表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第二部・陰謀篇
80/129

2-32・長い夜

 母が乗せられた馬車に追いつく事も出来ず、母は連れ去られて行った。ユーリンダは暫くその場に伏して泣いていたが、追いかけてきた金獅子騎士に促され、悄然と館へ戻った。いつも柔らかな絹の靴下に包まれている足の裏は、裸足で走った為に傷だらけになっていた。だが、その痛みも感じない。

 父が連行され、母までも連れていかれた。兄もいない。リディアもいない。アトラもこの数日は、短い便りを寄越すだけで訪れてくれない。自分はひとりだ。護ってくれていたひとが誰もいなくなり、世界中でただひとり取り残されたような気持ちに陥っていた。

「お母さまは、お母さまはどうして連れて行かれたの? 私はお母さまに会いに行けないの?」

「……いずれお会いできますよ。同じアルマヴィラ都内にいらっしゃるのですから」

 エリザはそう言ってユーリンダを慰めた。

 エリザとウォルダース、そして乳母のマルタは、困惑顔で互いに視線を交わし合った。カレリンダが大神殿に連れて行かれただけでもこんなに衝撃を受けているユーリンダが、アルフォンスの危篤という更なる重い現実を受け止める事ができるのだろうか? だが、オリアンが戻って来る前に、かれらが柔らかくそれを伝えなければならない。オリアンは情け容赦なく、「或いは既にもうお亡くなりになっているやも知れません」などと言いかねない。

 ウォルダースは、これは自分の役目だろうと考えた。そしてその後は、エリザとマルタに任せよう。

「ユーリンダ様。金獅子騎士が戻る前にお話しせねばならぬ事がございます」

「なに? もう何も聞きたくない。もう何も考えられないわ。明日じゃ駄目なの?」

「金獅子騎士からお聞きになるより、いまわたくしから申し上げた方がまし、と判断しての事でございます」

「……いやよ。何も聞きたくない」

 これ以上悪い話には耐えられない。泣き腫らした目で執事を睨みながらユーリンダは駄々っ子のようにいやいやという仕草をする。エリザとマルタは涙ぐみながら、左右からユーリンダの肩をさすった。


 この時、表の方が少し騒がしくなった。まだ深夜である。まさか、もうオリアンが戻ってきたのだろうか?

「姫さま、一旦御寝所のほうへ……」

 慌ててエリザが言ったと同時に、玄関の大扉が開き、誰かが駆け込んでくる足音が聞こえた。

「ユーリンダ!」

 執事たち三人は、その声を聞き、ほっと息をついた。アトラウスだった。

「アトラ!」

 ユーリンダは乳母の手を振り払い、部屋を駆け出した。玄関ホールにアトラウスが険しい顔で立っている。

「アトラ、アトラ! お母さまが連れて行かれたの! 怖い! 助けて、アトラ!」

 泣き叫びながらユーリンダは恥じらいも忘れて夜着のまま許婚の胸に飛び込んだ。アトラウスはそんなユーリンダをぎゅっと抱き締めた。

「泣かないで、ユーリィ。大丈夫だから、伯母上は。そして伯父上もきっと……!」

 暫くの間、ユーリンダはアトラウスの胸に縋って泣き続けたが、ふと、違和感をおぼえた。

(伯父上もきっと大丈夫……?)

 それは、今言う言葉だろうか? 勿論、父のことはずっと案じ続けてはいるけれど……。

「アトラ? お父さまは……」

「大丈夫だよ、ルルアに護られたお方だから、卑怯な暗殺などでお命を落とされるなんてある訳ない……ユーリィ?」

 ユーリンダは青ざめ、がくがくと震えだした。涙に濡れた黄金色の瞳が大きく見開かれ、信じられない、というようにアトラウスを見つめた。ユーリンダの様子が急に変わったのを見て、アトラウスは唇を噛んだ。

