2-44・アルフォンスとティラール
アルフォンスはウルミスがティラールを呼びに行っている間に、介添えの女性の手を借りて身体を拭き清めてもらい、黄金色の髪もさっぱりと清潔に流して束ねて髭も剃り、真新しい絹の寝衣の上にゆったりした緑色のローブを羽織り、半身を起こしてクッションに預けていた。顔色も気分も随分良さそうになってはいたが、倒れる前のかれしか知らない者にとっては、やはり衝撃を受ける程に窶れた姿ではあった。
「ルーン公殿下……!! 随分お辛い目に遭われたのですね!」
室に案内されてアルフォンスの姿を一目見るなり、ティラールは同情に顔を歪めてそう言った。
「ティラール卿、わざわざこんな所に見舞い頂いて痛み入る。このような姿で申し訳ない。まだ自力で起き上がる事が出来ないのでね」
ティラールの背後で静かに扉が閉まる。室内には、半身を起こしたアルフォンスと立ち尽くしたティラールのみが残された。無論、ウルミスは扉の向こうで神経を集中させて聞き耳を立てている。
ティラールは寝台に向かって進み、跪いてアルフォンスの手をとった。
「どうか、一日も早く回復を……!」
さすがにアルフォンスも驚いて、
「お立ち下さい。そちらの椅子をどうぞお使い下さい」
と言った。言われると素直にティラールは椅子を引き寄せ、アルフォンスの枕元に寄せて座った。
「随分お窶れではありますが、最悪の場合も予想されていただけに、ユーリンダ姫に朗報を持って帰れそうで何よりです」
「娘の為を思って見舞いにいらして下さったのですか。まさか、娘が我が儘にねだったのではありますまいな?」
既にウルミスから答えを聞いている問いをアルフォンスは口にしたが、ティラールは生真面目に首を横に振った。
「いいえ、この報を受けてから姫にはお会いしていません。ローゼッタ嬢にお聞きしてすぐ、わたしの独断で旅立ったのです。ふらふらしているこのわたしでも、姫のお役に立つ事が出来ると思って」
「ローゼッタ……ローゼッタ・ドース嬢ですか?」
「ええ、姫と懇意にされていて、今はファルシス卿やアトラウス卿との連絡役もなさっているとか。悪い事をいう人もいるようですが、真摯で心根の優しい令嬢だと思います」
「そうですか」
ローゼッタと言えば、アルフォンスも妻と同様、ファルシスの最初の恋人という噂の印象しか持たない。だが、どんなに悪評高かろうと常に毅然として物怖じしない彼女に対して、妻のように悪印象は持っていない。引っ込み思案で友人の少ない娘に、少なくとも一人は彼女のようなしっかりした令嬢が傍にいてくれるのなら、娘にとっては心強い事だろうと思えた。
「戻られましたら、ローゼッタ嬢にわたしから、娘や息子に力添えして頂き感謝している、とお伝え下さい」
「わかりました、必ず」
「ローゼッタ嬢からお聞きになったとは意外でした。他からお耳に入る事はなかったのですか?」
「箝口令が敷かれていたようで、噂には上っていなかったようです。と言っても、殿下がお発ちになってからは、わたしのところへもぴたりと来客が止んで、あまり情報源がなかったのも事実ですが」
「そうですか……皆、社交どころではないというところなのでしょうな。卿は退屈でおられよう」
そう言いながらもアルフォンスは、今までの言葉が真実なのかどうか見極めようと、穏やかな表情を纏いながらもティラールの口調や目線をつぶさに観察していた。半年間もアルマヴィラに滞在していたのだ。何かを探ろうとして来たのであれば、普通に考えれば既に様々な情報網を張っている筈である。だが今のところ、嘘をついているようには見えない。もし話をでっち上げるなら、ローゼッタの名など出さずとも、もっとありそうな事を言うのではないだろうか。今はどうであるか判らないが、少なくともアルフォンスが知っていた限りでは、過去にユーリンダとローゼッタにはあまり接点はなかった筈である。
「退屈など、そんな不謹慎な気持ちはありません。悲しみに暮れておられる姫をどうにかして少しでもお慰めできないかと、そればかり……そして、一日も早く、殿下の無罪が確定して無事にお帰りになられるようにと」
「卿、あなたはわたしが無実であると信じて下さるのか?」
静かにアルフォンスは尋ねた。僅かでもこの若者が動揺するだろうかと思いながら。
