2-43・対談の朝
ウルミスは直ぐにオリアンに宛てて書状をしたためた。前の書状が偽物であったとは触れなかった。偽の書状を信じてしまった事を責めるつもりはないし、カレリンダ妃をすぐに私邸に戻させる訳にもいかない。だったら余計な事を書いて混乱を深めるのはよくないと判断したからだ。ディクスの件は、いずれはおおやけにせねばならないが、今暫くは伏せておきたい。アルマヴィラへ戻るダインにはもう一人腕の立つ者をつけるつもりだが、それでもまた書状が奪われる危険がない訳ではない。必要でかつ敵に知られても問題ない事以外を書くのは躊躇われた。
『公女殿下の拉致または暗殺を企てる者がいるとの情報がある。くれぐれも公女殿下に失礼のないよう、御身に害の及ばぬよう、金獅子騎士として命を賭して警護するように』
この気持ちがオリアンにも伝わればよいが、とウルミスは切に思った。書状を書き終わる頃には夕暮れになっていた。ノーシュもオリアンに宛てた書状を持ってきた。ノーシュはオリアンと親しい。しかしウルミスは元から、ノーシュ程にはオリアンに信を置いていない。有能で大事な部下ではあるが、自信過剰で弱者に容赦ない面がある。根は真面目で腕も立つのだが……。ともかく、二通の書状をダインに託し、もう一人しっかりした者をつけて、二人の無事を祈り、くれぐれも用心するように、そして急ぐよう命じて送り出した。
アルフォンスの室を覗くと、薬湯が効いてぐっすり眠っていた。ウルミスは、医師に別室でゆっくり眠るように言い、これまで医師が使っていた仮眠用のソファに横になった。何が起こるか判らない。なるべくアルフォンスの傍で護るべきだと考えた。だがその晩は何も起こらず、何かあれば飛び起きるつもりのウルミスも、これまでアルフォンスの容態を心配していた夜と違い、切れ切れに目覚める事のない睡眠をとる事が出来た。
そして朝。アルフォンスは朝日に包まれて目覚めた。
「ウルミス?」
傍らの親友に声をかける。昨日より随分しっかりとした声だ。
「あ、ああ、夜が明けたのか。気分はどうだ?」
「昨日よりかなり良いよ。熱も下がったみたいだ。そんな所で寝ていたのか。済まないな。今までずっと?」
アルフォンスは昏睡状態にあった間に周りで行われていた事を知らない。これまではウルミスは治療の妨げにならぬよう隣室にいた。一層警戒しなければならないと思ったのは、勿論使者が襲われた事が原因だ。しかし昨日はその事はアルフォンスに話していない。ティラールと会わせる前にその事を……バロック公以外にも敵が存在して、ユーリンダの身に危険が及ぶ可能性もあると教えた方がいいだろうか? 出来れば心痛をかけずに療養に専念して欲しいが……とウルミスは迷った。
そんなウルミスの表情をアルフォンスは静かに見ていた。
「何かまた悪い事があったのか? どうか気を遣わずに全ての情報を伝えて欲しい。知らない事がある事がわたしの一番恐れる事だ」
ふう、とウルミスは吐息をついた。
「きみに隠し事はできないな。既に頭の方はすっかり回復したようだし……」
「知らない事があるとティラール卿の真意を見極めるのに差し支える。教えてくれ」
そこでウルミスは、使者がすり替えられてカレリンダが大神殿に移されたという事実のみを話した。ダインが語ったユーリンダの哀れな様子には触れずに。アルフォンスは難しい顔で黙って聞いていた。
「一体何の目的でそんな事をしたのだろうか」
当然の疑問をアルフォンスは口にした。
「大神殿にいれば妻の身は一層安全だろう。何しろ聖炎の神子なのだから、魔力が強まる大神殿の中では何者かに襲われる危険は私邸に比べればずっと少なくなる。だが、娘は……」
「そう、わたしもそれを心配して、一層ユーリィの警護を強めるようにと、既に昨夜使者を送った」
「バロック公らしくないやり方だが、それもティラール卿と話せば何か掴めるかも知れない。わたしの考えがまるで間違っていて、ティラール卿が父親の手先でなければ、だが」
冷静な口調だが、愛娘の身をひどく案じている様子が窺える。
「優秀な部下をつけているから、そうそうユーリィの身に危険が及ぶとは思えない。そこはあまり心配しないでくれ」
内心では自信の持てない事を言ってウルミスは励ました。しかし本当に、金獅子騎士団として失態続きなのだから、この上更に得体の知れない『敵』に翻弄される訳にはいかない。情報が欲しい。こんな田舎に留め置かれたような状況では、出来る事はひどく限られる。王都へ戻りさえすれば色々とつてはあるが、王都へ入ってからでは裁判までの時間が少ない。
ティラールが朝餉をとり終わった頃を見計らって、ウルミスは彼を呼びに行った。ティラールは既にきちんと身なりを整えて、声がかかるのを待ちかねていた様子だ。
「ルーン公殿下のお加減はもう心配ありませんか?」
心から案じているようにティラールは尋ねる。