「……済まない、失言だった。まだ、聞いていなかったんだね。てっきり、伯母上と一緒に聞いたかと……」

「あ、暗殺って、ど……どういうこと?」

 アトラウスは、どう伝えるべきか、哀れむような目で震える許嫁を見つめながら考えを巡らせた。

「ユーリィ。どうか、気を強く持って。希望を捨てちゃ駄目だ。伯父上はまだ生きている……そう信じて、祈るんだ。きみの祈りは、きっとルルアに通じる筈」

「だから、どういう事なの? ねえ、お父さまに何があったの?!」

「道中の宿で毒を盛られたと、金獅子騎士から聞いた。かなりご容態がよくないと……」

 これ以上言葉を濁しても仕方ないと、アトラウスははっきりと告げた。もしかしたら、次に来るのは死の知らせかも知れないのだ。それを隠す訳にもいかない。ユーリンダは、耐えるしかない。

「うそ……そんな、お父さまが……」

 明るい瞳のお父さま。いつだって、優しい笑顔を見せてくれた。小さい頃、公邸から帰宅してどんなに疲れていても、ユーリンダが近づいていくと、

『おいで、ちび小鳥!』

 といつも笑って抱き上げてくれて……。お父さまの膝が大好きだった。今もあの頃とあまり変わらない、優しくて立派な、私のお父さまが、毒を飲まされて今も苦しんでいるの?

「誰が、誰がそんな事をしたの?! 金獅子騎士団が護っているんじゃなかったの?!」

「警護が甘かったんだろう……犯人は、あの事件の被害者の母親で、伯父上を犯人と思い込み、恨みでやったそうだ。それでウルミス卿は、きみと伯母上が寝食をともにしていれば、二人共に同じような事が起きないとも限らない、と考え、伯母上を大神殿に移すようにと」

「ウルミスおじさまが! ウルミスおじさまが私とお母さまを引き離したの?」

 アルフォンスの親友であるウルミスはこれまで幾度もルーン家の客として館に訪れて、子供の頃にはユーリンダもファルシスもよく遊んでもらっていた。大きくなってからも、色々な珍しい話を聞かせてくれて、可愛らしいお土産で喜ばせてくれて、ユーリンダにとってウルミスは、今回の事が起きるまでは、大好きな面白いおじさま、という存在だったのだ。なのに、突然騎士たちを連れて現れて信じられない罪を突きつけて、お父さまを連れて行った。

『お立場上、仕方がなかったのですよ。ウルミス卿はきっとお父さまの味方になって下さいます』

 と母は言っていたが、あの時の衝撃とウルミスを分けて考える事がなかなか出来ず、ユーリンダはウルミスに裏切られたような気持ちからなかなか抜けられなかった。その上に、今度は母と引き離すなんて!

「賢明な判断だと思うよ。伯母上は大神殿で粗略にされる事はない。聖炎の神子なのだし、大神官も王都へ出向いて不在なんだから」

 なだめようとアトラウスは言ったが、

「何が賢明なの! 私はお母さまと離されるなんて嫌よ」

 親子喧嘩の最中だった事も頭からとんでいき、ユーリンダは泣き腫らした目でアトラウスに訴えた。

「なんとかならないの、アトラ? アトラはアルマヴィラの新しい実力者だって、ローゼッタは言ってたわ」

 ローゼッタの名を聞いてもアトラウスの表情はまったく動かない。

「それは無理だよ。聖炎騎士団や都警護隊をある程度動かせるだけで、金獅子騎士のやることに逆らう事は出来ない。それに、とにかくきみの身柄を護る事が一番大事な事だから、寂しいのは我慢しなくちゃいけない」

「そう……そうね。それより、ああ、お父さま……何か、お助けできないの? 薬を送るとか……」

「出来る事は全てされていると思うよ。可哀想なユーリィ……何の力にもなれないぼくを許してくれ」

「許すなんてそんな。ねえお願いアトラ、毎日会いに来て。私、不安でたまらない」

「わかった、必ず顔を出すよ」

 足が遠のいていたのは、ファルシスから殴られた跡が消えるまでと思っていたからだ、とは言えない。

 ユーリンダはそこで初めて、薄い夜着のまま、許婚の胸に抱かれている事に気がついた。とにかく父の事が心配で、顔を赤らめるような余裕もなかったが、とりあえずアトラウスの腕から離れ、やや小ぶりの胸を隠すように自分の身体を抱きしめた。

「お父さまのこと、何か分かったら絶対すぐに知らせてね?」

「ああ、きっと、良い知らせを!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