2-42・ノーシュの思い
ノーシュはもう一人若者を従えて入室した。アルマヴィラに残した騎士見習いの一人である。
「丁度いま、オリアンからの返書を携えて到着しました」
そう言うとノーシュは若者を促した。若者は、
「確かにオリアン様より団長閣下へと承ったものでございます」
と言い、懐から書状を出しておずおずとウルミスへ差し出した。
「待っていた」
ウルミスは動悸が高まるのを感じながら書状を隅から隅まで読んだ。やはり、ティラールの言った事に間違いはないようだ。命令通りにルーン公妃を大神殿に移送したという報告書だった。ウルミスは思わず呻いて頭を抱えた。
「団長閣下? いかがなさいましたか」
ノーシュが不審そうに問う。
「アルマヴィラで変事でも?」
「いや違う。いや……そう、そなた、ダインだったな、役目ご苦労であった」
ウルミスは緊張に身を固くしている騎士見習いに声をかけた。彼にとってはウルミスは遙か遠い憧れの存在である。名前を覚えられている事に深く感激した様子で深々と頭を下げた。だがウルミスは内心、この若者に満足している訳ではない。ティラールが着くより早く、この書状を届けてもらいたかった。オリアンは、緊急性の高い内容ではないと判断してこの若者を使者にしたのであろうが、もっと早く駈けられる者がいた筈だ。しかし今更咎めても仕方がない。
「そなた、ディクスを知っているか? わたしがアルマヴィラへ使者として派遣した者だ」
「ディクスですか? 同じ見習い同士、親しくはありませんが見知ってはいます。しかし、団長閣下が遣わされたのは雇われた者だったと聞いていますが……?」
ダインは訝しそうに答えた。ウルミスは唇を噛んだ。ディクスはもう生きてはいまい。これでこの件に関わった部下を二人も死なせてしまった。
「その、雇われたと言った者はどうしたのだ。留め置いてあるか?」
無駄だろうと思いながら尋ねると、「オリアン様が報酬を渡されて帰しました」と予想通りの答えが返ってきた。オリアンはその男を真の使者だと信じたのだから当然の事だろう。自分の筆跡を良く知り尽くしている筈のオリアンが信用したのだから、書状も押印も余程巧みに偽造されていたのだろう。
「どうしたのですか、団長閣下? まさかディクスが……」
今の会話からノーシュはある程度何が起きたか悟ったらしい。
「ダイン、カレリンダ妃が移送された時の様子を話してくれ」
ダインは他の騎士や見習いたちと共にその場に居合わせていたので、真夜中にそれが行われた事、ユーリンダが泣きながら追い縋っても届かなかった様子などを見たままに話した。
「本当にお可哀想なご様子でした。姫君には何の罪もないのでしょうに、あの美しくか弱げな方が、裸足で砂利道を走って行かれて……」
若いダインはユーリンダ贔屓のようだ。確かにあんな美しい姫には王都でもなかなかお目にかかることはない。その時のユーリンダの気持ちを思うとウルミスは哀れでならなかった。だが、この件についてティラールの語った事は本当にそのままだったのだとこれで確認は出来た。
「ダイン、下がって休んでよいぞ。またオリアンへ返書を用意するから、それを届けてほしい」
「かしこまりました! ありがとうございます!」
騎士見習いの若者は丁寧に礼をして下がっていった。
「何が起こっているのですか、団長閣下! ディクスは死んだのですか?」
ダインの足音が遠ざかるや、ノーシュは顔色を変えて問うた。
「ああ……多分。何者かがディクスを襲い、使者として入れ替わったのだ。余程の手練れだろう。金獅子騎士団の使者が襲われるなど、あってはならない事だ。ノーシュ……最初から重大事とは判っていたが、事態は我々が思っていたより遙かに緊迫しているようだ」
「何の為に何者がそんな事を?! 陛下直属の金獅子騎士団の者を襲うとは! 陛下のご威光が行き届いたこの時世に、そんな不届きな事を企む輩がいるなどとは……!」
ノーシュは動揺を隠しきれない。これは単にルーン公が誰かに憎まれて……という事とはまるで次元が違う。金獅子騎士団の伝令を殺して成り代わるなど、それ自体が国王への反逆だ。かなり大きな企みが裏で進行しているとしか思えない。
「何者の仕業かはまだ判らない。だがノーシュ、これでひとつ判って欲しい事がある。何者かが、ルーン公一家を陥れようと策略している事を。娘を殺された者の恨みなどという話ではないと判るだろう? ルーン家を陥れる為に陛下への反逆行為すら辞さない者がいるのだ。今回の事件そのものが、ルーン公の失脚を狙って捏造されたものに間違いはない」
「……」
