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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第二部・陰謀篇
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幼年篇・7・伯父と甥

「ファ、ファルシスさま、ユーリンダさま、その方はっ……」

 館の玄関で、執事のロータスが三人の子供が近づいてくるのを見つけて顔色をなくした。地下へ移されてから、密かにオルガに様子を聞くばかりでその姿を見る機会はなかったが、ファルシスとユーリンダに挟まれた黒髪の子供がアトラウスであることは、すぐに察しがついた。

 アトラウスの顔立ちは母親似だが、父親の面影もなくはない。色ばかりに気をとられて、カルシスが思いつきもしなかった事を、以前から執事は感じていたが、久しぶりに見ると一層、その思いが強まった。

(やはり、この方はカルシスさまとシルヴィアさまの御子……お可哀相に)

 しかし、彼としては、この子供たちの無謀な試みをそのまま見過ごす訳にはいかなかった。アルフォンスが真実を知れば、どのような騒ぎになるか……カルシスがどれ程怒り狂うか、主人をよく知る彼には易々と察しがつく。もしかしたら、それは母子の死を招く結末にもなりかねない。不貞を行った妻を斬り捨てても、カルシスの身分であれば揉み消す事も可能なのだ。今までそうならなかったのは、プライドだけは異様に高いカルシスが、妻に裏切られた事を兄に知られたくなかったからだ、とロータスは思っている。

「アトラウスさま、どうかお部屋にお戻り下さい。お父上がお怒りになりますよ」

 なだめるように優しくロータスは話しかけた。

「だれ? ぼくは戻らないよ。ぼくはルーン家のアトラウス。それをお父さまに認めてもらって、お母さまと一緒に自由に暮らすんだ」

「わたくしはお父さまの執事のロータス。若様のお小さい頃には、お世話もさせて頂きました。お父さまのお心をほぐすのには時間が必要です。今はまだ、その時ではありません」

「まだ、まだ、って、いつになったらお父さまはわかってくださるの。こんな機会、こんどいつあるかわからない。ぼくはアルフォンス伯父さまに会いたい」

「いけません、どんな罰があるか……」

「鞭で打たれる事になってもいいよ。どうせ、何もしなくてもそうされるんだから」

「いえ、そうではなく……」


 だがその時、騒ぎを聞きつけたアルフォンスが客間から出てきた。シルヴィアとアトラウスを他の医者に診せるよう、まだ弟と口論を続けていたところだった。

「どうしたんだ、ファル、ユーリィ。その子は誰だい?」

「お父さま、この子は……」

 ファルシスが言いかけたが、アトラウスはそれを遮り、五歳とは思えぬ優雅さで、初めて会う伯父に挨拶をした。

「お初にお目にかかります、伯父さま。ぼくはアトラウス・エル・ルーンです。このような外見ですが、確かに父と母の子供です。どうぞよろしくお願いいたします」

 流石のアルフォンスも、思いもかけない出来事に言葉に詰まった。甥のアトラウスは、黄金色で発育していない子供だと思い込まされていたからだ。

「きみ……アトラウスかい? そうか、なるほど、確かに目元はシルヴィアに、輪郭はカルシスに似ている。そうか、なるほど、それで……」

 なるほど、と繰り返す兄を殆ど突き飛ばすような勢いでカルシスが部屋から出てきた。

「貴様、こんなところで何をしている! オルガはどうした、あの女は!」

 アトラウスを見るなりそう怒鳴ると、彼は何の躊躇もなく幼い息子を張り倒した。

「やめて、叔父さま!」

 ファルシスが叫び、ユーリンダは怯えて大声で泣き出した。しかし、アトラウスにとっては予想された事であったし、何度も経験のある痛みでしかない。ここまで来たからには、いくら父が怒ろうと、すごすごと引き下がる訳にはいかなかった。

「部屋へ戻らないか、このくそ餓鬼!」

 再び振り上げられた拳に、アトラウスはぎゅっと目を瞑ったが、それが振り下ろされる事はなかった。アルフォンスが弟の腕を掴んで離さなかったからである。

「離せ!」

「離すものか、この愚か者! こんな小さな子供を訳も聞かずに殴り飛ばすとはどういう了見だ!」

 温厚なアルフォンスも、目前での弟の蛮行に怒りを隠し切れなかった。

「この子はアトラウスなんだな。利口そうな立派な公子じゃないか。なぜ、何年も我々や世間を謀ってきたんだ?!」

「なぜって、見ればわかるだろうが! こいつは俺の子じゃない。俺はシルヴィアに騙されたんだ。あんな従順な振りをしながら、あいつは俺を裏切った!」

「違う! お母さまはお父さまを裏切ったりしてない!」

「がきは黙ってろ!」

 腕が自由であれば、カルシスはまた暴力を振るっていたであろう。集まってきた侍女や館の者たちも、息を呑んで成り行きを見守るばかり。ただ、静まり返ったその場に、ユーリンダの甲高い泣き声だけが響いていた。

「お父さま……お父さま……アトラウスを助けてあげて。2歳からずっと、階段の下のお部屋にひとりでいるんだって」

 泣きじゃくりながらユーリンダは父親にすがった。アルフォンスは愛娘の頭を優しく撫でた。

「よしよし、よくアトラウスを見つけ出したね、ユーリィ、ファル」

 子供たちを褒め、それからアトラウスへ向き直った。

「挨拶がまだだったね。わたしはアルフォンス・エル・アルマヴィラ・ルーン。きみの父上の兄だ。これからよろしく。わたしの子供たち……きみのいとこたちと、どうか仲良くしてやっておくれ」

「は、はい、伯父さま」

 アトラウスは緊張しながら答えた。大人が……しかもアルフォンスのような立派な人が、こんな風に同じ目線でちゃんと話してくれたことなど、初めての事だったからだ。

「……兄さん」

 押し殺したような声でカルシスは言った。

「なんで、そのがきがあんたの甥だと思うんだ? こんな黒髪の……どう見ても、シルヴィアがその辺の男を引き入れて出来た子供にしか見えないじゃないか」

「子供たちの前で、そんな言い方はやめないか。この子はお前にも似ている。ちゃんとした教育も受けていないだろうに、この受け答えと態度。立派な、ルーン家の公子だよ。うちの子たちもいとこだと認めている。子供の直感は案外鋭いものだよ。それに、シルヴィアは不貞を働くような女性じゃない」

「わかるものか! どうせあんたのお下がりだ」

 アルフォンスは怒気を膨れ上がらせた。

「シルヴィアの名誉を傷つける事は許さん! わたしとシルヴィアは名ばかりの許婚だった。お前にだって判っている筈だ」

「ああ、そうだね、奴が処女だった事は判っているよ。だが、心までは判らん。俺は初めて、俺だけを崇めてくれる女に出会ったと、有頂天になっていた。その結果、このざまだ。結局、俺は奴から見下されて裏切られたに過ぎないね」

「……場所を変えよう」

 これ以上赤裸々な話を、子供たちに聞かせたくない。アルフォンスは執事に、三人の子供に甘い飲み物を与えて庭園で遊ばせるように言った。

「アトラウス、伯父さまが良いようにきっと取り計らってあげる。きみはなんにも心配しないで遊んでおいで」

「はい、伯父さま」

 アトラウスは嬉しそうに答えた。

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