12月3日
「兄さん、兄さん。起きてください」
僕はあう、と奇声をあげてしまった。初めは頭に靄がかかったように、何も考えられなかった。しかし部屋に響くノックが僕を覚醒へと導く。
「兄さん、開けますよ」
「ん、いいよ」
「失礼します。って兄さん、学生服のまま寝たんですか?」
そうか、今は朝か。ようやくその事に気がついた。目の前には制服姿で呆れ顔の妹がいた。
僕は学生服のまま眠っていたらしい。普通であれば、夕飯を食べ、お風呂にはいり、勉強し、就寝するのが僕の日常サイクルである。しかし学生服のまま寝たということは、下手したらお風呂にすら入ってないのかもしれない。
「僕って昨日夕飯食べたっけ?」
「歳ですか?」
「あ、いや、その、」
「一緒に食べました。朝食は昨日の残りですから、早く来てください」
「……うん」
「では、私は先に学校に行きます」
「あぁ、気を付けてね」
「兄さんも夜更かしは大概に」
出来た妹だ。そう思うと同時に自分の冴えなさや情けなさに溜め息がでる。
ちょっと不思議な事があったからって朝起きられず、妹に家事を任せてしまうとは。しっからせねば。
あぁ、不思議なこと。そう、僕は昨日の夜、学校帰りに世にも奇妙な事に遭遇したのだ。
雪が降らない世界、その世界に雪を降らせた少女。そしてその少女は僕を知っていた。僕は知らないはずなのに、彼女はハッキリと僕の名前を呼び、こんばんはと言った。
全く、分からない。理解できない。
もしかしたら、夢?そう、夢なのかもしれない。勉強に疲れ、寒さのなかに見えた幻覚なのもしれない。そう思おう。
平凡な僕だからこそ、平凡な答えに落ち着く。きっと特別なんていいことない。さぁ起きよう、そう思った時、妹が再度僕の部屋をノックした。しかも先程よりも強く。
「兄さん、兄さん!あの……」
「どうしたの?」
「おはよう、とーまくん」
僕の妹は滅多に狼狽えることがない。僕が昼行灯なだけに、妹はしっかりしている。しっかりしているだけではなく、成績優秀、家事炊事も文句なし。今すぐにでも嫁げるといっても過言ではない。どこから見ても中学生には見えないのだ。もちろん先に述べた通り、性格も中学生離れしている。
そんな妹が取り乱し、並々ならぬ勢いで僕を呼んでいたのだから、余程の事だろうと思った。
結果的には確かに、並々ならぬ事だった。だがそれは妹と僕では多少ニュアンスに差異があった。
先程、僕が夢だったと、夢で出会った少女が現実として、部屋の前にいたのだ。
「き、君は昨日の夢の、」
「夢?夢じゃないよ、あれだけ凝視しといて、それはないんじゃない?」
「あ、いや、その、」
「まぁなんでもいいんだけど、遅刻するよ?」
それからの妹の慌てぶりは二度とお目にかかれないだろう。階段をかつてない騒音を立てて下ったかと思えば、また階段を登ってきて
、弁当忘れずに、今日もあまり遅くならぬよう、と僕に言いにきたり。
ふと、妹は少女をみた。その目は、忘れられない。今まで見たことがない妹がそこにいた。怒っているのか、疑っているのか。僕には複雑すぎて、察する事は出来なかった。ついには少女に何もいうことなく、妹は学校へと向かって行った。
そしてこの部屋には僕と少女が取り残された。気が付くと手にびっしょりと汗をかいており、僕の視線は目の前の少女と自分の手を行ったり来たりを繰り返していた。
「夢じゃないよ」
もう一度、少女は同じ言葉を発した。僕の心を見抜くように。
二人だけになった瞬間、昨日の事が鮮明に思い出された。壊れそうな彼女とここにいる彼女、どちらも同じ少女。
今目にしている少女には壊れそうなんて印象はない。大樹がしっかりと根を張って僕の前に立っているように見える。
あの世界を隔てているか否かでこんなにも印象が変わるとは。
「さ、学校行こう」
「え?」
「だって同じ高校、同じ学年、しかもクラスメイトなら一緒に登校してもいいんじゃない?」