Chapter 1-(4) ルヴィーネの担当医
日曜日、悠馬は駅から自宅へと向かっていた。隣には嬉しそうに携帯電話を眺めるルヴィーネがいる。
あれから悠馬はルヴィーネと連絡を取り、お互いが休みになる週末に会う約束をしていた。十二ヶ月の呪いのことはエンスやアリアを通した方が良いと判断し、こうして家まで来てもらったのだ。
ちなみに、ルヴィーネがどうして携帯電話を嬉しそうに見ているのかを悠馬は理解していた。
「治親と連絡取れた?」
「はい! おかげさまで毎日が楽しいです!」
時折、治親から悠馬の元に苦情が来るが、それは知ったことではない。悠馬は呪いの情報を手に入れられて、恋する女性が喜んでいるのだ。これ以上のwin-winはない。
しかしルヴィーネは少し溜息を漏らした。
「ですが、なかなか治親様はデートのお誘いに乗ってくださいません」
「そうなのか」
治親のことだからストーキングされていたとはいえ、こんな可愛い女の子が言い寄ってくれるならばすぐに切り替えると思っていた。だが治親はそこまで甘い奴ではないようだ。
おそらく後を付けられていたことよりも、記憶がない人からずっと求愛されているのが怖いのだろう。確かに、今だってルヴィーネの人違いという可能性は十分にある。もしも人違いだとすれば……その時は治親に謝るしかない。それ以上は悠馬には思いつかなかった。
そうしてルヴィーネののろけ話を聞きながら歩くこと一〇分程度で悠馬の住むマンションに到着した。
しかし今日は宮葉家の部屋には向かわず、その反対側にあるエンスの部屋へと入る。入る時にインターホンは押さなくていいと了承済みなので、悠馬はそのままドアを開けた。
「エンスさん、来てくれました」
リビングに入ると、相変わらず多くのモニタを備えたデスクが目に入った。そこにエンスは座っていて、その隣に今日は真面目そうなアリアがファイルを持って立っている。
ミラアは真菜や苺たちと遊びに行く予定があったようで、呪いについて話すには好都合だった。
「よく来てくれたね。私はエンス・デバイシーズ。こっちがアリア・イアベルだ」
「すっげえ胸……」
「アリア、黙ってお茶を用意してくれ」
真面目そうだったのも数秒だったアリアを冷めた目で見て、エンスは指示した。こんなに人使いの荒いエンスは見たことがなかったから、今回のことに関してはかなり真剣で、ふざけたアリアが気に障ったのだろう。
悠馬としては、アリアの気持ちも分からなくはなかったが。
場を仕切り直し、ルヴィーネはイスに座った。悠馬もその隣に座ってエンスと向かい合った。
「さて、と」
エンスは真っ直ぐルヴィーネに視線を突き刺した。
「早速で悪いんだけど、聞かせてもらっていいかい? 十二ヶ月の呪いの治療法を」
「はい、分かりました。それはずばり――」
ルヴィーネはこれ見よがしに治親とのメールのやり取りの画面を表示して、携帯電話を掲げた。
「――人を想う気持ちです!」
高らかなルヴィーネの宣言とは裏腹に悠馬とエンスとアリアはポカンと口を開いていた。
エンスは溜息を吐いて、背もたれに体を預けた。
「詳しく聞いてもいいかい?」
「はい。と言ってもそのままの意味ですよ。誰かを想う気持ちが呪いを掻き消してくれるんです。私の場合は……治親様でした!」
「ああ、うん。そこまではいいけど」
エンスも予想外の答えが出てきて戸惑っているらしい。さっきから何度か頭を抱えている。
人の気持ちは数値では測りにくいものだから、確実性というところにおいて信憑性は低い気もする。だが、ルヴィーネ自体は嘘を吐いているようにも見えないのが困ったところだ。
「いや、でも……」
するとエンスは何かを思いついたかのようにパソコンを操作し始めた。
モニターに映し出されたのはミラアの状態を日ごとに検査した結果のグラフである。何度も見たこの図の特徴は、昨年の冬までは凸凹が激しいものの、ある日を境に正常な状態が保たれているところだ。
「悠馬から聞いているかもしれないけど、ミラアには一度、死の前兆が見られた。そのときがこの時期だ」
エンスは凹凸の激しい波の部分を指さした。この時期にちょうどミラアが昏睡状態になってしまったのを、悠馬は今でもはっきり覚えている。
「そして、ここで薬を服用。この日にローデス様が日本にいらっしゃった」
ローデスが来たその日から、ミラアの波は安定し出している。
ルヴィーネは感嘆の声を上げてモニターのグラフを見ていた。
「何とも優秀な薬ですね。私の方法よりも確実性が抜群じゃないですか」
「いや、欠陥だらけさ。薬は確かに死の前兆から抜け出す作用がある。だが副作用は強いし、呪いも一年先延ばしたに過ぎない。昨年の冬に前兆があったんだから、そのうち二回目の前兆が来てもおかしくはない。油断は禁物だ」
そのエンスの言うことにルヴィーネは首を傾げた。
「これってミラア様の身体的な健康を表しているんですよね? これ、私が完治したときと数値がほとんど一緒ですよ?」
