Chapter 2-(1) 猫の架け橋
いつもより人が多い日曜日の京安駅の前で、苺は胸を躍らせながらその時を待っていた。
携帯電話を取り出して昨日届いたメールを振り返ってみる。幸せな今日が嘘ではないことを確認したいがため、この行動を朝から何度も繰り返していた。
『お父さんのことでお礼がしたいから、明日会えないかな?』
たったそれだけのメッセージでどれだけ心が弾んだか、おそらく送信主の悠馬は知らないだろう。現に、浮かれて集合の三十分前に到着してしまっている。
お父さんのことというのは、以前悠馬のお父さんが苺の家に泊まったとき、色々と話を聞いてくれたことである。それがきっかけで悠馬のお父さんも自分がすべきことを明確にしたようで、悠馬にも凄く感謝された。
そのとき悠馬は「またちゃんとお礼するから」と言ってくれて、それを忘れずに実現してくれたことがとても嬉しかった。
でも、どこかで複雑な感情が渦巻いているのを苺は何となく察していた。
苺は悠馬に対して恋愛感情を抱いているが、悠馬は苺に対してそれは抱いていないだろう。おそらく、今回のことだってお父さんの件がなければ実現されなかったはずだ。
「……私、面倒くさい女だな」
分かっているはずなのに、期待をしてしまう。抑え込みたい感情なのにどんどん湧き上がってくるそれに苺は苦笑いした。
「おーい」
そうしていると駅の広場から手を振りながら悠馬がやってきた。家族の問題が解決してから、悠馬にも明るさが戻ってきてホッとする。
「ごめん、待たせちゃって」
「大丈夫大丈夫。ほら、橋森は電車の本数が少ないから、私が早めに着くのは必然だよ」
それに慣れてしまったから、早めの電車に乗ってしまうのはもはや癖だ。悠馬は約束通りの時間にやってきている。
「さて、じゃあ行こうか」
「どこに行くの?」
「苺ちゃんがずっと行きたいって言っていた場所」
悠馬はニッと笑って歩き始めた。苺は少し首を傾げてついて行く。
今日の行先について、昨日から悠馬は頑なに明かしてくれない。でも苺が行きたがっていた場所と言うあたり、驚かせようという魂胆なのだろう。
(そういうのがずるいなあ……)
喜ばせようとしている悠馬の一つ一つの行動が、苺の心を突いてくるのだ。
たぶん悠馬は橋森の七不思議を解決するような感覚で今も一緒に歩いているのだろうけど。
「ここ!」
「……おお〜!」
あれこれと考えていた苺だったが、目的地に到着した途端、思考を放棄して目を輝かせた。
それはまさしく、苺が一度は来てみたかった場所だったからだ。
入口のドアには可愛らしい猫の写真がたくさん貼ってある。その隣の看板にはポップな絵と文字で料金が書いてある。
「悠馬君、ここはまさか……!」
「うん。俗に言う猫カフェです!」
「早く入ろう!」
わくわくが止まらない苺は強引に悠馬の手を引いて店に入った。
苺が猫カフェに来てみたかったのは、単純に猫と戯れながらコーヒーを飲むということに憧れているからだ。苺の家の周辺にも野良猫はいるのだが、警戒心が強くて近づくことは不可能に等しい。だから動物と同じ空間で食事なんて夢のような話なのである。
店内は木目調で明るい雰囲気が醸し出されている。そこに十匹ほどの猫があちこちで遊んでいた。
「ほあ〜! 猫カフェってファンタジーじゃなかったんだね〜!」
苺は勢いそのままに店内の奥に進んでいった。そんな苺の背中を見送りながら悠馬は受付で二人分の料金を支払う。今日は苺へのお礼だからこれくらいしないと悠馬も気が済まなかった。
カウンター席に座って二人はコーヒーを注文した。するとすぐに苺は近くにいた猫を呼びかける。
さすがに人馴れしていて、苺の足に擦り寄ってくる。それからがら空きの苺の膝に向かって飛び乗り、そこで静かに目を閉じ始めた。
その無防備な姿に苺は手で顔を覆って天を見上げた。
「これはたまらないね」
憧れの猫とのブレイクタイムに苺の撫でる手は止まらない。喜びよりも感嘆が大きいようだが、満足しているようだ。
苺の膝にやってきた茶色の猫は店員さんによると大人しい性格らしく、フィットする膝を見つけては熟睡するようだ。こうして眠り続けているから、苺の膝は心地よいのだろう。
もっと他の猫とも戯れたい様子の苺だったが、膝が塞がっている以上、この場からは動けない。というわけで悠馬は近くにいた黒と白の混じったキジ猫を連れてきた。この子も大人しいのか、悠馬に抱えられても抵抗しなかった。
悠馬も少し苺の状況が羨ましくなったので、膝に座らせてみた。しかし、気に入らなかったのか、すぐにテーブルへと移動してしまう。
「うーん。やっぱ女の人の方が居心地がいいのかな」
「悠馬君、いやらしいこと考えてるね?」
「いや全然考えてないけど」
悠馬は羽花登園ランニングの影響で足にはそれなりに筋肉がついている。もしかしたらそれが固かったのかもしれない。いやらしいことを考えていないとは言ったが、どう見ても苺の膝の方がクッション性が良さそうだ。
「今はいやらしいことを考えているね?」
「……」
少し苺の膝を見ていたから、悠馬は答えられなかった。女の人というのはどうしてこうも視線に敏感なのだろうか。
苺は言葉に詰まる悠馬を笑っていた。悠馬は恥ずかしかったけど、苺が無邪気に笑っていると自然に同じような大笑が出てきた。
するとさっきテーブルに上ってしまったキジ猫がゆっくりと近づいてきた。テーブルに置いている苺の左手と悠馬の右手の匂いを嗅ぐと、前足を苺の腕に、後足を悠馬の腕に乗せて目を閉じ始めた。
この不思議な寝方に二人はまた吹き出した。
「悠馬君の膝よりもこっちの方がいいんだね」
「しかも俺にお尻向けてるし……」
とことん悠馬への対応が雑な猫だが、その満足そうな寝顔は悠馬の不満も消していった。
「これはしばらく動けないね」
「まあ、いいんじゃない? 苺ちゃんと話するのって何だかんだ久しぶりだし」
悠馬の不意打ちの言葉に、苺は口元を綻ばせて頷いた。
困ったもので、やはり悠馬といるのは楽しい。久しぶりだったから尚更で、心は踊り続けていた。
反動が怖いからあまり喜びすぎたくはないのだけれど、今を満喫しておくのも悪くはない。そんなことを思いながら、苺は悠馬と談笑した。