2-34・アトラウスとローゼッタ
「伯父上の容態はかなり悪いらしい。こういう事態になると、また色々事情が変わってくるな。もし亡くなられた場合、バロックはどう動くか……」
淡々とアトラウスは言う。相手はローゼッタ。場所は、以前と同じ小部屋。
「ユーリンダはかなり落ち込んでいる。伯母上と引き離された上にこの事態だからな。僕も毎日顔を出すと約束はしたが、そう長い時間はとれない。きみ、彼女の話し相手になって慰めてやってくれ」
「……ええ、そうするわ」
暗い表情でローゼッタは答える。アトラウスの言う事は絶対である。ユーリンダに対して、後ろめたさと嫉妬でいっぱいの彼女には気の重くなる役目だが、やらない訳にはいかない。アトラウスはあれから毎日、少しの時間彼女の身体を弄ぶ。心は苦しいが身体は一層溺れてゆくばかり。ローゼッタは完全にアトラウスの掌の上だった。
流石に今日はそんな不謹慎なことはないだろう、と思っていたのに、アトラウスは表情も変えずにいきなり彼女の懐に手を入れて豊かな乳房を鷲づかみにした。
「や、やめて……こんな時に。あなたは伯父上の御身が心配じゃないの?!」
「心配さ。だが、心配したからと言って何が変わる訳でもない。別に今日はきみを喜ばせるつもりも暇もない。ただ、ユーリンダの所へ行って、余計な事を喋らないように念押ししているだけだ」
アトラウスは手の力を強める。ローゼッタは痛みに喘いだ。
「やめて、やめて! 言える訳ないじゃないの、こんな……あなたがこんなひとだなんて。それに、彼女が信じる筈もないわ」
「それはそうだが、きみは何かと迂闊だし、すぐ考えが顔に出るからな。まあ、ユーリンダも、きみの表情を伺う余裕もないだろうし、とにかく彼女の気を紛らわせてくれればそれでいいから」
そう言うと、やっとアトラウスは手を離した。ローゼッタは涙目でアトラウスを睨んだ。
「まだわたくしを信用していないの? わたくしはあなたの忠実な奴隷のようなものなのに」
「僕は疑い深いのさ。それが僕の性格なんだから仕方がない。諦めたまえ」
アトラウスは肩をすくめた。
「あなたはどこまでも冷静なのね……実の伯父上が危篤でいらっしゃるというのに。とてもお世話になったのでしょう?」
「それはもう、実の父親なんかより遙かに世話になったし、色々教えてもらって、愛情を……そう、愛情を注いでもらったんだろうな。あの人が本当の父親だったら、僕はこんな性格ではなかっただろう。だが、それだと、ユーリンダと婚約する事も出来なかった訳だから、それは困るな」
洒落た冗談でも言ったかのようにアトラウスは微笑する。ローゼッタは呆れた目で彼を見つめた。
「伯父上が無事に戻られればそれが一番喜ばしいのは言うまでもない事だ。だが、こういう考え方もある。もしも伯父上が道中で亡くなれば、大逆罪は確定しないだろう。そうなれば、ユーリンダの命は保証される」
「あなたってひとは……あなたってひとは……どこまでもユーリンダの事しか考えていないのね」
ぞっとしてローゼッタは思わず自分の肩を抱いた。まったく、何ていう男の虜になってしまったんだろう! ユーリンダを救う為なら、恩人である伯父の事すら、そんな風に考えられるなんて!
「怖いわ。あなたなら、ユーリンダの為に必要と思えば、ルーン公殿下でもわたくしでも、簡単に殺しかねないわね」
「そういう事を軽々しく言うからきみは迂闊だと言うんだ。伯父上が亡くなればどれだけユーリンダが悲しむか。裁判に少しでも有利な事がないかと、こうしている間にも王都や色々な所へ人をやって探っているというのに」
(……わたくしの事は、否定しないのね)
ローゼッタはがっくりと肩を落とす。その様子を見て、アトラウスは微笑みながら彼女の頬を優しく撫でた。
「馬鹿だなあ。僕はユーリンダの為なら命を賭けるし、彼女に害なす者は排除する。でも、きみは違う。きみは勇敢で、僕の役に立ってくれる。僕にとって大事な存在だ。もしも何もかもうまく行って、元通りになったなら、きみには良い結婚相手を見つけた上で、きみが望むなら今の関係をずっと続けてもいいんだよ」
「えっ……」
思いもしなかった言葉にローゼッタの心臓は跳ね上がった。こんな事は今だけ……自分に利用価値がある間だけで、後は見向きもされないに決まってる、と自分に言い聞かせ続けていたのに。
「ほ……本気なの?」
「勿論」
「ずっと、って、あなたがユーリンダと結婚してからも……?」
「そう……結婚出来たらね」
「お互いに結婚してからもこんな事を続けるなんて、どうかしているわ。それに、それに、わたくしはもう結婚なんかしないと決めているの。あなた以上にわたくしの心を奪える男なんかいる訳がないから……」
「じゃあ、ずっと僕の愛人でいればいい」
「そんなこと、いつかはばれてしまうわ。ユーリンダを傷つける事になってもいいの?」
「僕はそんなへまはしない。僕はいつだって彼女の前では完璧な恋人、或いは完璧な夫でいる事が出来る」
「何よりも大切なひとを、そんな風に騙して、それであなたは平気なの?」
「騙す……それは違う。知らない方が幸せな事は世の中に溢れている。僕は嫌な事や悲しい事を彼女に見せないようにこれまでずっと尽力してきた。誠実だとは思わないかい?」
「……」
彼の価値観はおかしい。これも不幸な生い立ちの故なのか? それでも、愛人にしてやろうと言われて喜んでいる自分を自覚して、ローゼッタは頭痛がしてきた。
「さあ、今日はもう行きなさい」
「あの気障男の様子を探って、ユーリンダを慰めに行けばいいのね?」
「そう。ティラールも当然、伯父上の危篤の報は知っているだろう。表向きは、金獅子騎士と伯父上の身内や限られた関係者以外には伏せられている。話を振って反応を見てきてくれ」
「わたくしが知っている、という事は構わないの?」
「僕に聞いたと言って、内密に、ティラールさまのお力で腕の良い医師など派遣できませんの? とか何とか言えばいい。どうせ僕ときみの事も調査済みだろう」
「……」
ティラールは敵で嫌いな男だが、それでも少しでも何か探り出せたらと、ローゼッタは日参してなるべく媚びを売るようにしている。ティラールの館には金獅子騎士の目はないし、なるべく目立たないよう馬車も変えているので、噂になる事はない。だが、ティラールからは、三人の男に媚びを売る女と思われているのだろうか。彼はいつも紳士然として穏やかに接してくれるが……。
(今更そんなことを気にしても仕方ないわね)
溜息をついてローゼッタは立ち上がった。今日はいつもの雑談と違って演技をしなければならないので、余計な事に気をとられる訳にはいかない。
「気をつけて、可愛いローゼッタ」
アトラウスはからかうように言う。思ってもいない癖に……ローゼッタは彼を軽く睨み付けて部屋を出て行った。
「本当に、愚かで可愛い玩具だ……」
残されたアトラウスは、薄暗い部屋で独りごちた。