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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第二部・陰謀篇
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2-41・書状

 介添えの女性に支えられて白湯を口に含んでいるアルフォンスは、先程よりだいぶ顔色も良くなったように見えた。ノーシュは窓に向かって立っていたが、ウルミスが入ってくると、「ではわたしはこれで」と入れ替わりに出て行った。

「副団長どのは相変わらず愛想がないね。気詰まりで仕方なかったよ」

 力なくも微笑を浮かべながらアルフォンスは掠れ声で言った。

「どうでもいい事を言ってないで黙って身体を休める事に努めてくれ。元気が出たのは結構だが、すぐにティラール卿に会いたいなど、正気か? 熱で頭がどうかしてしまったんではないだろうな?」

 半分本気でウルミスは尋ねた。何だか疲れがどっと出てきて苛ついてもいたのだ。

「いや、すまない。七日も無駄にしたと思うと気が急いてね……。しかし、わたしは『ティラール卿が来られたとは。早くお会いしたいものだ』と呟いただけで、すぐにと言った訳ではない。それを副団長どのが聞くなり伝言役を呼んで伝えてしまったのだ。彼は生真面目なのか意地悪なのか?」

「……なんだ、そうだったのか。いや、ノーシュには別に悪気はないと思う。許してやってくれ」

 どさりと枕元の椅子に腰を下ろし、ウルミスはくたびれ顔で介添えの女性に下がるように言った。

「なんなんだ、あの若者は。父親のやっている事を本当に何も知らないのか?」

「ティラール卿と話したのか。面白い若者だろう?」

 アルフォンスは弱々しく笑った。

「面白いというより、馬鹿なのか? いやしかし、あまり長話は身体に障るから今はやめておこうか」

「聞く分には構わない。話すとなるとまだあまり力が出ないが」

 相変わらず掠れた声で、しかし大分はっきりしてきた口調でアルフォンスは答えた。今朝までは昏睡状態であったのに、既に頭脳の回転は常時に戻りつつある友に感心しつつ、ウルミスはティラールとの対談を簡潔に話して聞かせた。まだ心労をかけるのは良くないと思い、何者かに書状が奪われカレリンダが大神殿に移送されたらしいという部分は除いた。

「ティラール卿の言葉が仮にすべて本意から出たものであるなら、ユーリィへの思い入れは相当なものなんだな」

 とウルミスは言った。公の場では姫と呼ぶにせよ、赤子の頃から可愛がってきた親友の娘である。いつも『ウルミスおじさま! いらっしゃいませ!』と満面の笑顔で迎えてくれ、娘のいないウルミスにとっては、実の娘のように可愛かった。なのにアルフォンスを馬車に乗せたあの時、見た事もない強ばった表情で仇を睨むように自分を見つめていた。ウルミスは思い出して嘆息した。いつか何もかも元通りになる日が来るのだろうか? アルフォンスの身体も心配だ。医師は後遺症が残る可能性が高い、と言っていた。昨年も剣の練習試合でウルミスとほぼ互角だった、未だ最盛期の青年の頃から衰えを見せぬ剣技はもう目にする事はできないのだろうか? ウルミスは、寝具の上に投げ出された痩せ細った両腕と今はげっそりと頬のこけた端正な顔を眺めた。

「そんな哀れむような目で見ないでくれ」

「あ、ああ、すまない、そんなつもりでは」

「わたしはルルアの国の門から帰ってきた。たとえ元通りの身体になれなくとも、自分の足で陛下の御前に立ち、自分の口で申し開きをする。なるべく早くここを発てるよう養生に努めるよ」

「そうだな。元々強い身体を持っているんだから。毒味役は数刻も保たずに死んだのに、こうして生還したんだから」

 それを聞くとアルフォンスはいたましげな貌になる。

「わたしのせいで……」

「いや違う。わたしの敷いた監視態勢が甘かったのがすべての原因だ。わたしがわたしの部下を死なせてしまったのだ。この事できみが気に病む必要はない」

 ウルミスはきっぱり言った。よく笑う気の良い若者だった。ウルミスは死んだ部下の事は決して忘れないし、何が原因であれ家族への謝罪と賠償を欠かした事はない。これは一生涯自分が負っていくべきものなのだ。

「それより、目の前の問題だ。アルフォンス、きみはティラール卿の行動をどう思う?」

「娘婿にしたいとは思わなかったが、まっすぐな青年だと思う。外見は父親似だが、他の息子たちと違って中身は全く似ていないようだな。アルマヴィラに来たのは明らかに、ルーン家に入り込むよう父親に言いつかったのだと思うが、今回の事は蚊帳の外なのではないかな。わたしは、かれが来たと聞いた瞬間に思いついた事があるんだ……」

