歩はあるのかもしれない。
でもその裏にはいつもミラアがいた。
ミラアがどこに行ってしまったのかも分からない。そんな大変な中で自分だけ悠馬と楽しもうとするなんていいのだろうか。
ミラアは悠馬と会いたくても会えないのに、自分だけ好きな人と――。
急に想い詰めた表情をした真菜に未来も少し考えながら頬を掻いていた。
「とにかく! ライブぜひ来てね!」
かなり言葉を選んだのだろう。未来は明るく言って教室を出て行った。何だか未来を悪者に仕立て上げてしまったかのようで余計に罪悪感が襲ってくる。
「話は聞いたぜ」
と、入れ替わり制度のように、今度は教室のドアに手をついてキザなポーズをした苺がやってきた。そもそも聞いていたなら会話に入って来てくれてもいいものだが。
「私は行けばいいと思うな」
苺の言葉には少し重みがある。苺はミラアの事情を知っているから、その上で行けばいいと言ってくれているのだ。
「でも……」
「そこでどうするかを考えればいいんじゃないかな?」
「どうするって……」
「その先のこと」
そこまでは真菜も考えていなかったから少し面を食らった形になった。
「ミラアちゃんのことを思うのも大事だけど、それで真菜ちゃんが悠馬君と出かけることを制限されるまで犠牲になることはないんじゃないかな?」
「いいのかな……」
「その上でどうするかを自分に聞きなよ。悩むならたぶんそこだから」
どこかで悠馬と一緒にいることが悠馬を独り占めしているように感じていた。だから悠馬を誘うという話が出て恥ずかしさもあったけど、それ以外のところでブレーキをかける自分がいたのだ。
しかし、ミラアのことを思うというのは、何も悠馬との交流を断つということではない。
自分がどうしたいか。それを確認するためにも悠馬を誘わなければいけない気がした。
「私、頑張ってみる!」
「応援してる」
苺は優しく微笑んでポンと真菜の背中を叩いた。