幼年篇・14・楽しいお泊まり
初めていとこ同士三人で過ごす晩、子どもたちは寝台に入ったあとも興奮してなかなか寝つけなかった。色々と喋り合っていたが、まずユーリンダが昼間の疲れから、ことんと眠ってしまった。既に親友のようになっていたアトラウスとファルシスは、その後もだいぶ目を輝かせて、同じ布団の中で話に興じていたが、日付が変わる頃には流石にファルシスもまぶたを閉じていた。
アトラウスは眠くなかった。これまでずっと、地下の部屋で、昼も夜もない生活を送っていたからだ。初めての経験、そして母がずっと見守ってくれると言った言葉が嬉しくて、なかなか寝られない。
(お母さま、明日来てくれるかな?)
怖いお父さまから離れて、お母さまと、優しい伯父さまと伯母さま、楽しいいとこたちと、いつでも一緒にいられる日が来るなんて!
(でも、『罪の子』なのに、そんなにすてきなことが本当になっていいのかな?)
そんな不安もあった。もしかしたら、今日の事はぜんぶ夢で、目が覚めたらまたあの地下の部屋にいるのかも知れない。そう思うと、眠るのが怖い。もしもこれが夢だったとしても、すてきな夢を見られたのだからあんまりがっかりしないようにしよう。アトラウスはそんな風に自分に言い聞かせもした。
まったく、素晴らしい夜だった。
アルフォンスは、カレリンダだけに事情を告げ、他の者にはただ、たまたまカルシスの館に来ていた小貴族の子がファルシスたちと仲良くなったので暫く預かる事にしたのだ、と話した。執事は、子どもたちがアトラウス、と呼んでいるのを聞いて、薄々何かわけがあると察したようだったが、他の者たちは主人の言うことに何ほどの疑問も持たず、アトラウスを客人として親切に丁寧に接した。侍女や従者たちにそのように扱われるのも、アトラウスには初めての事だった。世話係のオルガは、いつも哀れみを持った目で、腫れ物に触るように接して、彼の問いかけにも殆ど、はいかいいえでしか返答してくれなかった。
「まあまあ、ずいぶんと細い腕でいらっしゃる。坊ちゃま、さあさ、たんとお召し上がり下さいな」
ふたごの乳母のマーサは小太りで笑顔をたやさない女で、晩餐の時から就寝までずっと傍でにこやかに世話を焼いてくれた。
カレリンダは夫から話を聞き、陰で涙を流した。
「そんなことが……ああ、わたくしがもっと頻繁にシルヴィアを見舞ってあげればよかった。そうすれば或いは、もっと早く真相が分かったかも知れませんのに! わたくしはシルヴィアに対してつい遠慮してしまって……子どもの頃は、仲良く遊んだ事もありましたのに。わたくし、明日シルヴィアに会いに行きますわ。それにしてもアトラウス……可哀想な子! ファルシスと変わらない歳でそんな暮らしをしていたなんて!」
「ああ、早くこちらに来てアトラウスと一緒にいてやるよう、シルヴィアを説得しよう。カルシスが心から詫びて、嫡男としてきちんと育てると約束しない限り、絶対にアトラウスを帰す訳にはいかん」
「そうですわね。それまでアトラウスに、五年分の楽しい事をたくさん経験させてあげなくては!」
「ああ、是非そうしてやろう」
夫妻はアトラウスをアルフォンスの血の繋がった甥と信じたし、もしも万が一そうでないとしても、シルヴィアの子であることには違いない。不遇な身の子どもを、哀れみ愛おしむ気持ちでいっぱいだった。カレリンダは自ら厨房へ行って、あれこれと手配して子どもが喜びそうな料理や菓子を次から次に晩餐の食卓に運ばせるようにした。アトラウスはまだ五歳とはいっても聡明な子ども、正式な晩餐の作法は無論教わっていないからそれで恥ずかしい思いをしないよう、とにかくくだけて楽しく過ごせるよう、様々な配慮をした。急遽芸人も呼び寄せられ、幼い子どもたちが喜ぶような様々な芸を披露した。子どもたちは笑い転げた。
本当はそんな趣向などなくとも、アトラウスは充分に満ち足りていた。今までずっと、地下の部屋で一人きりで食事をしていたのだから。世話係のオルガは、料理も上手でそれなりに心を込めて栄養のある献立を考えてくれてはいたが、薄暗い部屋で幼子がたったひとりで食べる食卓に、喜びなどある筈もなかった。食事とは、アトラウスにとってこれまで、ただ飢えを満たす為のものでしかなかったのだ。アトラウスは、皆で笑い合う夢のように楽しい時間に酔い、そして、お母さまも一緒に来ればもっとよかったのに、とばかり思っていた。隣にお母さまがいて、一緒に笑っていて下さったら、もうそれ以上の嬉しいことは想像もできない。
(お母さま、今頃何をしてるのかな。お父さまにいじめられてないかな)
時折そんな心配が浮かんだが、とにかく初めての楽しいことが次々に起きるので、幼いアトラウスは次第に、母親のことを想う暇がなくなってきた。
「アトラウス! ぼくの宝物を見せてあげるよ!」
「私のも見てね!」
楽しい晩餐が済むと、ふたごに手を引かれて子供部屋へ導かれた。大きな窓のある広くて清潔な部屋。天井には童話をモチーフにした美しい天井画が描かれている。まだ四歳であるので、兄妹のベッドは隣り合わせに並んでいた。マーサに真新しい夜具を着せられてファルシスの寝台にもぐりこんだが、まだ充分な広さがある。そして三人は色々な楽しい話に興じた。
夜も更けて、カレリンダはそっと子供部屋を覗いた。三人の子供はすやすやと寝息を立てている。
(可哀想な子……きっと、立派なルーン家の公子として成人するよう、アルフとわたくしが護ってあげる)
やせこけたアトラウスの顔を愛情を込めた眼で見つめながら、カレリンダは心の中でそう誓った。その時は、大切な愛娘がその子を愛する将来が来るなど、流石の聖炎の神子にも予想すらできない事であったが。