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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第二部・陰謀篇
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2-48・信じてきたもの

 雨はやや小降りになってきた。三人の男は闇に紛れ、足早にティラールの客館へ向かった。元々戒厳令下同然のアルマヴィラでは今は、深夜に出歩く者はやむにやまれぬ事情がある者くらい、随所で見回っている警護団に見つかれば誰何され、事情を調べられる事になる。だが三人は危ない地点はだいたい把握しているので、そこを上手く避けながら誰にも見咎められる事もなく館へ着いた。

 使用人を起こさぬようそっと玄関ホールへ入ると、ザハドは濡れたマントを脱いだ。蛇と蝙蝠は黒衣を脱ぐのを躊躇ったが、「床が濡れていては若に怪しまれる」と言われ、招かれるままに食堂へ入った。そこには暖炉に火が熾されており、三人はその前に座って濡れた衣服を乾かした。

「あと少しすれば若が戻ってくる。その前に手筈を打ち合わせておこう」

 ザハドは言い、三人はいくつかの事項を確認し合った。必要な話が済んでようやくザハドは、

「ところで蛇どのの傷はいったいどうしたのか」

 と問うた。

「蛇は独断でユーリンダ姫を襲い、返り討ちに遭ったのです」

 蝙蝠が先に答えた。

「何、返り討ちだと? 誰に?」

「勿論、姫自身にです」

 物憂い口調で今度は蛇自身が返答した。

「それは聖炎に焼かれた傷だろう? あの娘にそんな力があるとは……美しい以外の取り柄はない愚かな姫としか思っていなかったが、流石に次期聖炎の神子か、少し侮りすぎていたか。お館さまに報告を入れねば」

「ご報告なされるのはご自由ですが、かの姫をどうするかは宰相閣下のご判断のみにお任せする訳にはゆきませぬ」

「『尊師』の意向が気になるのか。お館さまは恐らく、処分の方針を変えられる事はないと思うが」

 ザハドは表情も変えずに言い切った。

「もしも洗脳して傀儡として使えれば、大変役立つ力を引き込む事になります。無論、聖炎の神子の存在自体が我らの敵ですから、いずれは消さねばならぬでしょうが。カレリンダ妃程に完成した神子相手には難しい事ですが、あの単純な姫ならば可能かも知れません。それを尊師に判断して頂きたいのです」

 蛇は熱意を込めて言った。遠い地にある宰相の気分で決められてしまっては、自分が命懸けでやった事がまったくの無駄になってしまう。しかしいずれにせよ、こんな会話をもしユーリンダ自身が耳にしたら、震え上がってしまった事だろう。彼らは、ただ遅いか早いかを検討しているだけで、いずれユーリンダを抹殺する事は前提として話をしているのだ。

「待て、馬の嘶きが聞こえた。若が戻られた。その話は後だ」

 ザハドは腰を浮かしながら言い、素早く暖炉の火を消した。服はもう乾きかけていた。

「さっきの手筈通りに……」


 大切な書状を懐にしまいこみ、ティラールは駆け続けてアルマヴィラに戻って来た。

「忌々しい雨だ」

 厩に馬を入れながら呟き、厳しい旅によく耐えてくれた愛馬を労い飼い葉を与えてから、使用人の使う裏口を錠を使って開けティラールはそっと邸内に入った。館は静まり返っている。ザハドは寝ているだろうか。半年間身を置いていた館に戻ると、今まで遠ざけておいた疲れが急激に押し寄せてきた。朝まで眠って、起きたら一番にファルシスに書状を届けに行こう。そう思いながらティラールは音を立てないように階段を上った。外の雨は一旦小降りになっていたが、また雨足が強くなり始めた。階段のあかりとりの窓の外で、かっと稲光が走った。

「ザ、ザハド!」

 稲光は、二階の廊下に立っているザハドの姿を鮮明に写しだした。予期していなかったティラールは飛び上がりそうな程に驚いた。

「な、な、なんだおまえ。夜中にそんな所に突っ立って」

「若こそ、何日もお帰りにならずにいて、こんな天候の夜中にこそこそと帰ってこられるとは、今までどこで何をなさっていたのですか?」

「そ、それは、ちゃんと置き手紙をしていただろう。何しろ今のアルマヴィラでは大した楽しみも得られないから、ちょっと気分転換に出かけると」

「悲しみに沈んでおられるユーリンダ姫を放って遊びに出かけられるとは、若の行動らしくありませんね。それともようやく馬鹿げた恋の熱が冷めたのですか?」

「馬鹿げたとはなんだ、失敬な。冷める筈がないだろう、俺は姫への永遠の愛を誓ったのだ。俺はただ、何か珍しい土産物でも手に入ったら、姫のお心を和ませられるかと考えただけだ」

 ザハドがこれくらいの事を言ってくるのは予想していたので、ティラールは用意していた答えを返した。

「ほう? 土産物?」

 ザハドの貌に皮肉そうな笑みが浮かんだ。早速嘘を見抜かれてしまったかとティラールは思った。ルーン公を見舞いに行っていたなどと言えば、散々な小言をくらうだろう。

「どんな土産物ですか?」

「いや……残念ながら気の利いたものは何もなかったんだ。仕方がない。さあもういいだろう? 無事に帰ってきたし、くたびれているんだ。そこを通してくれ」

「おかしいですね。土産物はちゃんと懐に持っておられるではないですか。姫にではなく、ファルシス公子へのものを」


 窓の外で雷鳴が轟いた。ティラールは信じられない思いでザハドの顔を見つめた。

「な……何を言っている? 何で俺がファルシス卿へ土産を……」

 冷ややかな表情を崩す事もなく、ザハドはティラールに向かって一歩近づいた。

「書状をこちらへ渡して下さい。よくおやりになりました、若……お父上も必ず褒めて下さいますよ」

「しょ……書状とは何の事だ?」

「この期に及んでとぼけるのは時間の無駄というもの。若がルーン公から預かった書状ですよ。それこそが、お父上が求めておられる『情報』の重要な足がかり……それを得る為に、無害そうな振りをしてルーン公に近づき、信頼を勝ち取ったのでしょう? お見事です。正直、見直しましたよ。長年お側にお仕えしてきましたが、若がこのような知略をお使いになられるお方とは気づきませんでした」