「はい、勿論。ただ崇拝する姫の父君だからという訳ではありません。この半年間、何度もお話させて頂き、また様々なお計らいのなさいようなど身近で学ばせても頂きまして、殿下の高潔なお人柄にはただただ頭の下がる思いでございました。殿下は絶対に、卑劣な犯罪に手を染めるような方ではありません。わたしは色々な土地を旅してたくさんの人に会いました。ですから、わたしはばかですけれども人を見る目だけは養ってきたと自負しております」
ティラールの深い緑色のひとみは、ただ誠実さのみを湛えている。
「もしも殿下を義父上とお呼びする夢が叶えば、わたしは王国で最も優れた父親を二人も持つ事になるのだと、有頂天に考えた時もございました」
「……しかし、卿の父君は、そうはお考えではないのではないかな?」
ティラールの熱意ある言葉を遮るようにアルフォンスは尋ねた。ティラールの頬が引きつった。
「昨日、団長閣下から伺いました……父が殿下を陥れようとしていると……リ……王妃陛下もそうであると……」
(おいおい、そこまでは言ってないぞ)
扉に張り付いて聞き耳を立てているウルミスは、会話が聞き取りづらいのに苛立っていたが、この台詞ははっきり聞こえたので、内心舌打ちをした。
『宰相閣下には何かお考えがあってあの時沈黙されていたのだと思います』
と言っただけなのに! 確かにそういう含みはあったが、こんなにはっきりと口にされるとは思わなかった。相手がアルフォンスだからよいものの、この調子では余人にもそう言って回るのではないかとウルミスの胃は痛んだ。すると、
「金獅子騎士団長がそのような迂闊な事を仰るとは思えません。卿は何かお取り違えになっているのではないですか」
諭すようにアルフォンスが言ったので、ウルミスは僅かにほっとする。
「取り違えるなど……わたしは起きている間ずっと、団長閣下が仰った事の意味を考えていました。団長閣下は告発の場に立ち合われたそうで、その時の父の様子を……」
「わたしも聞きました。宰相閣下は、ラングレイ公やウルミス卿とは異なる考えを持っておられる。しかしだからと言って、それがわたし個人もしくはルーン家への悪意につながるとは断言できません」
「では、殿下は、父はこの件には無関係であるとお考えなのですか?!」
ティラールの顔がぱっと明るくなる。だがアルフォンスは落ち着いた表情を崩さずに、是とも非とも言わなかった。
「ティラール卿、あなたはバロック公のご子息なのですから、発言には気をつけられねばいけません。これは、見舞いに来て頂いた礼として、わたしからの心よりの忠告であると思って頂ければ幸いです。殆どの者は、あなたのお言葉がそのまま宰相閣下のお考えに沿っている筈と考えるだろうし、あなたが、誰かが宰相閣下を悪く言っていたなどと仰れば、あなたに他意はなくともその者の進退に関わるような事にもなりかねない。それをどうか常に心に留め置いてください」
「わたしは団長閣下が仰った事を父に言うつもりなどありません。勿論他の誰にも。殿下だから申し上げたのです」
ティラールはやや不服そうに答えた。
「解っています。しかし、いついかなる時でも、言葉にするだけで危険を伴う事はあるのです。ましてわたしは大逆の疑いをかけられた者……」
「わたしは殿下を信じると先程申し上げました。わたしは回りくどい言い方など出来ないのです。だから父もあえてわたしに兄たちのように宮廷に上がれとは言わなかった。しかし、ご忠告は有り難きものと受け止めます。父はもう諦めて、そんな事は言ってくれませんから。その上で、殿下の御本心をお聞かせ頂きたいのです。父は何かの企みを持って殿下を陥れようとしているとお考えなのかと」
「卿にとって宰相閣下は揺るぎなき正義の番人で模範的な父君であると、以前仰っていましたね。わたしが、それは違うと言えば、卿は長年の父君に対する考えを変えられるのですか?」
「それは……わかりません。どのような理由でそう仰るか、それ次第です」
ティラールは緊張した面持ちで答えた。アルフォンスはじっとティラールの緑色の目を見つめた。
「わたしの本心が聞きたいと仰るのなら、まずはわたしから卿の本心を伺いたい。本心……というよりも、何をどこまでご存じなのかという事を。よろしいですか?」
