Chapter 1-(1) 抜け落ちた記憶
冬が近づいてきたのだろう。視界は白い息で度々ぼやけて一瞬だけ見えるものを遮断してくる。
この日、悠馬は三日ぶりの登校となった。自分でも信じられない話だが、真菜や苺と水族館へ行ったときに気を失って倒れてしまい、目が覚めたら見慣れた自分の部屋だった。
意識が戻ったのは昨日の夜で、リビングへと顔を出すと結希と羽花に随分と驚かれ、安心されたものだ。二日近くも眠っていたのだから当然だが、二人と拓斗にはかなり迷惑をかけたと今振り返っても罪悪感がある。
水族館で倒れた後、一応病院に連れて行ってもらったようだが、医者はかなり困った様子で「快眠です」と答えたそうだ。二日も寝てしまうほど夢の世界に魅了されていたとは考えにくいが、少なくとも身体には何も悪いところはないらしい。
そういうわけで、悠馬としても不思議なことだらけではあるが、こうして普段の生活が再開できてホッとしている。
前を歩く男子学生も、信号で時間を気にするサラリーマンも、校門で険しい顔をしている生活指導の先生も、何も変わっていない。
ほんの少し、悠馬は眠りすぎてしまった。ただそれだけだった。
☆
その日の放課後、治親は誰よりも早く教室を後にして校門前に出てきた。
そこには腰まで伸びた銀髪が目立つ一人の少女――ルヴィーネがいる。ルヴィーネは治親の存在に気づくと両手を広げて抱きつく……ことはせず、ゆっくりと治親の側まで来た。
「どうでしたか?」
「ダメだった。完全に忘れてたよ」
治親は無念と首を横に振った。その返答にルヴィーネも大きく息を吐いて肩を落とした。
水族館で起きた嘘みたいな出来事。初めは治親も信じられなかったが、こうして今の悠馬を見ると全てが真実なんだと嫌でも分かってしまう。
治親はルヴィーネとある人の頼みで悠馬にミラアのことを話してみた。ゴレイドと名乗った男の言うことが本当であれば、悠馬の中からミラアの記憶は抜け落ちていることになる。
ほんの一握りの希望を信じて、悠馬とずっと一緒にいたが結果はさっき言った通りだった。
水族館のときも、遠足のときも、全てミラアという人物がいない。治親などの友人との思い出は残っているが、綺麗にミラアだけがいなかった。
「そうなると、ここから厳しい道になりますね」
「やっぱそうなの?」
「はい。ミラア様を救い出しても悠馬さんがいなければ意味がありませんからね」
「そりゃそうだけど、そこまで悠馬に固執する意味もあんまり分からないんだけど……」
「それを知ってもらうためにも会いに行くんですよ」
二人は学校から市街地へと向かう道を真っ直ぐに歩いた。
住宅街の景色は数分で変わり、様々な店やオフィスビルが見える市街地へと出てくる。
そして京安駅前にある喫茶店こそが二人の目的地だ。
店内に入ると白衣を着た黒髪の女性が二人を手招きした。ついて行った席には同じく白衣を着ていて、相変わらず眠そうな目をしている女性がいる。
治親とルヴィーネは白衣を着た女性――エンスとアリアの向かい側に座ってコーヒーを注文した。
「わざわざ来てもらってすまないね」
「いえ、どうせ電車に乗らないと帰れないので通り道ですよ」
今日、治親に悠馬の様子を見るように頼んだのはルヴィーネだけではない。目の前にいるエンスとアリアにもお願いされていた。というよりはエンスに一番お願いされたから、今回の事態について重く受け止めている人物なんだと治親は察した。
早速、治親は悠馬のことについて話した。ミラアのことは全く覚えていないこと、一緒に行った場所や思い出は覚えているけどそこにミラアの存在はないこと。とにかく悠馬からミラアが抜け出ていることを心を痛めながら。
それを聞いてエンスは落胆したように大きな溜息を吐いた。
「想定はしていたが、やはりそうか」
「はあ〜、こりゃミラア様を連れ戻すに当たって大きな問題だなあ〜」
アリアもお手上げというように手を後頭部で組んでいた。
「あの、俺には何が何やらさっぱりなんですが……」
「ふむ。確かに最初から話した方が良さそうだね。夏親に関してはルヴィーネのこともあるし」
「ありがとうございます。あと治親です」
「まあ、ざっくりと言うと、ミラアは宇宙人なんだよ」
いきなりの強い言葉に治親は目を点にした。あり得ないことが起こり続けているとはいえ、それに免疫ができたわけではないのだ。
「ミラアは十二ヶ月の呪いという病を患っているんだ。精神の不安定が一年続いてしまうと死んでしまうという、何とも曖昧で非科学的なものだよ」
「でもそれって不安定になることがなければ大丈夫なのでは?」
