2-37・カレリンダの後悔
一方、アルフォンスは、招いた訳でもない客が娘に下心を持っているのをすぐに見抜いていた。ティラールの態度を見れば誰にでも一目瞭然、である。そして、娘が彼を嫌っている事も、幼い頃から従兄を一心に慕っている事も知っていた。
王都を離れられないバロック公の名代として、彼の長男シャサールがこちらへ向かっている、との情報を得たアルフォンスは、正式な求婚が近いと悟り、頭を抱えた。
『困ったものだ、こんな事になるなら、もっと早くアトラと婚約させておくべきだった』
『過ぎた事を言っても仕方ありませんわ。どうなさるおつもりですの?』
妻の前ではつい弱音を漏らしてしまったが、カレリンダは冷静だった。
『どうする、とは? 昔からユーリィはアトラウスを慕っている。アトラウスもユーリィを大事にしている。彼はユーリィの夫として申し分なく育ったし、二人が結婚するというのは、わたしの中では当たり前の事だと思っていたが。アトラウスはユーリィが17になったら求婚するつもりらしいとファルが言っていたし』
『二人が想い合っている事くらいわたくしにも判ります。その上で、あなたはどうなさるおつもりなの、と聞いているの』
『……きみは、アトラと引き裂いてでもユーリィをティラール卿と結婚させる、という事も考えているのかい?』
やや驚きをもってアルフォンスは問い返した。カレリンダは軽く嘆息した。
『やっぱりあなたにはそういうお考えは全くおありでないのね。貴族の当主なら、ごく当たり前にそう考えるのが普通だと思うのですけれど』
『わたしは娘を家同士の駆け引きの道具にする気はないよ。きみも同じ考えかと思い込んでいたが、違うのか?』
『わたくしはすべて、あなたの決断に従いますわ。けれど、あなたはユーリィの事になると、人が変わったみたいに甘くなってしまわれますから。この求婚を断れば、ルーン家にとっては確実に不利益だけがもたらされるでしょう。それでも本当にそうなさるおつもり?』
『宰相閣下の不興を蒙るのはまずい、ぐらいは判ってるに決まってるだろう。宮廷においてのわたしの立場は一層悪くなるだろうね。今の官職を外されてしまうかも知れない。だが、わたしは別に宮廷内の権力に興味はない。そんな事の為に娘を利用したいとは思わない』
『あなたはよくても、ファルが跡を継いだ時に、ルーン家の地位が他の公爵家に比べて落ちていても構いませんの?』
『カリィ……親の反対を押し切ってわたしと結婚したのに、娘には望む結婚をさせてやりたくはないのか?』
二人はいつも、息子と娘に対して平等に愛情を注いでいるつもりだ。しかし微妙なところで、父親は娘に甘く、母親は長男を立てる気持ちがあるようだった。
『わたくしたちはただ慣習を破っただけで、結局ルーン家やヴィーン家にあとあとまで問題を残している訳ではありません……ノイリオンが結婚しない為にヴィーン家の嗣子が決まっていないのは、突き詰めればわたくしにも責任があるのかも知れませんが。でも、今回の事は対外的な事であって、訳が違うと思いますわ。わたくしだって、勿論ユーリィの幸せを心から望んでいます。でも、これを断る事が本当にユーリィの幸せになるのか、何とも言えないでしょう? ティラール卿は真摯にユーリィを想って下さっているようですし、結局ユーリィはアトラ以外の男性とろくに関わった事もないのですから』
『ティラール卿は遊び人として有名だと聞く。無垢なユーリィは結局泣かされる事になるだろう』
『……わかりました。まずはユーリンダ本人から、気持ちを聞きましょう』
カレリンダは迷っていた。元々は夫と同じように、純愛を育んでいるらしい娘と甥がいずれ結婚するといいと思っていた。しかし、ティラールが現れて娘に近づきだしてからは、どうにも胸騒ぎがしてならない。この求婚を断るのは不吉……そんな予感が拭いきれない。でも、ルルアの神意が下りてきた訳でもなく、この気持ちが聖炎の神子としての予知なのかどうか、自分でも判断がつかなかったのだ。
ユーリンダは勿論、両親に対して、
『絶対嫌よ! あんな方を夫にだなんて……嘘でしょ、お父さま? そんなお話、断って下さるわよね?』
と言い切った。もしかしたら、ルーン家の一人娘としての自覚から受けてくれないか……というカレリンダの淡い期待はあっさりと裏切られた。
『勿論、ユーリィ、きみの幸福が何より大事だ。心配しなくても、これを断ったからと言って、弱小貴族でもないのだからルーン家はどうもなりはしない』
『本当、ありがとう、お父さま!』
年頃の令嬢に相応しくもなくユーリンダは父親に抱きつき、アルフォンスは嬉しそうに娘の頭を撫でた。
カレリンダは半年後の現在、大神殿の一室に軟禁され、この時の事を思い返していた。いくら後悔してもしたりない。もっと聖炎の神子としての自分の力が強ければ。しっかりと夫を止められていれば。
「……あなた、ああアルフ……あなたの命の火が消えかかっているのを感じる……」
黄金色の瞳から涙が溢れて止まらない。
『本当に父にそう伝えてよろしいのですな?! このティラールを、バロック家の正式な息子をルーン家の婿養子に……またとないような話をまさかお断りになるとは。後悔なさいますな!』
怒りに燃えたシャサール・バロックの目が、最近何度も夢に出てくる。逆に、この縁談を受け入れて盛大な結婚式が執り行われ、親しげに談笑する宰相と夫の姿も夢に見た。目覚めては泣いた。
「ルルアよ……どうかあなたの忠実なしもべの祈りを、あなたの神子の祈りをお聞き届け下さい……夫をまだあなたの国へ迎えないで下さい……どうか、わたくしへお返し下さい……」
ただ、祈る事しか出来ない……。