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12月5日

「お前、最近よく来るな。」

「って言っても今週2回目だよ、マスター」

「こんなとこに来てないで、勉強しろ、本を読め」

「お客に言う台詞じゃないよね?」


 それもそうだな、と二人で笑う。店内は閉店間際という事もあり、お客は僕しかいない。マスターは床の掃除をしながら、憎まれ口をたたく。お客が僕だけなので、もう店仕舞いを始めている。

 この光景は久々に見る。小学生の時に入り浸っていた時以来だ。洗剤の匂いと、リズミカルに床を擦る音。ここにいるとしだいに眠くなるのは何故だろう。


「久々に一緒に帰るか」


 唐突に話しかけられたので、体を大きく揺らしてしまった。会話の内容にも驚いてしまったこともあるが。

 マスターはいつでもぶっきらぼうである。だからきっと今もそうなのだろう、そう思いマスターを見ると、思いの外笑顔だった。


「どうしたの?」

「いや、どうって事はないさ」


 なんとなくだよ、と髭をいじる。この仕草は返答に困っている時なのだと最近気がついた。

 本当になんとなくなのか、はたまた別の目的があるのか察する事は出来ない。でも僕がマスターと一緒に帰るのに理由はいらない。多少の恥ずかしさはあるものの、嬉しくないわけがない。


「うん、いいよ」

「じゃあ、外で待っていろ」


 マスターがレジと金庫を行ったり来たりしている。もうすぐ終わるのだろうと思い、荷物を持って外に出た。

 からんからん、と音を立ててドアが開く。外は一面雪景色だ。

 『カフェ:FS』の中は温かみがある。暖色系の壁紙、食べ物やコーヒーの匂い、そして空気。それらが入り交じり、居心地がいい温かさをかもし出している。

 しかし一歩外に出るとそこには温もりがない。白の世界はなんて悲しいのだろう。カフェの中にいただけに、この銀世界を見ると体だけでなく、自分の中の見えない何かまで、凍ってしまいそうだった。

 雪は、嫌いだ。降り積もってゆく雪が灰のように見える。空が壊れ、壊れた破片が塵のように舞い落ちる。そしていつか世界が壊れてしまうんじゃないかと思ってしまう。


「おう、待たせたな」

「ううん、大丈夫」

「降ってるな、ほら傘」

「ありがとう」


 マスターはカフェから傘を持ってきてくれ、僕にくれた。傘に降り積もる雪。どうしても僕にはそれが、僕を死から守ってくれる盾にしか見えない。

 まだ誰も足跡をつけていない道を、僕と識さんは歩く。朝や昼にな降っていなかったため、あまり雪かきもされていない。


「そういえば、お前、例の女の子はどうなんだ?」


 道路に氷が張っているわけでないのに、転んでしまいそうになった。識さんは口元を少し緩ませている。

 一緒に帰ろうと言った理由はこれか。あまり嬉しくない事実に僕は項垂れてしまう。


「心配してるのは春樹だけじゃないって事さ」

「楽しんでるでしょ」


 ふっ、と笑われてしまう。図星なのだ。僕は白いため息をつきながら渋々話始める。

 結局今日、5日金曜日まで毎日一緒に登校していたこと。雪乃という名前を聞いたこと。好きな食べ物、嫌いな食べ物、どうでもいいような事も聞き合ったこと。


「なんだ、上手くやってるんじゃないか」

「上手く、って言わないでよ」

「事実さ」

「実際僕と彼女が話しているとこ、見てないでしょ?」

「何となく分かる」

「何それ?」

「大人の勘」


 説明になってないよ、と笑う。なんだかんだで楽しいのだ。自分の恥ずかしい部分を知られて、からかわれて尚、心から笑える。


「なぁ、冬馬」


 名前を呼ばれて、識さんを見ると、僕の表情と180度異なる顔をしていた。何かを思い詰めた顔。識さんのこんな顔、見たことがなかった。


「お前、そろそろ……」


 識さんが言葉を断った。僕はどうして識さんが途中で言うのを止めたのか分からなかった。しかし、識さんの視線が僕から外れていくのが見えた。そして、その先にあったもので、ようやく状況を理解できた。

 識さんの視線の先には、見たことがある風景があった。それは今週の頭のこと。いうなれば、今の僕の始まり。


 雪が降らない世界。くっきりと雪が積もっていない。そして空からも、塵のような、世界の破片のような雪がふってこない。

 月曜日と同じように、人一人が入られるくらいの円柱の世界。ただしその柱は夜空にまで届いていた。


 春樹さんや桜子さん、そして識さんにはこの世界の事は、話していなかった。どうせ信じてはもらえないから。

 ましてや識さんはそういう性分だから、見なきゃ、いや見ても信じてはくれないだろうと思っていた。

 今、その識さんの前に、狂った世界があった。


「世界の、ほつれ」


 識さんは一言、そういった。あたかもこの狂った世界を知っているかのように。冬の夜、雪が降り積もる夜。それなのに、識さんの顔には汗が見える。それは雪の滴ではない。

 狂った世界に僕も識さんも魅入られていた。魔的な美しさに。だからこそ、気がつかなかった。後ろから歩み寄る音に。


「綺麗だよね」


 ようやく僕と識さんは後ろから人が来ている事に気がついた。そして声が聞こえたときには、声の主は僕らを追い抜き、雪が降らない世界へと歩いていった。


「でも、私は、怖い」


 声の主に心当たりがあった。だから余計に僕は話し掛けられなかった。なにもいえずに、ただ見蕩れる。言葉を掛けられたのは識さんだけだった。


「お、おい!」


 識さんは怒号にも似た声をあげた。まるでその世界が危険で、危害を及ぼされるかも知れないというように識さんは声を張り上げる。

 やはり、識さんは、何か知っている。僕は識さんと一緒に彼女を止めるでもなく、自分の知識欲を満たそうとしていた。


 狂った世界に近付く人、雪乃さん。彼女は歩みを止めない。識さんには軽く会釈をしただけだった。

 そして世界と寄り添う。聖母のように胸の前で手を組み、祈る。その姿を見るのは二度目だった。相変わらず、透き通っていて、儚くて、壊れそうである。

 しだいに雪が積もり始める。世界が終わる。また見ることになった世界の終焉。やはり僕は思う。この謎を、解きたい。彼女の秘密を、知りたい。


「君は、編み手なのか?」


 それが雪乃さんを知ることに繋がるならなおさら知りたい。やはり彼女には、こんな顔よりも、笑顔が似合うと思ってしまったから。

 今すぐに識さんに、ほつれ、編み手、それは何と聞きたい。雪乃さんに聞きたい。

 でも聞けない。識さんのすがるような顔、雪乃さんの涙を見たら、口から言葉が出なかった。

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