Chapter 1-(2) 平等条約
悠馬たちは幸せそうにジュースを飲む目の前の女の子をジッと見ていた。約一名は顔を真っ青にして天井を見上げている。
あれから三人はひとまずレストランへと場所を移したが、女の子は治親から離れる様子もなく、こうして店内にまでついてきてしまったのである。何も言わずとも、治親がここ数日感じている視線の主は彼女であることは理解した。
しかし、当の治親は彼女に見覚えはないらしい。ストーカー気質があったとしてもこんな可愛い子が知り合いにいたら覚えているはずだというのが治親の見解だ。四六時中、女の子のことを考えている治親が言うとそれだけは信憑性がある。
その治親が覚えていないということは、単に彼女が人間違いをしているのか、それとも治親の美少女センサーが不完全だったのか。二つに一つだ。
女の子は治親と同じ空間にいることが幸せなのか、ずっと治親の方を見て微笑んでいる。もちろん、治親は天を仰いでいるから目は合わない。
その奇妙な沈黙に耐えられなくなったのか、祥也が溜息を吐いた。
「そう言えば、君の名前は? ほら、名前を聞けば思い出せるかもしれない」
「私の名前はルヴィーネです。どうですか、思い出してくれますか、治親様!」
「ああ〜、空が青い」
「夜だし室内だぞ」
ルヴィーネがグイッと治親に顔を近づけると、逃げるように治親はまた視線を逸らす。あまりに見てくれないからか、ルヴィーネもさすがにつまらなくなってしまったようだ。
「ルヴィーネさんのこと本当に何も知らないの?」
「ごめん、本当に分からない。俺、外国人での知り合いって人生の中でもミラアさんだけだからな……」
「ミラアさん?」
と、ミラアの名を聞いたルヴィーネがピクリと眉を動かした。
「まさか、治親様の恋人だったり……」
「いや、ミラアさんは悠――」
「言ってはいけないことがあるぞ、治親」
治親の言いかけたことを祥也が口を塞いで止めた。
悠馬は治親が何を言おうとしたのか分からなかったが、とりあえず向かい側に座るルヴィーネが「治親様の口に触れるなんて羨ま……許せない」と小声で呟いている方が気になっていた。
とにもかくにも、記憶にない治親と甘酸っぱい記憶を辿るルヴィーネは平行線のままである。こういう形になると終着点というものが見えなくなってしまう。
きっとルヴィーネは悠馬には想像できない想いで治親を見つけたのだろうが、治親の反応を見ていると勘違いという結論を出すしかない様に思えた。思い出せない治親を前にしても笑顔を絶やさないルヴィーネを見ていると心が痛むが。
「俺、トイレ行ってくる」
そう悠馬が考えていると、治親はフラフラとしながら立ち上がってトイレへと向かった。その足取りはいつ倒れてもおかしくないくらいに覚束ない。
「治親様! お供します!」
「それはまずいから俺が見てくるわ」
と、立候補したルヴィーネを制止し、祥也は治親の肩を支えた。
やがて二人の姿がトイレに消えていくとルヴィーネは拗ねたように口を尖らせた。
「もう、何ですかあの人は。私と治親様の恋路の邪魔ばかり」
「まあ、あいつも治親のことが心配なんだよ」
ストーカー疑惑の人物に堂々と目の前で求愛されている友人を見たらさすがに放っておけないものだ。
この様子を見ると、ルヴィーネにストーカーという自覚はないらしい。自覚していても困るが、単純に治親のことが好きだからというだけの行動であることが何となくだが分かる。
「ねえ、本当にルヴィーネさんの探していた人って治親なの?」
「ルヴィーネで良いですよ。年も同じくらいですし。で、その質問にはイエスを百回くらい言わないと気が済みません!」
「でも、実際に治親は覚えていないんだし、人違いってことも……」
「私が治親様のことを間違うわけがありません! もう、悠馬さんったら疑い深いんですから」
「そうは言ってもなあ……って、ん?」
悠馬は全ての意識と視線をルヴィーネに向ける。その表情にみるみる驚愕の色が滲み出てくる。
「何で、俺の名前……」
そう、名乗っていないはずなのに、ルヴィーネは確かに悠馬の名前を口にしたのである。
その悠馬の反応にルヴィーネは悪戯っぽく笑って手を組んだ。
「知っているに決まっているじゃないですか。鏡花星では少し有名なんですよ?」
「何で俺が有名なんだ……というか今、鏡花星って!?」
「何やら、ローデス様を降伏させたとか。いやあ、そんな人ってどんな人かと思っていましたが、結構細身ですね」
ルヴィーネから出てくる単語はミラアが鏡花星から来た宇宙人であることを知っている人物しか知り得ないものばかりだ。そしてローデスを降伏させた記憶など微塵もない。
目を見開いて頭を整理する悠馬を他所にルヴィーネは続ける。
「ミラア様が治親様の恋人ってこともないでしょうしね。そこは悠馬さんに気づかれないための名演技でした!」
当然のようにミラアのことも知っている。それも鏡花星出身という肩書を持つミラアの存在を。
「ルヴィーネ……君は一体……」
震える声を絞り出して悠馬は問うた。
それにルヴィーネは人差し指を口に当てて、フッと微笑む。
「ではお教えします。私の目的は二つ。一つは愛しの治親様に会うこと。そしてもう一つは――」
悠馬は唾をごくりと飲み込んだ。
「――十二ヶ月の呪いの治療法を悠馬さんにお伝えすること」
飲み込んだ唾が食道で居座るような感覚。悠馬は焦るような気持ちになった。目の前のルヴィーネという少女は、十二ヶ月の呪いの治療法を知っている。
それはミラアが呪いから解放される未来を意味していた。
「……治親には悪いけど、あいつがストーカーされていて助かった」
「あら、ストーカーなんて人聞きが悪い。話しかけたくても恥じらう乙女の行動の一種です」
お互いに口角を上げて見つめ合う。それは二人の「治療法の提供」と「治親情報の提供」という需要と供給が成り立った瞬間であった。