ノーシュは腕を組んで考え込んだ。『疑いをかけられる者にはそれだけの理由があると思う』と言い切った彼である。いきなり、ルーン公が無実で逆に被害を受けている立場なのだ……と納得させるのは難しいかも知れない。しかし、ウルミスが信頼できる者は限られている。ウルミスは息を呑んで彼の次の言葉を待った。
「団長閣下」
ノーシュは静かに言った。
「な、なんだ?」
「閣下に、そしてルーン公殿下にお詫びせねばと思います」
「ノーシュ!」
ほっとウルミスは息をついだ。
「正直に申し上げます。わたしはこの事件が起きる以前より、ルーン公殿下を好ましく思っておりませんでした。ルーン公殿下はあまりにも真っ直ぐで無欲で善良で徳の高いお方……そう見えました。しかし、七公爵のお一人ともあろうお方が、何の狙いもなく宮廷でそのように振る舞えるものか? ラングレイ公殿下のようにお歳を召したお方ならともかく、まだお若く……。宰相の地位は別段世襲制でもない、陛下のご贔屓さえあれば、次の宰相となっても不思議もないお立場です。陛下が王太子であられた頃から取り入って、無欲なふりをして次の宰相の座をお考えになっている……わたしにはそのように思えたのです。わたしが歪んでいるのかも知れません。しかし、同じように思っていた者が意外と多かったのも知っております。そして、そのように二つ心のある方と閣下が親しくなされているのも……わたしはよくない事と思っておりました。オリアンも以前同じように申しておりました。今回の告発で、わたしは、失礼ながらルーン公殿下が馬脚を現したと思ったのです。陛下のご贔屓を笠に着て諫言した挙げ句に寵臣の地位を失い、暴挙に出られたものかと」
「そんな事を考えていたのか」
眉を顰めてウルミスは言った。ノーシュは構わず続けた。
「先日閣下に申し上げた事は全て真意です。閣下がルーン公擁護に回られる事で苦境に陥られるかも知れないと思うと、益々ルーン公殿下が憎く思えました。しかし、先程わたしの考えは揺らぎ始めました。閣下がわたしにルーン公殿下の警護を任されて場を離れられた間の事です。公は疲れ果てたように眠っておいででした。閣下に任された上は何があろうとお守りする、という言葉に偽りはございません。しかし同時に、毒でお亡くなりになっていれば何もかも面倒ごとはなくなったのに、という気持ちもあったのです。しかし、公はお目覚めになるとまず、わたしを見られて、『ああ、副団長どの。警護に感謝する』と仰せになりました。わたしはうろたえてただ、『団長閣下のご命令ですから』としか言えませんでした。日頃より無礼としか言えない態度をとってきたわたしに対して、弱ったお身体でお目覚めになられてまず礼を言われるなど、想像もしていなかったからです。続いて、介添えの女性が休憩から戻ってきました。『ああ、ルーン公殿下、お目覚めになられたのですね!』と彼女は嬉しそうに言いました。すると公は『あなたがわたしの世話をしてくれたのか、ありがとう』とまた礼を言われたのです。わたしは今度こそ驚きました! 彼女は医師の助手ですがただの村人に過ぎない。一見してそうと解る者に、大貴族であられる公が礼を仰るなど、わたしには信じがたい事でした。大貴族どころか男爵程度の者ですら、村人など税をとる為に存在しているだけであって同じ人間とも思っていないような言動をとる者も多く見てきましたから。彼女も驚いて、『とんでもありません、私のような者にお礼など仰る必要はございません』と言いました……なかなか気の利いた女性でしたな。すると公は、『世話になったのだから礼を言うのは当たり前だ』と仰ったのです。あのように弱ったお身体で、わたしと村人の前で、咄嗟に善人ぶる事など出来ようもないし、必要もない。心からのお言葉だと思いました。公はわたしに、天気はどうかとか、何か話しかけられていらっしゃいましたが、わたしは上の空で短い返事しか返せなかったように思います。わたしの中で、この事件に対する考えが根底から揺らぎ始めたからです。それでもまだわたしは、証拠があるのだからとか、陛下がお怒りなのだからとか考えようとしました。自分の過ちを認めたくなかったのでしょうな。そこに、訪問者は確かにティラール卿であると閣下がお認めになったと知らせが来て、公が『早く会いたい』と呟かれたのでつい、それをすぐにお伝えしてしまいました。混乱していたので、公がティラール卿とお会いになる様子を窺えば、色々な事が判ると思って急いてしまったのです」
「公は、そなたは生真面目なのか意地悪なのか、と言っていたぞ」
ウルミスはにやりとして言った。
「意地悪などと……しかしこれまでのわたしの態度を考えれば、そうとられても仕方ありません」
「そなたに悪意はないと言っておいたし、かれはちゃんと解っている。それで? 今はどう考えているのだ?」
