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十二ヶ月の姫君様  作者: 桜二冬寿
第八章 初恋の果実と枯葉
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Chapter 1-(5) 振り出し

「はあ……」

 エンスの溜息が澄んだ空気に溶けて行く。それに続くように悠馬、アリア、ルヴィーネも大きく息を吐いた。

 悠馬たちはルヴィーネの言葉を元に入院していたという病院を訪れていた。地図のとおり遠くはなく一時間もかからずに到着した。


 とにかく先を急いでいるエンスは早々に受付でルヴィーネの担当医について聞いたのだが、彼は既にこの病院を退職していた。ルヴィーネのことを診たのも十年以上前だから仕方のないことではある。

 今その担当医がどこにいるのか、何をしているのかは病院にも分からないようで、結局悠馬たちはスタート地点に戻ってきてしまった。途方に暮れて病院を後にしようとしているところだ。


「んー、これからどうするかねえ〜」

 なかなか喋り出せないエンスを見兼ねたのか、アリアが沈黙を破った。

「実際に治ったって言っている人を前に独自の研究を進めていくのも効率の悪すぎる話だしねえ」

「申し訳ありませんが、私に分かることは全部話しました。これ以上は何とも……」

 やはりルヴィーネの担当医に会わないことには話は進まない。鏡花星でも指折りの研究者であるエンスでも、ここは完全な行き止まりなのだ。


「それにしても連絡先すら不明なんて怪しい人ね〜」

「まあアリアさん! 私の恩人になんてことを!」

「でも変な話じゃない? 退職した日付がルヴィーネの退院日の翌日だなんて」


 アリアが疑うのも無理はなかった。ルヴィーネの担当医については色々と不思議な点がある。

 まずはアリアが言ったように退職日がルヴィーネの退院日の翌日ということだ。偶然と言えばそれまでかもしれないが、不自然なことではある。まるでルヴィーネの退院に合わせているように見える。


 そしてこの病院にいる全ての人が彼の名前どころか存在も知らないということだ。

 若い医者や職員が知らないのは頷けるが、在籍時が被っているベテランの人までもが彼のことを知らない。人見知りだとか交流を好まないなどの次元の話ではない。ルヴィーネの担当医など存在しなかったように、彼らの記憶に担当医はいないのだ。


「まあ、気にしすぎることもないさ」

 エンスは重たい唇を何とか動かして天を仰いだ。

「ミラアにルヴィーネの言う想う気持ちがある以上、呪いは発生しないし、前兆も来ない。何気ない日常が続くだけだよ」

「考え方によっては今のルヴィーネと同じ状態ですからね。進歩はなくても後退もしていませんから」

「悠馬の言う通りだ。少し、私は急ぎ過ぎてしまったのかもね」


 エンスはゆっくりと帰り道を歩き始めた。それに三人も続く。

 気にしすぎるな。そう言った割にはエンスの背中は寂しそうに見えた。

 エンスは日本でミラアにかかった呪いを治癒するために研究を続けてきた。そのゴールが少しでも見えた瞬間だったから、誰よりも落ち込みは激しいだろう。

 長く続いた戦いの終焉が見えたのに、出戻りを余儀なくされたエンスの気持ちは、悠馬の想像よりも苦しいものに違いない。


 だから悠馬は、今の自分にできること――今までと変わらずにミラアと一緒にいることを心で誓った。



 ☆



 家に帰ってくるなリ、エンスは自室のベッドに身を投げた。仰向けになって腕で目を隠す。現実から逃げているようにも見れるこの状態が、今は随分と楽だった。

「アリア、すまないが今日の晩御飯は何か買って来てくれないか?」

「分かりました。何か適当に買ってきます」

 アリアもエンスの状態を分かっているのだろう。何も文句は言わず、財布だけ持って出かけて行った。


 アリアが出て行ってドアが閉まった音を聞いてから、エンスは大きな溜息を吐いた。

「気にするなと言って、私が気にしていてはいけないな」

 確かにミラアは今のままで十分、呪いという呪縛からは解放されていると言える。症状も出ないし、前兆も見受けられない。ルヴィーネの言っている想う気持ちが呪い解消の治療法だということは真実と受け取ってもいいだろう。


 おそらくだが、ミラアの想っている相手は悠馬だ。今までミラアは悠馬に会うと友達感覚で遊びについて行っていたが、いつしか恥ずかしさが込み上げてくるようになり、悠馬を見るとほんのり顔が赤くなる。ずっと一緒に生活してきて、あんなミラアを見るのは初めてだったから、心の底からエンスは嬉しかった。ミラアが恋をするなんて、日本に来たときは考えられなかったことだ。タイムスリップして過去の自分にこの事実を伝えても信じないだろう。


 しかし考え方によっては、それほどミラアは悠馬に依存していることになる。

 悠馬には悠馬の人生がある。いつまでもこのままというわけにはいかない。悠馬が高校卒業後、大学進学や就職で家を離れる可能性はゼロではない。

 それにミラアが悠馬のことを一人の男性として好きだとしても、悠馬がミラアのことを好きだとは限らない。そのとき、ミラアから想う気持ちが消え、呪いが再発すれば……今度こそ本当のスタートに戻ってしまう。


 悠馬には感謝している。こうしてミラアの状態が良い方へ転ぶのも、彼がいてくれたことが大きい。

 それを自覚しているからこそ、悠馬に強制的にミラアのことで縛ることはしたくない。彼は彼の人生を歩むべきだし、彼は彼の愛する人を選ぶべきなのだ。

 そうなったときのミラアに対する保険は絶対に考えておかなければならない。


「でも、今それを考えるには体力がないな……」

 エンスはゆっくりと目を閉じ、不安を抱え込むように小さく丸くなって眠りについた。

 夢でもいいから呪いを治したという担当医に会いたいなんて思いながら。



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