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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第一部・揺籃篇
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1-2・侍女の縁談と公女の婚約

 その日の午後、珍しく、多忙な父親と息子がどちらも揃って、母娘とお茶の時間を持つ事が出来たので、カレリンダ妃は良い機会と思い、ユーリンダ付きの侍女リディアを呼び寄せた。

 このリディアは、子供の頃から館に奉公に上がり、幼いうちから、控えめながら機転が利き、芯が強く忠誠も篤い事、また、双子の公子公女と同年という事もあって、一家の寵愛を受け、特にユーリンダとは、姉妹同然の絆があると言って過言ではなかった。

 くるくるとよく動く大きな黒い瞳と絶えることのない笑顔、女主人に劣らずほっそりした身体を持った健康な17歳のこの娘は、ユーリンダに比べるには平凡であるとしても、なかなかに美しく魅力的であった。


 白壁に東方シルクウッドから贈られた色鮮やかなタペストリーが飾られ、床には色鮮やかな込み入った柄のカーペットが敷き詰められた明るい室内に、こざっぱりした紺のお仕着せを着たリディアが遠慮がちに入ると、カレリンダ妃は、穏やかな口調で主に夫と息子に向かって言った。

「わたくしも昨日聞いたばかりですが、リディアに良いご縁があって、再来月に嫁ぐ事になったそうですの」

「ほう、それは良かった事だね。リディアもそんな歳になったのかね」

 朗らかに公爵が言った。

「だってお父様、リディアは私と同じ歳ですもの」

 既に話を知っているユーリンダが、やや意味ありげに答えた。意味ありげ、というのは、翌年には彼女自身が、許嫁のアトラウスとの挙式を控えた身である事を含んでいるのだった。

「そうだったね。おめでとう、リディア」

 気さくな領主の言葉に、リディアは深々と頭を垂れた。

「勿体ないお言葉……ありがとうございます」

 顔を上げながら、彼女はちらりと領主の息子の方を窺った。

 ファルシスは、関心なさそうに茶を啜っていた。幼い頃は、妹と共に遊び戯れた間柄でも、今や数多の美姫の間でももてはやされる身、一介の侍女の縁談などには、何の感慨も持ちようがない様子であった。

「ね、リディア、素敵なひとなのでしょうね?」

 既に何度も繰り返した問いを、ユーリンダは発した。

「とんでもございません……。田舎で商いをしているしがない中年男でございます」

 これまた、何度も答えている台詞をリディアは口にした。

 まさしく、その通りなのである。よくある話だが、田舎に住む彼女の親が主に金銭面で何かと世話になり、娘を後妻に欲しいという話を断りきれなかった、というだけのことである。

 リディアは、婚約者とまだ一度しか会った事がない。勿論、嬉しい筈もなかった。

 公爵夫妻に相談すれば、何とかなったかも知れない。しかし、彼女の気質がそれを拒んだ。

 世間知らずの公女は、結婚とは皆祝福に包まれた素晴らしいものだと信じているので、様々な脳天気な質問を向けてくるが、そうした彼女の性質を知り尽くしているリディアは、不快に思う事もなく、にこやかに応じていた。


 その時、公爵の甥にしてユーリンダの許婚であるアトラウスが館を訪れたという知らせが入った。

 許婚に夢中である公女は、もう侍女の縁談など忘れたかのように、そわそわし始めた。


 騎士団の行事の件でファルシスに用があるというアトラウスを、客間に通すよう執事に命じ、自身は別の会議に出席する為、公爵は立ち上がった。

「リディア、あなたは下がって良いわよ」

 妃の言葉に、失礼致しますと一礼して退室しようとする侍女の傍らを、ファルシスが通ろうとした。

「ああ、リディア」

 ふと思い出したように公子は言った。

「おめでとう。幸せにね」

「ありがとうございます、若様」

 リディアは深々と頭を下げた。


 階段を下りてゆく兄の後を、ユーリンダが嬉々として追った。

 訪れた許婚に挨拶する為だが、とにかく、愛しいアトラウスの顔を見られると思っただけでも、天にも昇る心地なのである。

 客間の扉が開くと、アトラウスは椅子から立ち上がった。

「わざわざ済まないね、アトラ」

 にこやかにファルシスが従兄に声をかけると、アトラウスは柔和な笑みを見せて一礼した。

「こんにちは、アトラ」

「やあ、ユーリィ。ご機嫌は麗しいかな?」

 アトラウスは進み出て、はにかんだ様子の許嫁の手に軽く口づけした。


 アルマヴィラ領主アルフォンス・ルーンの弟、カルシス・ルーンの世嗣アトラウス。

 彼の幼少期は、暗く複雑なものだった。

 領主の一族、ルーン公爵家と、神子と大神官の一族、ヴィーン家は、元々、この黒髪黒目の民族が住む地方に突然変異で現れた、黄金の髪と瞳を持つ双子の神子の末裔と言われ、血の濃い者は皆、黄金の髪と瞳を持って生まれるのが通常である。

 だが、前領主の次男カルシスと、神子カレリンダの従妹シルヴィア夫妻の長子アトラウスは、血が濃いにも関わらず、一般人と同じ、黒髪黒目の子供として生を受けた。

 兄に比べ、極端に貴族としての器量が劣ると陰口を叩かれるカルシスは、妻の不貞を疑い、詳しく調べもせず、疑いをすぐに確信に変えた。

 身の潔白を訴える妻と赤子を一室に、後に子供は引き離して陽の差さぬ地下室に軟禁し、世間には、母子は病で伏せっているとし、そのまま5年が過ぎた。

 そしてある日、叔父の館を訪れた幼いユーリンダが、兄と共に地下に迷い込み、幽閉された従兄に出会った。

 せめてもの情けと玩具だけは溢れるほどに与えられた、虚ろな瞳の少年と手を繋いで、双子が客間に戻った時、カルシスは狼狽し、衆目の前で幼い息子を思い切り殴りつけた。

 カルシスの妻は、遂に決断をした。

 禁じられた呪法……命と引き替えに、我が身の潔白を証明する呪法。

 自らの心臓の血を用いた渾身の術によって、アトラウスは正真正銘の公弟夫妻の息子と証明された。

 そこで初めて、カルシスは系図を細かく調べ、稀な例では、血の濃い領主一族にも、黒髪黒目の子供が生まれ得る事を知った。


 その後のカルシスは、アトラウスを世嗣と認め、表に出し、重んじた。

 後妻に迎えた隣領主の娘が、女の子を出産した後、病に倒れ臥せりがちとなり、男子の出産が見込めなくなった事も関係していたかもしれない。

 ユーリンダは、従兄に初めて会った時、まだ4歳だったにも関わらず、その心をすっかり奪われていた。

 長じてもその気持ちは変わらず、また、アトラウスの方でも、「今の自分があるのは、ユーリンダが自分を見つけてくれたからだ」と言い続けた事もあって、アトラウス17歳、ユーリンダ16歳の年、二人の婚約は成立した。

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