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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第一部・揺籃篇
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1-5・追憶、忠心、出立

 翌朝、リディアは公妃と公女に出立の挨拶をしに、二人のいる談話室を訪れた。

公妃が言った。

「気をつけて行くのですよ。最近、領内で、若い娘が行方不明になる事件が頻発しているそうなのです。殿が、昨夜そう言ってそなたの身を案じておられました」

「恐れ入ります。わたくしなどの為に、殿様からそのような勿体ないお言葉を頂くとは……。気をつけて、必ず姫様のお傍に戻って参ります」

 深々とリディアは一礼した。一介の侍女に過ぎないこの身を、大貴族である領主が案じてくれるとは、本当に有り難い事である。

 ルーン公の人柄は、下のひとびとに対する、こういった細やかな様々な配慮に、いつも表れていた。


 リディアは、公に命を救われた経験さえあるのだ。

 まだ幼い子供だった頃、領内の別荘に一家と共に滞在していた時。

 公子・公女と、近隣の子供数人で、館の裏の林で遊んでいて、危ないので行ってはいけないと言われていた小川に、行ってみようと言う公子と公女を止める事ができず、一緒に行ってしまった。

 そんな事は全く初めての経験だったユーリンダは、川の事など何ひとつわからずにはしゃいでいて、深みにはまりかけた。

 ファルシスはたまたまその場におらず、他の子供たちはおろおろするばかり、リディアは頭が真っ白になりながらも、何とか公女を救い出したが、代わりに自分が溺れてしまった。

 意識が遠のき、そしてやがて戻ってきた。

 彼女の視界にまず入ったのは、領主の心配顔。

「大丈夫かい、リディア?」

 公爵の黄金色の髪と衣服は、水に濡れていた。

 後から知ったのだが、子供の一人が館に大人を呼びに行き、たまたま庭園に出ていたルーン公がまず駆けつけ、川に入って、溺れたリディアをひきあげたのだ。

 理性が戻ってくるにつれ、束の間赤みのさしかけたリディアの頬は、また蒼白になった。

 リディアは飛び起き、平伏した。

「も、申し訳ありません! わたし……姫さまを危ないところへ……。姫さまは?! ご無事でしょうか?!」

「ユーリィは大丈夫、ぴんぴんしているよ。水も殆ど飲んでない」

 にこやかに公爵は言ったが、リディアはがくがくと震えていた。

 公女を危険な目に遭わせてしまった。きつい罰か、さもなければ追い出されてしまうかも知れない。子供ながら、そんな風に考えを巡らせたのだ。

 アルフォンス・ルーンは、目の前の、濡れそぼった小さな子供の頭の中の恐怖にすぐに気づいたようだった。

 そして、かれは言った。

「娘の命を救ってくれてありがとう、リディア。お前は、泳いだ事もないのに、勇敢に飛び込んでくれたそうじゃないか。本当に感謝しているよ」

「……殿さま」

「うちの二人が駄々をこねた事くらいわかっているよ。目を離していたファルシスも本当にいけない。お前は、何も心配しなくていいんだよ」

 リディアは、遂に、泣き出してしまった。公爵は優しく頭を撫でてくれ、誰かに、この子に着替えを、と言っているのが聞こえた。

 大貴族である自分の衣服はまだ濡れているのに、幼子の風邪の心配をしてくれたのだ。

 幼いリディアはその時、はっきりと己に、一家への生涯の絶対の忠誠を誓ったのだった。


「若い娘が行方不明、ってどういう事ですの、お母様?」

 ユーリンダの声で、リディアは瞬時の回想から離れた。

「ええ……領内、特にこの都の付近で、未婚の娘がもう10人以上も、姿を消しているらしいのよ」

 その事件の事は、リディアも噂話で聞いていた。だが、深窓の姫君は初耳のようで、恐ろしそうに身体を震わせた。

「まあ……恐ろしいわ。彼女たちが無事でいるといいわね。リディア、帰るのは少し先に延ばせないの?」

「ユーリィ、我が儘を言ってはいけませんよ。リディアの大事な用事なのだから。人気のないような場所に行かなければ大丈夫ですよ。ちょうど同じ街に用事のある者がいて、一緒に馬車で行ってもらう事にしているし」

 公妃のこの配慮は、前日に聞かされており、リディアはこれについても深く感謝していた。

「本当にありがとうございます。姫さま、心配なさらなくてもリディアは大丈夫です。すぐに帰って参りますよ」


 支度を整え、馬車寄せの所まで歩いて行く時、どこかからユーリンダの声がした。

 2階のテラスから、リディアに向かって手を振っている。

 離れた所から大きな声で呼ぶなんて、はしたない行為だが、ユーリンダは、普段はとてもしとやかな姫君なのに、親しい人の事を思うと、突然驚くような自然体を見せる時がある。

 リディアは微笑み、行って参りま~す、と叫んだ。


 雲ひとつない、青い空だった。

 気持ちの良い風が吹いていた。

 澄んだ日差しを受けて、ユーリンダの黄金色の髪が、美しく輝いていた。

 浮き立つような明るい空。

 住み慣れた館と愛おしい姫君。

 それは、何度も見た光景で、これからも、何度も目にする筈だった。

 そうではないなんて、この時、リディアは思いもしなかったのだった。

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