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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第二部・陰謀篇
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2-25・ローゼッタの冒険

 ローゼッタがティラールの滞在する館を訪ねた時、彼は不在だった。これは、物陰に馬車を停めさせて、ティラールが愛馬に跨り出て行くのを待ってから行動を起こした、必然の結果である。

 応対に出た従者のザハド・ジークスは困惑顔で、美しく着飾ったこの令嬢を暫し見つめた。

 ルーン公が連行される以前は、社交家のティラールの元を訪れるレディは後を絶たなかった。ユーリンダへの愛を公言しているとはいえ彼女は許婚のある身、もしもティラールの心を奪うことが出来れば、バロック家の子息の妻となれるかも知れない、という大きな夢を持って、である。またティラールは瀟洒な美男子で雅で優しく、出自を差し引いても、彼自身に惹かれる娘も多かった。ユーリンダの男性の好みが世間と一致するとは限らない、という訳である。

 しかしこの戒厳令下も同然の状況で、娘をバロック家に近づけようとする小貴族の父親はいなかった。事件の真相は未だ闇の中だが、多少でも目端の利く者であれば、バロック公の後ろ盾なくして、カルシスが国王へ直訴など出来る筈もない事くらいは判る。事件にバロック家が関わっていると推察される以上、その真意が露わになるまで無闇に近づく事に不安を感じるのは、大した力もない地方の小貴族たちとしては当然の保身といえる。アルフォンスの家族へ助力をする事へ同意しているローゼッタの父親も、彼女が今からしようとしている事を知れば、卒倒するに違いない。


「若は只今外出中で、いつ戻られるか判りません。また、わたくしも今から所用で出かけなければならないのです。レディのお相手を出来る者がおりませんので、本日は……」

 引き取りを求める言葉に、ローゼッタの心は、尚更好都合と弾み、言った。

「いつでもお訪ねしてよいと、ティラールさまが仰ったのですわ。お構いなく、お出かけになって結構よ。わたくし、客間でティラールさまのお帰りを待たせて頂きます」

「しかし、レディをお一人でお待たせするなど、わたくしが若に叱られます」

「それは、お叱りないよう、わたくしがお話し致しますわ。わたくし、早くティラールさまにお会いしたいんですの。出直すよりここで待っていた方が良いわ」

「ですが……」

 渋るザハドを強引に説き伏せ、ローゼッタは客間に通される事に成功した。小間使いの少女がお茶を運んでくる。

「お退屈でございましょう」

「いいえ、お庭や調度を眺めておりますわ。どうぞお構いなく」

「では……ご用の折は、奥に先程の小間使いがおりますので」

 そう言うと、ザハドは一礼して下がっていった。湯気のたつ紅茶はなかなかの高級品で、その香りを楽しんでいると、玄関の方で音がして、ザハドが出かけて行ったのが判った。紅茶に口をつけ、暫く様子を窺ったが、邸内は静まり返っている。


 ローゼッタは、静かに扉を開けて廊下へ出た。二階建てのやや年季の入った煉瓦造りの館である。客間は勿論のこと、廊下に飾られた絵画や美術品も値打ちもので、眺めていると目の肥やしになる。ルーン家の賓客用の館は他にも新しく大きな建物があるのだが、男二人の身軽な旅であるから、とティラールは、ルーン公のそちらの使用の勧めを辞退して、そしてもう半年程もこの館に居座り続けている。最初は、廊下の絵画を鑑賞しているような素振りをしながら、辺りに人の気配がない事を確認し、ローゼッタはスカートを絡げると、素早く階段を駆け上がった。

 二階には、ティラールとザハドの居室がある筈だ。ローゼッタはそこを探るつもりでいる。

 一番立派な、ティラールの居室と思われる扉を押してみた。鍵がかかっている。溜息をついてローゼッタは次の間の扉を押した。扉は音もなく開いた。ザハドは急いでいた様子だったので、鍵をかけ忘れたのだろう。胸を躍らせながらローゼッタはするりと部屋に入り込んだ。

 従者の部屋らしく簡素なあつらえだが、室内は広く、しっかりした寝台と机、テーブルと椅子などがカーテンの隙間から入る陽の光に照らし出されている。壁には作りつけのクロゼットもある。ローゼッタは机の方へ歩み寄った。

