2-20・大神官ダルシオン
ヴェルサリアの守護主神ルルアに仕える数多の神官の最高位、ルルア大神官に就いてから20年となるダルシオン・ヴィーン。聖都アルマヴィラのヴィーン家当主の次男として生まれ、3歳で正式に大神官の次期継承者としてみとめられた。他の殆どの神殿の大神官が、研鑽を積んだ大神官候補生の中から、実力と人望、家柄を鑑みて(多少の権謀はあるにせよ)選ばれるのに対して、ルルア大神官の位は代々、世襲に近いかたちがとられてきた。
アルマヴィラに於いて領主ルーン家と対をなすヴィーン家。その存在意義は、聖炎の神子とルルア大神官を輩出することにある。両者はルルアに祝福されたあかしの黄金色の髪とひとみを持ち、生まれながらに『ルルアの代行者』として魔力を行使する素因を持っている。だが聖炎の神子が聖都アルマヴィラを守護し象徴する存在であるのに対し、ルルア大神官はヴェルサリアの神職の頂点として国王にも進言できる権威をもつ。
世襲に近い形ではあるが、能力のない者が認められる事はない。ヴィーン家の直系に近い男子のなかに、かならず素因を持つ者が生まれるのである。素因とは、魔力を先代より引き継ぐ事のできる器である。聖炎の神子の継承も同等で、歴代の聖炎の神子の殆どは、先代の娘である。現聖炎の神子のカレリンダの娘ユーリンダも、彼女の魔力を引き継ぐ器を持ち、次代聖炎の神子の資格を認められている。そのようにして、ヴィーン家はその歴史を紡いできた。
ダルシオンにはまだ後継者が決まっていない。大神官位について既に20年、本来なら、ヴィーン家の当主である兄ノイリオンが数人の子をなして、その中から後継が選ばれている筈であるのだが、ノイリオンが40歳にしてまだ独身であることが大きな問題だった。
兄は凡庸で愚かな男だが、彼がした事で最も愚かな事が、カレリンダに対する執着である、とダルシオンは常々思っていた。ヴィーン家当主の務めである、一族の求める結婚をせずに、カレリンダに袖にされた後は、親子ほど歳の離れたその娘にまで求婚し、疎まれる始末。確かに、ノイリオンとカレリンダが結ばれる事は一族の総意にかなう事ではあったが、カレリンダがルーン公妃となってしまったからには、さっさと他のヴィーン家の血をひく娘を娶るべきだったのだ。候補に挙がった娘は何人かいた。素因を持つ子を生める家柄で、気立てもよい娘たちだった。だが、『光輝く聖炎の神子』と称されるカレリンダの美貌の前にはかすみ、ノイリオンは悉く縁談を断ってしまった。
(莫迦が……妻など、よき子をなす為の存在だと、どうして割り切らぬ。他にいくらも、美しい側女を置く事もできように)
そのように思うダルシオンである。大神官である彼は、生涯妻を娶る事もないし、女性と関係を持つ事も許されない。神子だが巫女でなく、世俗にあり女性としての幸福を許される聖炎の神子とは異なる立場なのだ。だが、そのさだめを辛いと思った事はない。生涯をルルアに捧げる事がただひとつにして大いなる歓び。故にこそ、下らぬ恋情に流される兄を理解する気持ちは一片もなく、ただ愚かと断罪する心しかない。
そして彼は、アルフォンスとカレリンダもまた、同じ愚かなものと思っていた。一族の望まぬ婚姻を、ただ若気の至りで成し遂げた。ルーン公、聖炎の神子とは思えぬ堕落である。
(あの婚姻。思えばあれこそが、不吉を招く初手であった)
アルマヴィラに近づく不吉の予兆を感じ始めたのは、彼が大神官に就任して数年のことだったか。カレリンダが双子を懐妊した頃と重なる。当時は、それと結びつけて考えることはなかったが……。
不吉の予感は年を追うごとに高まった。聖都の危機、そしてヴェルサリアの存亡に関わる騒乱……。もうすぐ、それは現実となる。防ぐ為には、まず、発端となるアルマヴィラの危機を回避せねばならない。その為には、アルフォンスがルーン公であってはならぬ、と思った。
(アルフォンスは、平時にあっては、優れた領主かも知れぬ。だが、動乱のなか、不吉の極みのなかでは……)
そんな時には、アルフォンスの持つ公平性や情け深さは、大きな障害になる。聖都を護るには、多くの民の犠牲も厭わない、そんな冷徹さを持った領主が必要である。
(ルルアの秘宝を護り、アルマヴィラを護る、その為なら、わたしは喜んでこの手を汚そう)
カルシスとノイリオン、愚かな従弟と兄の企てに乗ったのは、そんな志からだ。彼らは、ダルシオンを騙し、捏造した証拠を真と判定させたと思い、有頂天になっている。そうではなく、騙されてやっているのだ、とは誰にも告げなかった。
彼らに加担するのは、アルフォンスを失脚させ、不吉な双子も排除し、危機を乗り切るために相応しいと見込んだ者をルーン公に据える為。それは、無論カルシスではない。
(アトラウス。そなたこそ……ルルアに選ばれし者。神託により、わたしはそなたが間違いなくカルシスの実子であり、あえて黄金色を持たずに生まれ出でたのもルルアの課した試練であると、初めから知っていた。それをカルシスに告げずとも、そなたは見事にその試練を乗り越えた。この事こそ、そなたがこの非常時にルーン公爵となる資格をルルアより得たあかしとわたしは信ずる。これより来る災厄に、共に立ち向かおうぞ……)
この事はまだ、アトラウスに告げてはいない。ユーリンダを愛する彼の反発を考え、慎重に機を選び話さなければ。いずれは、ユーリンダのいのちを盾にしてでも、彼に次期ルーン公となる事を了承させねばならないだろう。