「昨日より随分お顔の色も良いようです。しかし、あまり長話はお身体に障るかと思いますので、なるべく手短にお願い致します。わたしは扉の外におりますから」
ティラールはウルミスの言葉に驚きを隠さなかった。
「団長閣下は同席されないのですか? どうしてわたしをそこまで信用して下さるのですか?」
あまりに直球な問い返しに、ウルミスは言葉に詰まる。ウルミス自身はこの若者をそこまで信用している訳ではない。ただ、アルフォンスのたっての頼みだから仕方なく許可しただけだ。アルフォンスは何か大事な書状をティラールに託すつもりのようだ。この自分にも見せられないようなものを……そう思うと、流石にあまり快くは思えない。しかし、後日説明すると言うからにはその機会を待つしかない。
『たの……む、む、息子に……つたえてほしい……』
『わたしの……書……ルーン家の……アルマヴィラの、秘……』
危篤状態の時にアルフォンスが口走ったあの言葉。恐らく、代々ルーン公爵家のあるじとなる者に受け継がれる秘伝のようなものを、嫡男ファルシスに伝えたいのだろう。その気持ちは解る。アルフォンスがもし有罪となればファルシスがルーン公となる可能性はないのだが、それでも弟カルシスより息子に託したいものがあるのだろう。だが、それ程重要なものを、この敵か味方か判らぬ男に託すなど、ウルミスには殆ど狂気の沙汰のように思える。先程ウルミスはこう言った。
『大事な書状を敢えてティラール・バロックに託すのは何故だ? わたしにも見せられないルーン家の秘伝ならば、わたしが検閲した事にして中身は見ずに信頼できる部下に届けさせても構わないぞ』
『団長閣下がそんな掟破りをしてはいけないよ。それにわたしから息子に宛てた書状を持った使者、となれば、『敵』に狙われる可能性が高い。しかし『敵』もまさかわたしがティラール卿にそんな大事な物を預けるとは思わないだろうし、何者にせよ、さすがに宰相の息子を襲う事もないだろう。勿論、これは賭けだ。書状の内容は、息子にしか意味が解らないようにしてはあるが、それでも万一バロック公に渡ってしまうとかなりまずい』
『やはりわたしは同席してはいけないか? わたしももっとティラール卿の人となりを知りたい。検閲など、した事にしておけばいいではないか』
『いや、きみはわたしが彼に書状を託す事もその内容も知らないという形にしたい。そうでないと、後日どんな形できみに迷惑が及ぶか判らない』
『迷惑など、わたしが今更恐れると思っているのなら心外だな』
『わたしが恐れているんだ、きみをこれ以上わたしのせいで危険に巻き込んでしまう事を』
頑としてアルフォンスは譲らなかった。
「信用しているのはわたしではなくルーン公殿下です。卿とどうしても二人きりでお話なされたいと。正直、わたしは反対したのですが」
「なるほど、それで合点がいった。良かった」
とティラールは気を悪くする風もなく朗らかに言った。
「良かった……とは?」
ウルミスは不思議な返答に怪訝な顔になる。
「金獅子騎士団長ともあろうお方が、そんなにすんなり会ったばかりの人間を信用するなんて大丈夫なのだろうか、と思ったのです。日頃は国王陛下を護衛されているのですから、何にでももっと疑い深くかかられる筈だ」
「……」
こんな若者に『大丈夫なのだろうか、と思った』などと言われて、ウルミスは内心むっとしたが、あまりにも開けっぴろげな物言いに、何とも言えぬ気分にもなる。本心を思いつくままに口にしているなら短慮と思うが、もしかしたらウルミスを怒らせて揺さぶりをかけるつもりなのかも知れない。単純なのか裏があるのか、測りかねた。
「しかし、団長閣下が同席すると仰れば、ルーン公殿下にそれを拒む権利はないのでは?」
「そう……本当は、わたしは同席すべきなのです。でも、公がどうしてもと仰るから、黙認します。わたしが同席しなかったなどとは公言しないで頂けますか?」
「それは、特別に取り計らって頂いているのですから、決して誰にも言いません。でもどうしてそこまでしてルーン公殿下のご意向を尊重されるのですか?」
「わたしはこの件すべてに関して、最も公を信じているからです。お父上にそう伝えられても構いませんよ」
ウルミスはやや挑発的に言った。どうせ宰相には判っている事だろうが……。
「わたしは父の間諜ではありませんよ。……いや、正直に申し上げれば、最初はそういう気持ちもあったかも知れない。ルーン家に入り込んで父の求める情報を手に入れる事で父に喜んで貰おうと」
「宰相閣下の求める情報とは何なのですか?」
ウルミスの背に汗が滲み出る。軽く探りをいれてみただけのつもりが、とんでもなく重大な情報が引き出せるかも知れない。だが、あっさりと肩をすくめてティラールは答えた。
「それは解りません。何しろ、ユーリンダ姫の夫となる事に失敗してしまいましたから」
拍子抜けしてウルミスは肩を落とした。
「そうですか……ではともかく、ルーン公殿下もお待ちですから、参りましょうか」