「は、はい。わたしが知っている事など、本当に限られています。知らない、と言っても信じて頂けないかも知れませんが、わたしがユーリンダ姫を想う気持ちにかけて偽りは申さぬと誓います」
ふっとアルフォンスは笑った。普通の貴族の青年なら、自分の名誉にかけてとか陛下への忠心にかけてとか言うものだろうに、と可笑しく思ったのだ。
「わたしは、卿が娘を想って下さっている気持ちには何の疑いも持っていません。まったく果報な娘です。それでは、まず簡単な事を教えて頂きたい。わたしがアルマヴィラを発ってからの都の様子……特に、アトラウスの様子を」
ティラールは、知る限りの情報を伝えた。殆どはローゼッタから得た情報である。即ち、ごく短期間のうちにアトラウスが領主代行として都警護団をまとめあげ、金獅子騎士団ともうまく付き合いながら、暴動すら起こりかねない火種を含んでいた都民を一応落ち着かせているという事を。
「正直、アトラウス卿にあれ程の力量がおありとは思っていませんでした。ただの陰気……いや、物静かで優しげな方とばかり」
(やはり……)
とアルフォンスは思う。アトラウスが何を思って動いているのか、確信は持てない。ただ、常に謙虚でファルシスより一歩下がっていたアトラウスは、実は希有な能力を持ちそれを隠しているのではないかと日頃からアルフォンスは思っていた。このような有事の際に、元はどちらかというと軽んじられていた彼が表に立って皆をまとめるのは並大抵の事ではない。
「聖炎騎士団の方はどうなっていますか?」
「団長のウィルム殿はファルシス卿寄りの姿勢が明白である為、金獅子騎士の監視が厳しいようです。その為、騎士の方々はあまり大きな動きがとれないようです。あの、これもローゼッタ嬢から聞いたのですが、ファルシス卿とアトラウス卿は喧嘩をなされたとか」
「喧嘩?」
意外な情報にアルフォンスは軽く驚きを見せた。ティラールは声を落とした。
「喧嘩といっても、ローゼッタ嬢が言うには、それは金獅子騎士を欺く為の芝居だそうです。仲違いをしているようにみせた方が、万が一の際に動きがとりやすいからと」
「動きとは何でしょうか? 万が一わたしが処刑される事になった時に、アトラウスはわたしの家族を逃がすとでも?」
流石にアルフォンスもウルミスに聞こえないように声をひそめた。金獅子騎士団を欺くような企み……それを知ればウルミスは、見逃すかどうかの苦しい選択を強いられる事になる。見逃してくれと言えるような事でもない。
「アトラウス卿はそうお考えのようです。わたしはわたしでユーリンダ姫だけは何としてもお救い申し上げるつもりですが、正直、わたしだけの力では、公妃殿下やファルシス卿までには及ばない」
そう言うとティラールはやや声を大きくして、
「何もやましい手段で姫を奪還するつもりではありません。姫をわたしの妻としてバロック家に迎え入れると宣言し、お連れするのです。そこから先、姫がどうしてもわたしを嫌だと仰せなら、安全な場所にお移しした後に離縁します」
と得意げに言った。
「娘を救って下さろうというお気持ちは有り難いが、それではお父君のお怒りをかうのではありませんか?」
また声を戻してアルフォンスは尋ねた。そもそも、誰の許しもなしにそんな事が可能だとは思えないが、ティラールは自分の計画に自信を持っているようである。
「それで父に勘当されても構いません。父に報告が入る前に有無を言わせず行動します……勿論、これは万が一の話で、本来起こってはならない事ですが」
アルフォンスが処刑されたら、という前提の話である。胸を張って言う事ではない、とティラールは気づいて勢いを弱めた。だがアルフォンスは構う風もなく、
「そこまで……娘の為を思って頂きありがとうございます。しかし、どうか御身の事を第一にお考え願いたい」
と感動した様子を見せながら言った。こんな馬鹿げた計画を大真面目に語るのは、確かにそれが本心だからであろうと思えた。但し、余計な真似でかえってユーリンダの身を危うくされてしまう危険も内包している。
「卿が最初に娘に近づかれたのは、お父君のお指図だと思っていました。違いますか?」
はっとティラールは緊張を強めたが、やがて素直に、
「そうです」
と答えた。
やはり一章には収まりませんでしたorz
次章で会話パートは一旦終わり!
その次からは新展開となりますのでよろしくお願いします。