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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第二部・陰謀篇
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2-39・ウルミスとティラール

「団長閣下、こちらですか?」

 時を同じくして、副団長のノーシュが扉を叩いた。

「ああそうだ。入っていいぞ」

 ノーシュが入ってくるとウルミスは微笑して、

「ルーン公が意識を取り戻した。もう命の心配はないそうだ」

と言った。ノーシュは意識して無表情を保ちながら、

「それはようございました」

 と答えるにとどめた。先日の口論から、ウルミスのルーン公擁護の決意を翻すのは無理と悟ったノーシュの態度は軟化した。だがあくまでルーン公に対しては中立の気持ちでいるようだ。

「ルーン公が助かったのはルルアの思し召しと思わないか? もしルーン公が罪人であれば、今頃は苦しみ抜いた挙げ句にダルムの闇獄に繋がれている筈」

 ダルムの闇獄または氷獄と呼ばれるのは、ルルアの国の真逆、救いようのない罪人が死して堕ちる永遠の牢獄である。死者の魂は安らぐ事なく真の闇の中で意識を保ったまま凍り付くと言われる。勿論これもルルアの聖典に記されている、誰もが知る話である。

「ルルアは生者の運命に関与なさいません。死して初めて人は自らの行く先を示されるのです」

 ウルミスの言をあっさりといなしてノーシュは言葉を継ぐ。

「それよりも、表に、ルーン公に面会を願いたいという者が来て騒ぎになっています。ルーン公は御病気ゆえ誰も通されぬと張り番が拒んだのですが、どうしても一目ご尊顔を拝したいと」

「なんだと? いったいそれは何者だ?」

 ノーシュは顔を顰めた。

「どうにも信じがたいのですが、自分は宰相バロック公の息子ティラール・バロックである、とその若者は申しています。わたしはティラール卿と面識がありません。他のご子息は宮廷でお見かけしたりご挨拶致した事もありますが、ティラール卿はかなり風変わりな御仁で、宮廷に出仕もせず、騎士の叙勲も受けずに各地を彷徨い歩いているとの評判ですからな。しかし、団長閣下なら話せば判る筈だから会わせろとその客人は要求しています」

「なんだと! いったいなぜ、宰相の息子がこんな辺鄙な村にやって来るというのだ!? しかもルーン公に会いに、だと?」

「わたしごときに解る事ではございませんが、まずは本物の宰相のご子息であるかお確かめになった方がよいのでは? 単なる痴れ者なら打ち据えて追い返すだけのことですし、間諜であれば捕らえねばなりません」

「うむ、そうだな」

 ウルミスは頷いたが、この場にノーシュ一人を残す事がやや躊躇われた。まさかアルフォンスに害をなすなどないと信じてはいるが、先日の「ルーン公ご自身の為にも、公の場で断罪されるよりも、ここでお命を落とされるのなら、その方が良いのではないですか」という言葉がつい頭に浮かんでしまった。ウルミスの考えが伝わったらしく、ノーシュは苦笑いをした。

「団長閣下。わたしは閣下が命じられれば、命尽きるまでその命を果たします。ルーン公のお身柄をお任せ下されば、例え百の暗殺者が現れようと、わたしは公を護ります。それがわたしの閣下に対する忠誠ですから」

「……勿論、解っている。よく解っているとも、ノーシュ。そなたは部下の中で最も信を置く副官だ。ただ、わたしは疲れていたんだ、許してくれ」

 ウルミスは素直に謝った。

「身に余るお言葉です」

 生真面目にノーシュは頭を下げた。


 ウルミスはノーシュを残して階下へ下りていった。宿の玄関の方が騒がしい。

「とにかく、ご身分を証明できるものをお示し頂きたい。宰相閣下の認め状も何もお持ちでないとは……」

「急いで出てきたので、そういうものを持って来るのを忘れたのだ。とにかく、騎士団長殿に会えば判る事だ! さっさと通してもらいたい!」

「今、取り次いでおりますので……」

 ウルミスは溜息をついた。どうしてひとつ良い事があるとその喜びも束の間に次の厄介事が起こるのだろう? 彼は喚いている若者を見た。20年程前に初めて遠くから見たバロック公を更に若くしたような面立ち。

「失礼。わたしがウルミス・ヴァルディン、金獅子騎士団を束ねる者です。貴方様は宰相閣下のご子息であるそうで?」

 丁寧にウルミスは話しかけた。ティラールと名乗った若者は嬉しそうに、

「そうです、バロック家の四男ティラールです。以後お見知りおきを。団長殿はルーン公閣下と御親友で聡明なお方とお聞きする。父の事もよくご存じでしょう。わたしの身分の証明が必要であれば、父の事をお尋ね下さい」

「……」

 宰相の事を、と言われても、もし彼が間諜であれば一通りの答えを用意しているであろう。それに宰相が使うような有能な間諜であればこんな大きな騒ぎにはせずとも、もっと自然な方法があった筈だ。ティラールであると証明できるバロック公の認め状も持たずに押し通ろうとは、普通の者は考えない。そんな事を思いつくのは、現実をろくに知らない愚か者くらいであろう。だが、ただの痴れ者にしてはバロック公に面差しが似すぎている。念の為にウルミスは若者に尋ねてみた。