「我々金獅子騎士団の使者を襲って入れ替わるような企みは明らかに陛下への反逆、そして我々への宣戦布告と思えます。ルーン公殿下にもし、その意を汲んで反逆を続けようという部下がいたとしても、この企みは何一つ公へ利をもたらしません。つまり、ルーン公殿下以外に陛下への反逆と、そしてルーン公御一家を害しようとを企む者たちがいるという事になる。それが明らかになった今……そして公のお人柄がわたしにもようやく理解できた今、ルーン公殿下へ対する告発そのものが怪しい、と考えざるを得ません」
「そうか……ようやく解ってくれたか」
ウルミスは、蓄積された疲労も吹き飛ぶ思いで副官の肩を叩いた。
「申し訳ありません、閣下。思えば、閣下がこれ程信じておられるのですから、わたしももっと閣下のお考えに沿って物事を考えるべきだったのです」
「いや、そなたはルーン公をそれ程知っていた訳ではないのだから仕方がない。村人に礼を言ったくらい、わたしは何ほども驚かない。いつだってかれはそうだからな。かれが次の宰相の地位を狙っているなど、妄言も甚だしい。それならばまず、ユーリンダ姫を宮廷に上がらせている筈だ」
「そうですな。閣下はご存じなかっただろうと思いますが、ルーン公殿下が姫君を宮廷に伴わないのは、姫君は精神的な病を持っておられて表に出す事ができないからだろう、などと噂されていたのですよ。わたしもそれを半分信じていました。しかし先日、あの朝にお見かけした限り、そんなところはなく、ただ美しく優しげな姫君としか見えませんでした」
「当たり前だ! わたしは姫を生まれてすぐから知っている。あの姫は、両親を更に純粋さの塊にした結晶のような姫。権謀渦巻く宮中でとても安らいで過ごす事はできない気性、ただそれだけで、ルーン公は姫を宮廷に伴わなかったのだ。ルーン公は姫を溺愛しているから、自身の出世の道具にしようなどという、よくありがちな考えは一切持ち合わせていないのだよ」
「そうなのでしょうな。そこで閣下、今回の件ですが、一体我々の敵は何の為に公妃を大神殿に移送させたのでしょう? 公妃殿下にとっては不本意な事でも、聖炎の神子である公妃殿下が大神殿に入れば、その御身はより安全なものになるでしょう。しかし、ひとり私邸に残されたユーリンダ姫は……? 勿論オリアン以下、騎士たちが護りはするでしょうが、大神殿の方へも人手が分散された為、これまでよりも手薄になるのは否めないでしょう」
「敵の狙いはユーリンダ姫の身柄、或いは命だと思うのか」
それはウルミスも考えていた事だった。ユーリンダを誘拐し命を盾にとれば、アルフォンスは敵の言いなりに罪を認めてしまうかも知れない。最も恐るべき罠だと言える。
「そういう可能性も考えられると申しているだけですが……しかし閣下、そもそも『敵』とは何者なのでしょうか」
「うむ……」
ウルミスはこれまで、アルフォンスの敵はバロック公であると考えていた。険悪になった経緯やアルフォンスが処刑された場合の得、そして告発の時の態度から。孫娘の王妃から国王へアルフォンスの咎を吹き込ませ、大神官をも巻き込むような大がかりな陰謀を企てる事は、まさに宰相にしか出来ない事のように思われた。だが、今回の事は、『アロール・バロックらしくない』。国王直属の金獅子騎士団の一員を理由もなく傷つける事は、いかに宰相といえども、『国王への反逆』の誹りを免れない。そこまで危険を冒さなくとも宰相は既に充分過ぎる程優位に立っているのだし、娘を質にとるなどというやり方を、あの矜恃の高いバロック公が選ぶとは到底思えない。息子の妻にしようとした位だし、ユーリンダ自身に何か、バロック公が手に入れたがる価値があるのだろうか? いや、仮にそうだとしても、それならそれで、もっと他に危険の少ない方法があった筈だ。
「判らない。情報が少なすぎる。とにかく、ディクスがどこでどうなったのか、調べさせよ。街道を辿れば、何か目撃した者がいるかも知れない。それから、わたしからもオリアンに返書を書き、一層警備を固めるよう……姫を見張るのではなく害が及ばぬよう、改めて徹底させるつもりだが、そなたからも一筆、オリアンに添えてくれないか。オリアンも今までのそなたのような考えで、ルーン公一家を『敵』と思っているのなら、その認識を改めてもらわなくては困る」
「承知しました。あれはあれで頑固な男ですから、それで納得するかどうかは判りませんが」
「まあとにかく頼む。あとは、ティラール卿が明日の会談で何か新しい情報を出してくるかどうかだな」
期待薄だが……とはウルミスは口にしなかった。アルフォンスの願い通りに二人で対談させるつもりだという事も。ようやくアルフォンスを認め始めたノーシュだが、生真面目な彼は異を唱えるに決まっている。ウルミスも立ち合う、という形にして、他の者はすべて遠ざけておくしかない。