「なにを……なにを言っているんだ、おまえは?!」

 ティラールは思わず自分の胸元をつかみながら一歩下がった。少年の頃、奴隷の身から救い出してから、常に側にいたザハド。口はうるさいが本当に自分の事を思ってくれる、兄弟のような存在だと当たり前のように思っていた。あの冷たいバロック館のなかで、母が亡くなって以来、本当に心を許せた相手は二人しかいなかった。だが一人は死んでしまい、今の自分にはザハドだけが真の味方と思っていた。そのザハドが、別人のように遠く冷たく感じた。

「そこに入っているのですか。さあ渡して下さい。確実な方法でその内容はお館さまへお届けしますから。それともまさか、このザハドが手柄を独り占めするとでもお疑いですか?」

「手柄などと……そんなつもりで預かってきたのではない。おまえに渡すつもりもない」

 青ざめた顔でしかしティラールはきっぱりと言い切った。ザハドは不審そうな表情を浮かべた。

「では、どうなさるおつもりなのです?」

「誰にも見せない……俺も含めて決して誰にも中身を見せずにファルシス卿に届けると誓ったのだ。誓いを破る訳にはいかない」

「これは異な事を。敵に対する誓いなど、ただの芝居に過ぎない。そんな若の芝居に騙されるルーン公が愚かだった、ただそれだけの事ですよ。そうでしょう?」

「ルーン公殿下は俺の敵じゃない。俺は殿下を尊敬している。あの事件を起こしたのは絶対殿下じゃない」

「そんな事は判っていますよ。今はそんな話はしていない」

 あっさりとザハドが言ったので、ティラールはまた驚いた。

「おまえ……まるで真犯人を知っているみたいじゃないか」

「今はその話をしている時ではないと申し上げたでしょう。それでは若は、敵に対する誓いを守って、お父上を裏切ると仰るのですか? まさか?」

 ザハドはわざとらしく言う。ティラールはかっとなった。

「どうしてルーン公殿下を敵と呼ぶのか? おまえは知っているのか、父上が殿下を消し去りたいと思われる理由を?」

「ほう、それに気づいておられましたか……ああ、ルーン公に聞かれたのですね。それで若はルーン公に丸め込まれ、お館さまのご子息という大事なお立場も忘れ、そのように強情になられているのですね」

「父上は何か誤解されているに違いない。殿下を陥れようとする輩に騙されているんだ。どうしてそんな事になったのか、おまえは知っているのか?! この俺も知らされていない事を」

「騙されるなど、聡明な父上に対して随分失礼な仰りようですね。お館さまは騙されてなどいません。ただ、邪魔なだけです……アルフォンス・ルーンとその一家が。縁談を断った事で、ルーン公は知らずに自らの命運を断ち切ったのです。お館さまに忠実である姿勢を見せておけば、生かして役に立たせる道もあったのに。カルシス卿は少々物事の理解が遅すぎるから、お館さまの優秀な配下にするには難がある……だが現状ではとりあえず、喜んでお館さまの犬になろうというカルシス卿にルーン公となってもらうしかない」

「そんな……七公爵家は常に対等な立場である筈だ。いくら父上が宰相であろうと、他の公爵を配下になどと……そんなのは、正義じゃない。公爵の上に立つのは王家だけの筈だ」

「それは王家にとっての正義に過ぎません。お館さまはもっと大きな正義の為に動かれているのです」

「何なんだ、その正義とは? 父上は常に法を重んじられ、王家への忠誠も篤いお方の筈。それよりも大きな正義とは何だ?!」

「……これ以上は言えません。若はお口が軽いですからね。実際、随分お喋りが過ぎてしまった。若が素直に書状を渡して下さりさえすれば、これまで通り、知りたくない事は知らずに気楽でいられたでしょうに」

 ティラールは、悪夢を見ているような気分に囚われ始めた。知りたくない事は知らずに気楽に……そうだ、確かに自分は今までそうやって生きてきた。どうせ知っても仕方がない、自分には何も出来ない、いつの間にかそう思い込み、愉快な事や感動できる事だけに目を向けてきた。父に対しても、ただ偉大な父と思い尊敬していればその方が楽だから……父に逆らう事など出来ないから……そう思い、無意識に父の理想像を作り上げ、その姿だけを見てきたような気がする。でも、ザハドは……ザハドだけは、自分の知っているザハドだと思いたかった。

「なあザハド、おまえは俺の従者だろ。おまえはずっと俺の側にいてくれて……こんな馬鹿な俺のたった一人の味方でいてくれて、俺は血の繋がった兄上たちよりおまえの方こそ本当の兄弟みたいに思ってきたんだ。おまえだってそうだろ? ずっと一緒にいて……あの、港で助けてやったあの日から、おまえはずっと俺に恩を感じてついて来てくれたんだろう?」

 また雷鳴が轟いた。ザハドは暫く答えなかった。ティラールは半ば祈るような思いで答えを待った。次に稲光がぱっと辺りを照らし出し、陰になっていたザハドの表情が照らし出された時、ティラールは胸の中で何かが崩折れていくのを感じた。見た事もない奇妙に歪んだ貌でザハドは笑っていたのだ。


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