12月4日
「おはよー、とーま君」
「おはよう」
案の定、彼女は今日の朝も僕の家にやってきた。やってきたというより、家の近くの道路で待っていた。ただ昨日と違い、僕は寝坊をしていない。だから学校まで走る必要はない。走ることを趣味としない僕にとってはいいことだ。だが、よく考えると昨日彼女は、僕が起きるまで待ってたのかもしれない。
「あー、いい天気だよね?」
「うん、まぁ、そうだね」
「だ、だよね?だからさ、あの、良かったら今日も一緒に学校行かない?」
なんだろう、今目の前にいる彼女が本当に昨日一昨日の彼女なのか不安になる。
さらに言えば、彼女は僕の目を見ずに質問をしてきた。社会的にいえば、失礼に値する行為かもしれない。でも彼女の仕草をみたら、そんなこと言えない。
細く綺麗な指で、少し茶色が混ざっている毛先をくるくるいじっている。一度ちらっと僕の方を見たものの、すぐに視線を逸らされた。
この3日間で彼女の印象は度々変わる。儚げで壊れそうな硝子細工の彼女、爽やかな笑顔で僕を振り回す彼女、そしてしおらしい彼女。どれが本当の彼女なのだろう。
「あのさ、」
「ん?なぁに?」
春樹さん、桜子さん、マスターの言葉が頭をよぎる。
「君はさ、どうして僕と登校したいんですか?」
まだ上手く彼女と話せない。敬語で話したらいいのかすら曖昧だ。きっとこれは、僕と彼女の距離。一昨日出会って、昨日初めて一緒の時間を過ごした。
つまりまだ2日分の距離なのだ。しかも時間に直せば1時間分くらいだ。だったら何もかもが曖昧で当然なのかもしれない。
「んーと、昨日と同じ質問?」
「うん」
「……昨日答えなかったけ?」
「ごめんなさい、聞こえなかったんだ」
僕には友達と言える人が少ない。人付き合いも上手い方ではない。上手ければ、妹から敬語で呼ばれることもないのだろう。
だから不安なのだ。目の前の新しい事に、平凡ではない事に戸惑いがあるのだ。本当は確証が欲しい。全ての答えが欲しい。
「んと……とーま君を、もっと知りたいなって、思ってさ」
でもきっとそんなのはできっこない。昔、識さんに聞けば何でも答えを教えてもらっていた。それは子供のころの話であって、今はもう、子供じゃない。
「そっか、ありがとう」
「あの、とーま君、その、」
与えられて、満足して。それが許されるのは、手を握ってもらって、守ってもらえる時だけ。
今の僕の手は、識さんの手を握っていない。ましてや、妹の手も。
もしかしたら、これが大人になるって事なのかもしれない。
「じゃあさ、君の好きな食べ物は?嫌いな食べ物は?趣味は?得意科目は?好きな本は?」
「え?え?そんないきなり言われても……」
僕の捲し立てるような質問攻めに、彼女は慌てふためいている。でも、なんとなくだけど、笑っているようにも見えるんだ。
申し訳なさを覚えつつも、つい笑ってしまった。彼女にこんな一面もあるのだな、と。不思議な少女の平凡な姿は愛らしかった。
「僕も、君を知りたい」
平凡な僕を知りたいと言ってくれる君を。一昨日の神秘的な君を。昨日の生き生きとした君を。今日の普通な君を。
自分から、知っていこう。本を読むように、手探りでもいいから、探したい。ありがとうを込めて。
「……嬉しい」
思わず僕は目を逸らしてしまった。失礼だと思いながら、彼女の目を見ることができなかった。
「あの、いや、いいんだ。じゃあ、行こっか」
「うん!」
ゆっくりと僕らは歩き出す。少し小柄な彼女に歩幅をあわせて。昨日も雪がふったのだろう。新雪を踏む音がBGMとなって心地いい。
「あのさ、私の名前、雪乃っていうの。だからこれからは名前で呼んでね?」
「うん、分かった、雪乃さん。僕の名前は、」
知ってるよ、と笑う雪乃さん。でもなんとなく自己紹介をしたかった。
嬉しい、といって笑ってくれた彼女に。照れて目をそらしてしまったが、一昨日の硝子細工の彼女より、ずっと魅力的だった彼女に。
「僕の名前は冬馬。これからよろしく、雪乃さん」