 一番上の引き出しには鍵がかかっていた。二番目の引き出しをあけると、バロック家の紋章入りの細々した品がいくつか入っていた。何かの褒美に拝領したものなのだろう。三番目の引き出しには書状の束が入っていた。ローゼッタは急いでそれをつかみだした。滞在費に関するものなど、どうでもよい書類が多かったが、その中から、バロック家の紋章の封蝋がなされた手紙の束を見つけた。勿論、封は既にとかれている。ローゼッタはどきどきしながら一番上の手紙を開いた。

『ティラールに、おのれの役割をまっとうするように、そなたからしっかり言い聞かせよ。ルーンの娘を籠絡する第一の役を失敗した以上、それにいつまでも拘らず、早く次の目的にかかるのだ。アルフォンスの一家は、聖炎の神子は当面生かしておくが、息子と娘は処分する決定は変わらぬ。ゆえに……』

 ローゼッタの手が震えた。やはり、バロック公はファルシスとユーリンダを処刑もしくは暗殺するつもりなのだ。

(どうしよう……どうすれば……)

 予想はできていた事とはいえ、直筆の書状にはっきりと書かれているのを見た衝撃は大きい。更に読み進めようとしたその時、室外で物音がした。

(もう帰ってきた!)

 ローゼッタは狼狽した。こんなに早く帰ってくるなんて。足音は複数だった。ティラールとザハドだろうか? ティラールの室へ行ってくれれば……。

 だが、願い空しく、足音はティラールの居室の前を通り過ぎ、この部屋へ向かってくる。ローゼッタはクロゼットを開け、中へ飛び込んだ。中からクロゼットの扉を閉めるのと同時に、部屋の扉が開いた。引き出しは閉めたが、書状の束はローゼッタが掴んだままだ。

「早く入れ。客間には客人がいるんだ。静かにしろ」

 ザハドの声がした。もう一人はティラールではないらしい。

「へい、だんな様」

 下卑た男の声だ。聞き覚えはない。扉の隙間から覗いてみたかったが、見つかればどうなるか分からない。ローゼッタは息を詰めて男物の外套の間にじっと立っていた。

 がちゃりと鍵を回す音がした。机の一番上の引き出しを開けたのだ。もし、下の引き出しも開けられたら……ローゼッタの背中に汗がにじみ出す。

「約束の分だ。とれ」

「ありがとうごぜえます」

 じゃらりという音と、嬉しそうな男の声。どうやら鍵のかかった引き出しには、金袋が入っていたらしい。いったい、身分の低そうな男に命じて、何をやらせているのだろうか?

「引き続き、しっかり見張るのだぞ。女だからと侮って逃がしたりしたらおまえの命はないと思え」

「そ、それはもう、わかっております。確かに、気の強い女で、昨日も飯の時に逃げだそうと致しまして、しっかり打ち据えやした。それでも泣きもしやがらず、さすがにルーンの姫さまの侍女というのは、その辺の町の女とは違いやすな」

(姫さまの侍女、ですって?!)

 ローゼッタは思わぬ言葉に息を呑む。

「貴様、まさか女に手をつけたりはしていないだろうな? 少々痛めつけるのは構わんが、絶対にそれはするなと……」

「も、もちろん、もちろん、わかっておりやす! 若さまの気に入りの女に儂なんかが先に手をつけたり出来る筈がないでやす!」

「わかっているならいい。じゃあ、もう行け。裏口からだ、小間使いに見られんよう、俺が先に出る」

 そう言うと、ザハドは部屋の戸を開けた。二人が階段を降りていく足音にまずはほっと胸をなで下ろしながら、ローゼッタはクロゼットを出た。書状を全部持ち去りたかったが、そんな事をすればすぐに判ってしまうだろう。でも、一枚くらいなら、暫く気づかないかも知れない。気づいても、紛失したと思うかも知れない。そう考えを巡らせたローゼッタは、先の一枚の書状だけを胸元にしまいこみ、束は引き出しに戻してそっと室を出た。

 大急ぎで客間に戻ってソファに腰を下ろしたのと同時に、玄関の方からティラールの声が聞こえた。

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