「そうなんだよ」
エンスは腕を組んで、悩まし気な顔を浮かべた。
「驚くくらい、ミラアは正常なんだ。呪いは謎が多いからともかく、薬の副作用が全く出ていないのはおかしいんだ」
「だったら答えは一つかもしれませんよ?」
「というと?」
「ミラア様は呪いの前兆で昏睡状態になった。それから薬の力で目覚めた。その後に、ミラア様に想う心が芽生えた。だから呪いも副作用もグラフに表れない。どうでしょう?」
簡単すぎる話にも思えるが、それならば納得できる箇所が増えるのは事実だ。副作用が消されるかどうかは分からないが、ルヴィーネの言うことが本当ならば少なくとも呪いは消えていることになる。そうなればミラアの身体検査がずっと正常値を保っているのは当然ということになるのだ。
エンスも少しルヴィーネの言うことを信じ始めたのか、メモ用紙を取り出して体がまた前のめりになった。
「ルヴィーネの言う想う気持ちってどういうものを指すんだ?」
「そこは私には断言できませんけど……わざわざ想うと広く捉えられる言葉で言われたので何でも良いのかと。私の場合は全力の恋心です!」
「何とも大雑把な担当医だな……」
「ほら、エンスさんにも何かあるんじゃないですか? ミラア様が心で想っている方を!」
「あー……」
エンス上を向いて、誤魔化すように視線を行ったり来たりさせた。
正直に言って心当たりはある。それもエンスのすぐ目の前にいる青年こそがそうなのではないかと思う。彼は何度もミラアを救ってくれたし、ローデスを失ったミラアの心の支えとなってくれた人だ。今のミラアがいるのは間違いなく、この悠馬のおかげである。
悲しいことに、悠馬はミラアのことを女の子としては見ていないようにも思えるが。
「まあ、なくもないんだけど……そこは本人にとってもデリケートなところだから保留しておこう」
苦し紛れにエンスは話を逸らして、すぐに呪いの話題へと戻した。
「じゃあ、仮にルヴィーネの言っていることが本当だとして、人を想う気持ちが消えたらどうなるんだい? 人の感情はすぐに動いてしまうものだろう?」
「んー、申し訳ありませんが、それは分かりません。何しろ、私はずっと治親様を愛し続けてきましたから」
「そうか。まあ一途なのは素敵なことだ」
「そう思いますよね!」
「何だか君は情緒不安定だな」
ルヴィーネの緩急にエンスも若干疲れてきているようだ。こうも元気な姿を見せられると本当に彼女が呪い患者だったのか疑わしくなってくる。
「では、最後に。その情報を君に与えたのは誰だい?」
「つまり、担当医さんってことですか?」
「ああ。何しろ、国の監視下で研究を行っていた私たちでも分からなかったんだ。設備や情報が鏡花星で一番整っているはずの研究室よりも情報を握っているのは、割と不思議な話だと思う」
エンスの言うことに悠馬は小さく頷いた。
更に不思議なのは、その担当医は日本にいたということだろう。ルヴィーネは幼い頃から日本で暮らしている。治療を受けたのも日本の孤児院にいたときだから、必然的に医者は日本の病院に勤務していたことになる。
十二ヶ月の呪いを治せる医者ならば、鏡花星で勤務をするのが通常だと思われる。そういうところからも、ルヴィーネの担当医が日本にいたのは疑問だ。
しかし最後のエンスの質問にルヴィーネは首を傾げて唸った。
「申し訳ないんですけど、名前が思い出せないんですよね。恩人の名前を忘れるなんてどうかしてますね……」
「じゃあ、せめてどこの病院だったとかは……」
「それなら分かりますよ! 何と言っても、私と治親様との出会いの場ですから!」
「そ、そうか……」
何を聞いても治親との思い出に直結してしまうため、一つ一つの質問ごとに疲れてしまう。
それからエンスはルヴィーネから病院名を聞き、メモを取ってパソコンで地図を見た。幸いにもここからはそれほど遠くはない。治親が病院に来ていたかもしれないのだから、この辺りというのは何も不思議ではない。
エンスは壁にかけてある時計を見た。時刻は十二時。それを確認するとエンスは細く息を吐いてタンスから上着を取り出した。
「今から行こう。ついて来てくれ」
「行動力凄いですね……」
「早いに越したことはないさ。御飯くらいは奢るからさ」
エンスは小さく笑って玄関へと向かった。それに悠馬たちも続く。
一抹の不安こそあれど、着実に呪いの真相へは近づいている。それを実感しながら、悠馬は靴を履いた。
お待たせいたしました。お久しぶりでございます。
就職活動の方もようやく落ち着き、本日から投稿を再開していきたいと思います。
待ってくださった皆様のためにも、完結までしっかり走り切りたいと思います!
今後の投稿についてですが、まず今週の金曜日にもう1話更新いたします。
それからは以前のように週一で更新していきます。
今のところ5週は必ず週一でお届けできると思います。
今後とも十二ヶ月の姫君様をよろしくお願いいたします。