「お父上の領地からの昨年度の税収は?」

 うっという顔で若者は答えに詰まる。もっと、父親の外見や癖などについて聞かれるとでも思い込んでいたようだ。政に関する情報は、バロック公の間諜であれば勿論頭に叩き込んでいる筈のことだ。

「答えられないのか!」

 張り番の若い騎士が強ばった面差しで迫った。

「待ってくれよ……ええと……」

 若者は冷や汗を流しながらしどろもどろになる。ウルミスはその様子に思わず笑ってしまった。道中、アルフォンスが倒れる以前、そもそも一連の出来事の発端ともいえるティラールの人となりの話は色々聞いた。政にはまるで興味がない様子だとも。その他の特徴もアルフォンスが言っていた通りだ。

「そなたたち、その方は確かに宰相閣下のご子息に違いない。失礼のないようにお通しせよ」

 ウルミスの言葉に、ティラールは顔を輝かせた。

「ありがとうございます、ヴァルディン殿! 判って頂けて安堵致しました」

「しかし一体、どうしてこちらにおいでなのですか? 従者の方は?」

「従者はどうせ反対するので置いて来ました。それで、ルーン公殿下のご容態はいかがなのですか?」

「……まあとにかくお入り下さい」

 本音を言えば宿に入れたくなどなかったが、まさか追い返す訳にもいかない。まずは時間を稼いで真意を探り出さなければ。父宰相の差し金で来たのには違いないだろうが……。ウルミスはアルフォンスの病室から離れた部屋にティラールを案内した。

「わたしはユーリンダ姫の為にルーン公をお見舞い申そうと参りました。まずは、公の容態をお教え頂きたい」

 室に通されるなり、ティラールは自ら見舞いに訪れた理由を言い出した。

「なんと、ユーリンダ姫がご依頼されたのですか? 宰相閣下のご子息にそんな……」

「いいえ、わたし自身の判断です。公のご様子や伝言をお伝え出来れば、姫がお喜びになるだろうと」

「それだけの為に? わたしがアルマヴィラに使いをやって七日……使いの知らせを聞かれてすぐに……?」

 そう言いながらウルミスはそもそもそれではティラールが到着するのが早すぎる、と思った。早駆けの使いなら三日の距離でも普通に宿をとりながら来れば、急いでも五日以上はかかる筈。やはりティラールは前もってこの事件が起こると知っていたのだろうか? しかし日数を数えればすぐに判る事、あからさま過ぎるとも思える。ウルミスは判断に迷った。

「知らせは、ある令嬢から聞いたのですよ。勿論、友人の間柄です。それが三日前。それから殆ど夜通し駆けてきたのです」

 ティラールはウルミスの疑念を知ってか知らずか、自らそう言った。

「供も連れずに夜通しですと? ばかな……それに、令嬢とはどなたです? この件は関係者以外には伏せるように命じた筈だが、まさかアルマヴィラでは噂になっているのですか?」

「令嬢とはユーリンダ姫の御親友です。噂にはなってませんよ。少なくともわたしがアルマヴィラを発った時点では。金獅子騎士団は極めて有能でそして無慈悲でもいらっしゃる。ただでさえ苦しんでおられるユーリンダ姫とカレリンダ妃を引き離すなどと……」

「ちょ、ちょっと待って下さい。ユーリンダ姫とカレリンダ妃を引き離すとはいったい何の事ですか? 誰の権限で? わたしの部下たちは何をしていたのです?!」

 ティラールの言葉にウルミスは混乱の極みに達した。そんな報告は受けていない。しかし、わざわざそんな事を出鱈目に言うとも思えない。

「何を言っておられる? あなたのご命令でしょう? ルーン公危篤の報をもたらした使者は同時に、妻子が揃って毒を盛られる危険を回避する為にカレリンダ妃を大神殿に移送するようにあなたが命じられたと伝えたそうですよ?」

 呆れ顔でティラールは言う。ウルミスは蒼白になった。そんな命令は出していない。自分はただルーン公暗殺未遂があった事、より家族の警護に気を配る事を文書にしたためただけだ。何者かの手で、文書がすり替えられたか、伝令自体がすり替えられたのか。

「ユーリンダ姫は馬車に軟禁された妃を裸足で泣きながら追いすがられたとか。姫にそんな辛い思いをさせて、それでもあなたはルーン公の親友なのかと、わたしは糾弾したく思いました。……しかし、あなたの命ではないのですか?」

 ウルミスの表情の変化に気づき、ティラールは不審な顔になる。

「わたしはユーリィ姫を幼い頃から知っている。その頼りなげな気性も、アルフォンスの溺愛ぶりも。そんな命令を出す筈もない。何者かが、わたしの書状をすり替えたのだ」

 思わずウルミスは隠しもせずに心中を語り、そしてはっとする。敵である筈の相手の言葉に翻弄されている自分に気づいたからだ。彼の言葉は何一つ証拠もない。後から判る事であるにしても。


 その時、室の扉が叩かれた。部下の声だ。

「副団長閣下の伝言をお伝えします。ルーン公殿下がお目覚めになり、ティラール卿に会いたいと仰せであると」 

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