2-18・都警護団長ダグ・ダリウス
「ダグ!」
朝食をとりおえたところでようやく、待ちかねたアルマヴィラ都警護隊長がファルシスの前に現れた。
「手短にお願い致しますぞ」
ダグ・ダリウスをファルシスの室へ通した金獅子騎士ウルブは素っ気なく言い、扉の向こうへ姿を消した。無論、会話を聞く構えであろう。昨日のアトラウスとの騒動で、監視がきつくなったようだ。
「ダグ、よく来てくれた」
「御前に参るのが遅くなり、申し訳ない」
ダリウスは頭を下げた。この無骨な中年男は、元々身分もない傭兵で、その腕と勤勉さを買われ、今の地位を与えられた者だ。粗野なところはあるが、決して筋を曲げない気概を持っている、とアルフォンスは高く評価していた。
アルマヴィラには、聖炎騎士団と都警護団というふたつの武装組織がある。
聖炎騎士団は、古き公国時代に国軍であったものの流れを汲む由緒正しいもので、貴族の子弟を中心とする騎士の集団であり、ルーン公に剣を捧げているが、そのルーン公は国王へ剣を捧げているので、ルーン家の私兵ではなく、王国の騎士団として存在する。
一方、都警備団は、身分がなく騎士になれない戦士の集団で、没落した地方貴族や商人の三男四男などもいれば、流れ者の傭兵たちもいる。これは純粋にアルマヴィラの治安を維持する為の組織で、ルーン家に賄われる私兵集団である。
騎士団は警備団を下に見てはいるものの、挑発等は一切固く禁じられており、両者に表立った反目はなく、協力し合う立場である。
現在、聖炎騎士団も警備団も、アルマヴィラに駐留する金獅子騎士団の監視のもとに置かれている。数の上では当然、金獅子騎士団の騎士に勝るが、彼らが反乱を起こすとは金獅子騎士たちはあまり考えていない。彼らの盟主ルーン公は既に金獅子騎士団の掌中にあるのだし、何よりそんな行動をとれば、王都から軍勢が送られ、裁判の結果を待つまでもなく、ルーン家はとり潰されるだけの話であるからだ。金獅子騎士たちは、ルーン家側の要人の監視に人手を割かれ、動揺が広がるアルマヴィラ都民の抑制には、聖炎騎士団と警護団にあたらせている。無論、両団の上層には監視をつけている。そのような状況下で、ダリウスが動き難い事は、ファルシスにもよく判っていた。だが、聖炎騎士団長のハーヴィス・ウィルムと違い、金獅子騎士たちはダリウスの事は、傭兵の隊長程度と侮っている。そこに、つけいる隙はある筈とファルシスは考えている。
「都民の様子はどうだ?」
「かなり混乱しているようです。まだ、暴動等に至る様子は見られませんが、今後の成り行きによっては、そういう可能性も考える必要があると思います」
むっつりとした表情のまま、ダリウスは答えた。ファルシスは溜息をついた。
「父上はアルマヴィラに於いては常に民のことを一に考えておられたというのに、あっけなく変わるものなのだな」
「仕方がありません。未曾有の事態ですから」
淡泊に感じられる警護隊長の応えだが、その奥には圧し殺した焦燥が感じ取れる。彼の仕事は、ルーン公の命により、都民を護る事だが、その都民がルーン家に危害を加えるような事態になれば……? まさに、未曾有の事態である。
「都民たちは、父上の有罪を信じているのか?」
「それは、様々だと思います。多くの者は、未だ殿への信頼を捨ててはいません。しかし、カルシス卿単独ではなく、大神官も加わった告発であるという事が、民の心を迷わせています。皆、敬虔なルルア信者ですから」
「そうか……」
確かにそれは大きい、とファルシスも思う。近い親類である大神官ダルシオン・ヴィーンは、かれをよく知るファルシスにとっては、一人の生身の人間であり、ヴィーン家の愚かな当主ノイリオンの弟という側面が大きいが、民の多くにとっては、国王に匹敵する程の雲の上の存在であるのだ。
「お耳に痛いかも知れないが、大神官の言葉はルルアの言葉であるのだから、国王の裁定など待たずともルーン公の有罪は確実、すぐにでもルーン公邸に押し入ろう、という輩もいる、と配下の者が聞いてきました。カレリンダ様は聖炎の神子であるから、御身に危害が加わる事はないとは思いますが、若や姫君の安全については、とにかく最優先にお守りせねば、と思います」
「……。ぼくはいい。妹を、どうか、頼む」
ややかすれた声でファルシスは言った。ダリウスの言葉は、もやもやとした不安を凝縮した刃のようで、心臓を貫かれた心地がした。そういう危険が実際に迫ってきているのだと、改めて突きつけられ、苦しかった。自分は自分の身を守る力を持っているし、暴徒などに殺されてしまうのなら、それだけの人間でしかなかった、という事だ。だが、妹は? 護られ、愛される事と愛する事しか知らない無力な妹が、暴徒に引き出されることなど、想像するだけで恐ろしく、総毛立った。
「そうだ、アトラウスは? ……実は、昨日、彼とはちょっとした喧嘩をしてしまったんだが、しかし、彼は母と妹を護ると言っていた。何か……知らないか?」
昨日のアトラウスのメッセージを不意に思い出し、ウルブが聞き耳を立てている事を意識しつつも、ファルシスは問うてみた。母と妹の身を案ずるのは当然の事で、この質問を聞かれてもまずい事はない。
「昨夜、街でお会いしました」
アトラウスの名を聞いたダリウスの声が僅かに上ずった。金獅子を気にしているのだろう。
「街で?」
構わない、というように目で合図しながら、ファルシスは聞き返した。
「そう……街で、警護隊の本営で。様子を見に来られたのです」
「かれは、出歩いて危険はないのか?」
「アトラウス様は、カルシス卿のご子息ですし、金獅子騎士が護衛についています。それに、その……黄金色でない、という事もあって、害意を持つ者は殆どないと思います」
「そうか」
「殿もカルシス卿も不在で、若は軟禁の身。身分の上では今、アルマヴィラを統べる仮の領主、とでも言える立場のお方です。金獅子騎士団の面々もそれを認めています。尤も、金獅子の意に背くような事は無論出来……なさいませんが」
「なるほど」
ダリウスはこの事を伝えに来たのだろう。思ったよりずっと、アトラウスは自由な動きがとれるらしい。
「ぼくの事を何か言っていたか?」
「若の機嫌を損ねてしまったと……心ない事を言ってしまったので、しばらく許してくれないだろうと……しかし、もし若にお会いしたら、ご自身の誠意を信じて欲しいと伝えてくれと、仰っていました」
「……そう簡単に許せるものか。あんな奴だとは思わなかった。しばらく会いたくない、と伝えてくれ」
『金獅子どもには、僕と君の仲が決裂したように思わせた方が、動きがとりやすい』
あの文面を心でなぞりながら、ファルシスはむくれたように言いつつ、まなざしでダリウスに了承の意を伝えた。
「承知」
ダリウスは頷いたが、これはファルシスの言葉でなく意を汲み取っての合図だった。
「だが、アトラウス様と、早く仲直りなさった方がよいかと」
「放っておいてくれ。折角来てくれたのに済まないが。また、都の様子を知らせに来てくれるな?」
「それは勿論。……では、これで」
ダリウスが扉を開けると、すぐそこにウルブが立っていて、冷笑を浮かべながら、お役目ご苦労でござるな、と嫌味っぽい言葉を投げかけてきた。つまらぬ男だ、と思いながら、ダリウスは軽く頭を下げて、室を後にした。