幼年篇・21・カレリンダの錯乱
次にアルフォンスが思いついた手立ては、子どもたちに話をさせる事だった。昨夜はとても打ち解け合い、本当のきょうだいのようだった。おとな相手よりは、子供同士の方が心を開いて話せるかも知れない。もしかしたら大して変わらない反応しか得られないかも知れないが、それはただの子供同士の喧嘩だ。試してみる価値はある。
カレリンダの同意を得ようと、かれは妻を探した。だが、驚いたことに、カレリンダは夫を置いて先に帰宅してしまっていた。こんな事はかつてなかった事だ。いったい彼女はどうしてしまったのだろう?
仕方なく、カルシス家の馬を借りる事にした。出がけにもう一度、弟の様子を見に行った。先刻と同じ姿勢で座ったまま、何かぶつぶつ呟いている。
「なんでおればっかりこんな目に遭うんだ。あいつがちゃんと黄金色の髪の子供を産んでくれていれば……おれのせいじゃない。ああ、シルヴィア、おれを恨むんじゃない……おれは、おれはどうすればいいんだ……」
アルフォンスは嘆息して軽く首を振った。確かに、弟には息子にまともな教育を施せるとは思えない。
帰宅した頃には夕方になっていた。長い一日だった。
「お父さま~!」
ファルシスとユーリンダが玄関ホールに飛び出してきてまとわりつく。
「お母さまはどうした?」
「あたまが痛いって、お休みされているよ」
「そうか……」
「アトラウスはどうしたの? なんでもう帰っちゃったの?」
可愛らしい声であどけなく尋ねてくる愛し子たちに、アルフォンスの疲れは少し癒やされる。
「アトラウスのお父さまが迎えにいらしたのだよ」
「ええ? 叔父さまが?」
昨日のカルシスの態度が頭に残っているふたごは、不安げな顔になる。
「アトラウス、また叔父さまに叩かれてしまうんじゃないの? しばらくアトラウスはお家に帰さない、って言ってたじゃない。アトラウス、だいじょうぶなの?」
「シルヴィア叔母さまは? アトラウスは、叔母さまが今日来るんだって、楽しみにしていたよ?」
「うん……実は、悲しいことが起きてしまったんだよ。部屋で話そう」
そう言ってアルフォンスは子どもたちの肩を抱いた。
「わたしのちび仔馬とちび小鳥……アトラウスを、助けてやっておくれ」
そして、部屋に入って、アルフォンスはなるべく子どもたちに理解できるよう、しかし残酷な運命は感じさせないよう、優しく話した。アトラウスのお母さまがルルアの国へ行ってしまったこと。それをアトラウスが知ってしまって、ひどく傷ついてあの地下の部屋に閉じこもってしまったこと。
「アトラウスは、お母さまが亡くなったことを、自分のせいか、ルルアのせいだと思っているんだよ。そんな事はなくて、これはアトラウスのお母さまの望んだことであって、アトラウスは外へ出てきて元気に暮らすべきなんだ。それが、シルヴィア叔母さまの一番の望みなんだ。すぐに元気を出すのは、もちろん難しいだろうけど、ちゃんと食事をして、だんだんと元気にならないといけない。その事を、アトラウスにお話してくれるかい?」
「どうしてシルヴィア叔母さまはアトラウスを置いて行ってしまったの?」
泣きながらユーリンダが聞いた。
「アトラウスが、あの地下の部屋にまた閉じ込められない為に、シルヴィア叔母さまはアトラウスを守ったんだ。でも、それはアトラウスのせいじゃないんだよ。アトラウスは、悲しすぎて、自分を悪い子と思い込んでいるんだ」
「アトラウスはいい子だよ! ぼく、親友になったんだ!」
ファルシスが言う。アルフォンスは息子の頭を撫でた。
その時、室の扉が開いた。
「あなた! 子どもたちに何を話されてますの?!」
カレリンダだった。アルフォンスは仰天した。伏せっていたのを、様子を聞いてそのまま駆け出してきたらしく、彼女は寝着で裸足のままだったからだ。
「何って、アトラウスのことを……」
「子どもたちに重荷を負わせるおつもりですの! わたくしたちの話にも耳を貸さないような子が、すんなり心を開く筈もありません。傷つくのは、ファルとユーリィですわ!」
「お母さま! どうしたの?」
ふたごは常にない母親の取り乱しようにびっくりして目を丸くしていた。母が、父にこんなに責めるようにものを言うのも、聞いたことがない。
「そんなこと、やってみなければわからない。いったい本当にどうしてしまったんだ、きみは?」
「やらなくてもわかりきっていることですわ。ファルとユーリィを、あの子に近づけないで! あんな冒涜を吐くなんて、あの子、呪われているんだわ。だから、あの姿……」
「いい加減にしないか!」
遂にアルフォンスもかっとなって妻の手をぐいと掴んだ。
「きみがそんな事を言うなんて、いったいどうした事なんだ! おい、誰かイルーラを呼べ! 奥方を寝所へ連れて行って安眠茶を飲ませろ!」
カレリンダの姿に驚いた使用人たちは皆、見てはいけないと姿を隠している。苛立ってアルフォンスは侍女頭を呼んだ。
「お母さま、どうしたの、お母さま?!」
ファルシスとユーリンダはカレリンダに縋り付いてわあわあ泣いている。両親が言い争う姿を生まれて初めて目にしたのだ。カレリンダは何かに取り憑かれたように、
「わたくしの子どもたちを連れて行かないで!」
と叫び続けている。
「大丈夫だ、今日はもうどこへも行かないから!」
正気に戻そうと妻の肩を抱きながらアルフォンスは、カレリンダはシルヴィアの死に様の衝撃で、母性本能が暴走しているのか、と思い始めた。
「子どもたちは大丈夫だよ。ルルアに守られているんだから。聖炎の神子の子どもなんだから。心配しなくていいんだ。ちょっと明日、ふさぎ込んでいるいとこに会いに行くだけだから」
ゆっくりと優しく言い聞かせられたその言葉に、カレリンダの瞳に少し光が戻った。
「ほんとうに……?」
「ほんとうだとも。わたしが、ファルとユーリィを悪い目に遭わせるとでも思うのか? そんなにわたしを信用していないのか? わたしにとって何よりも大事なのは、きみと子どもたちだという事くらい、言わなくても解っているかと思っていたが」
「ああ……そうね、そうね。ごめんなさい、アルフ……わたくし……ただ心配だったの。そうね、あの子は子どもたちのたった一人のいとこですものね。助けてあげなくてはいけないわね……」
そう言うと、カレリンダはふっと意識を失い、夫の腕の中に崩れ落ちた。
「お母さま! お母さま!」
泣き喚く子どもたちを、アルフォンスはしぃっと制した。
「大丈夫だよ。お母さまは疲れて眠ってしまっただけだよ」
そう言うと、アルフォンスは妻の身体を抱え上げた。
「明日になれば、いつものお母さまに戻るよ。そして、みんなでアトラウスのところへ行こうね」
侍女頭がようやくやって来たが、もういい、と言ってアルフォンスは自ら妻を寝所へ運んで寝台に休ませた。身体も神経もくたくただった。子どもたちは一応安心したらしく、普通に戻っている。自分の言葉通りになればいいが、と願いながら、アルフォンスは休息の為に自室へ向かった。