「そうなんだけどね。ミラアはこの呪いを嫌った父親に捨てられる形で日本に来ている。ミラアはお父さんが大好きだったから、不安定になるには十分すぎるよ」
いつもは感じなかったミラアの人生に治親も言葉を失った。何事も大きく受け止めずに淡々としている印象のミラアだったが、壮絶な経緯の中で生きていたのだ。
「そしてその呪いの解消法はこれまで副作用だらけの投薬しかなかったわけだが、ルヴィーネから誰かを想う気持ちで発生を抑えてしまうことが分かった」
「ここもまた曖昧ですね……」
「だが事実なんだ。実際、ミラアは悠馬という大きな存在ができてから安定していたし、ルヴィーネも治親がいたからこうして生きている」
「そうなんですよ治親様!!」
「ちょっと! 引っ付かないで!」
「あの乳を押し付けられたら私は落ちるわ」
「アリアも黙ろうか」
治親も事の経緯が何となく分かってきた。簡潔に言えばミラアにかかった呪いを悠馬が振り払ったということだ。
そして今、ミラアは呪いの開発者と名乗るゴレイドに連れ去られてしまった。ここまでは悠馬の存在以外はゴレイドの思惑通りに進んでいるということだ。
「さて、これからどうしますかね。もちろん放っておくわけないでしょう?」
「当然だ。だが肝心のゴレイドの場所が分からないのではどうしようもないな……」
アリアとエンスが上手く動きだせない理由はそこにあった。悠馬以外の全員がゴレイドは変な空間を使って消えたと言う限り、アリアも使ったことのあるワープホールで逃げた可能性が高い。
「あのワープホールってどこに繋がるものなんですか?」
「様々だよ。極端な話だが、地球から遠く離れた惑星もあり得るし、治親の隣に現れる可能性もある」
設定した人物しか出所が分からないことこそ、ワープホールの最大の利点であり欠点である。無論、今のエンスたちにとってはこの上ない欠点だ。
「まあ、こういうのは手当たり次第にやるしかないね」
そう言ってエンスは携帯型のデバイスで何か操作をし始めた。ちなみにスマートフォンとは少し違う仕様なので、エンスのオリジナルのものだと思われる。
「どうするつもりなんですか?」
アリアが不思議そうに画面を覗き込んで確認すると、次の瞬間には呆れたように溜息を吐いていた。
「死んでも知りませんよ?」
「ここまで来たら死ぬことなんて怖くないね」
エンスはメールを送る手続をしている。宛先はミーナ。ミラアの妹にして鏡花星の次期女王候補である。
以前、エンスは十二ヶ月の呪いの期間を延長させるために、ミーナに薬の材料を持ってきた貰ったことがある。呪いを嫌う王のローデスにはこっ酷く怒られ、研究員の資格を剥奪されたのも記憶に新しい。
エンスとしては狙われているのがミラアとルヴィーネだった以上、鏡花星にいる可能性が高いと踏んでいた。その鏡花星で高い権力を持つミーナであれば、探し出すことができるかもしれない。
宇宙船がないと鏡花星に行けない以上、もうここに頼るしかなかった。
ミーナにメールを送信し、数秒間祈りを捧げてから悩まし気にエンスは首を掻いた。
「さて、問題は悠馬だね」
「俺、今まで全くルヴィーネのことを思い出せなかった……というか今も分からないんで、思い出すのって相当難しいですよね?」
「そうだろうね」
ゴレイド自身の発言から治親とルヴィーネは幼い頃に出会っていて、ルヴィーネが探していた人物も治親で間違いないことが証明された。
それから不審者と思うことはなくなったものの、ルヴィーネを思い出せないことに変わりはなかった。新しくできた知り合いという感覚が何よりもしっくりくる。
「治親も何となく察しているとは思うが、悠馬の記憶を取り戻すことは最重要事項なんだ。仮にミラアを取り返せても悠馬がミラアのことを覚えていないなんてことになったら、今度こそ立ち上がれない気がするからね」
「そっか……精神不安定……」
「だから負担をかけて悪いが、今後も悠馬と話してみて欲しい。アリアも授業のときに少し目を配ってくれ」
「はーい!」
「また明日も話してみます」
「すまないね。よろしく頼むよ」
ここまで話したところで時間を確認したエンスが立ち上がった。既に日は沈んで街のネオンが輝き出している。
暗闇にポツポツと灯って行く光が応援してくれているように感じて、治親もエンスに続いて店を後にした。
あけましておめでとうございます。
十二ヶ月の姫君様もいよいよ最終章に突入いたしました。
最終話が完成するまではこれまでどおり、毎週金曜日に投稿したいと思います。
それからの投稿日につきましては、また報告いたします。
それでは、今年もよろしくお願いします!