 そこまで言って、アルフォンスは苦しそうに咳き込んだ。ウルミスは急いで白湯を飲ませる。

「もう休んだ方がいいだろう。話はまた明日にしよう」

「そうだな……だがひとつ頼みがある。ペンと紙が欲しい」

「書状を書くのか? もう休んで明日にした方が良いのではないか?」

「いや、今書いておきたい。そして明日それをティラール卿に……ウルミス、お願いだ、ティラール卿とは二人で話させてもらえないか」

「なんだって! そんな事出来る筈がない! きみは無力な病人で相手は敵の間諜かも知れないというのに、二人きりにさせられる訳がないだろう!」

 ウルミスは思わず叱りつけるように言った。

「まさかわたしに害なすことはないだろう。ウルミス、わたしはきみに隠し事をしたい訳ではない。だがきみの立場上、わたしが卿に書状を託す場に同席すれば、それを検閲しない訳にはいかないだろう? それはきみにとって良くないことなんだ。後日説明するが、今はもう……」

 アルフォンスの声は徐々に弱まり、耳を近づけないとよく聞き取れない。ウルミスは暫く険しい顔で親友の顔を見つめていたが、やがてわざとらしく大きな溜息をついた。

「ようやく命を取り留めてほっとしたばかりだというのに、何という我が儘な病人だ。どこまで心配をかけるんだ? いいか、戸口の外に張り付いて、何かあれば戸を蹴破って入るからな!」

「ありがとう」

 本当はもっともっと感謝の意を表したかったが、喉から声を絞り出しても今はもうそれだけ言うのが限界だった。ウルミスはアルフォンスの身体を起こして枕の上にクッションを置き、紙とペンを渡すと、窓際に椅子を移して座った。書状を書くのを明日にして会談は明後日にしてはどうかと思うが、どうせ言っても聞きそうにない。震える手を持ち上げ、たどたどしい手つきで大きな字を書いている痩せ衰えた姿を眺めながら、ウルミスはまた大きく溜息をついた。


 長い時間をかけて書状をしたため終わると、アルフォンスはそのままぐったりとクッションに倒れ込んだ。ウルミスはクッションをどけてアルフォンスの身体を寝台に横たえた。

「何もかも済まないな……この書はわたしの枕の下に置いてくれ……そう、それでゆっくり眠れそうだ」

 力尽きた風だがそれでもアルフォンスは感謝を込めた眼差しで親友を見上げて微笑した。

「無理をするな。少し熱が出たんじゃないか? 無理をしすぎてまた状態が悪くなってしまっては何にもならないぞ」

「大丈夫だ。明日にはもっと元気が出る筈だ」

「本当に明日ティラール卿に会うつもりなのか?」

「ああ、出来るだけ早い方がいい。向こうに伝わる前にアルマヴィラに戻ってもらわなくては」

 その時、扉が叩かれ、医師のネイベルの声がした。

「お話中でございますか?」

「いや、いい。入ってくれ」

 ウルミスが言うと、だいぶ疲れのとれた顔の医師が入ってきた。

「微熱があるようだ。早く薬湯を飲ませて寝かせてくれ。この病人は暫く起こしていると、また何かしたがるかも知れないから」

「大丈夫だと言うのに」

 拗ねたようにアルフォンスが言う。ウルミスは教師のように咳払いをしてその言葉を封じた。

「アルフォンス……きみときたら、まるで熱があるのに寝台から抜け出して遊ぼうとする子供みたいだ」

 ネイベルは思わずくすりと笑った。ルーン公爵と金獅子騎士団長……雲の上の存在でしかなかった人々が、自分の目の前でこのように市井の人間と変わりなく親しげに話している様子が不思議で可笑しかったのだ。医師はアルフォンスに近寄って、脈をとり、一通りの診察をした。

「解りました、明日の朝までぐっすりお休みになれるよう、そして栄養も摂れるようなものをすぐに調合致しましょう。微熱はゆっくりお休みになれば下がると思います。脈も呼吸も随分安定されてきました」

「それは良かった」

 無理のせいでまた容態が悪くなりはしないかと心配していたウルミスは、ようやく渋面を解いて笑顔を見せた。


 階下に下りて部下に問うたが、客人は旅の疲れで泥のように眠っている様子、との事だった。ウルミスにはまだすぐにしなければならない仕事がある。アルマヴィラへ遣った使いがどうなったかを調べるのだ。それから王都の方も。

 もし本当にカレリンダ妃が大神殿に移されているとしても、それをまたすぐにユーリンダのいる私邸へ戻させる訳にはいかない。騎士団長の命が間違って伝わるなど、あってはならない事だ。可哀想だが心細いのは我慢してもらうとして、それよりも誰が何の為にそんな謀を企てたのかを掴まなければ。場合によっては、本当にカレリンダやユーリンダの命に危険が及ぶかも知れないのだ。

「誰か、ノーシュを呼んできてくれ。相談したい事がある」

 こんな時に、今ここで頼れるのは、片腕であるノーシュしかいない。

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