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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第二部・陰謀篇
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2-17・アトラウスの決意

 夜明けの光が薄灰色の筋となって厚いカーテンの隙間から洩れ入った。今日は天候が悪いらしい。僅かに意識を刺激されると、もうそれ以上寝台に横になっている気もせず、アトラウスは身を起こした。色々考えていて、殆ど眠った記憶もないが、頭は冴え冴えとしていた。

 カーテンを押し開けると、外は薄暗く、ひたひたと小雨が降っている。

(ユーリィ、きみはまだ眠っているだろうか。昨日、ファルに殴られたと聞いたら、卒倒するかも知れないね)

 唇の端が青黒く腫れぼったい。今日は会わない方がいいかも知れない。彼女は待ち侘びているだろうが、この顔では心痛の種を増やすだけだろう。だが、会っておかないと、残された時間は限られている……という思いもあった。

(ファル……あの手紙を読んで、僕を信じてくれただろうか。君たちが僅かでも僕に疑念を持てば、僕の計画はうまくいかないかも知れない。だが、それでは困る。金獅子どもに君たちを渡しはしない……絶対に彼らから護ってみせる)

 アトラウスは、ルーン公の冤罪が晴らされる可能性は低いとみていた。父親が姿を消してから、家に籠もってただ手をこまねいていた訳ではない。従僕らに情報を集めさせ、王都から様々な情報を得ていた。

平時より彼は、武力よりも情報が大事だと考えていた。いくら腕を磨き、武勇の者を集めたとしても、それ以上の軍に攻められればそれで終わりである。だが、情報を制していれば、少ない手勢でもいかようにしてでも勝機を掴める。穏和で争いごとを好まない、周囲からはそう評価されているが、それは当たっているとは言えない、と本人は思っている。大切なものを護る為なら、いつでも争いの中に身を投じる覚悟はあるし、そしてそうするからには必ず勝者とならねばならない、と決めている。平和の真綿にくるまれていたような頃から何年もかけて、彼は父親にも誰にも隠して自身の為の情報網を作り上げる事に尽力してきた。貴族の子弟など誰も出入りしないような街裏の区画にも足を踏み入れ、今では、まともな者からは忌まれるような怪しげな魔術師などにもつてを持っている。そういう行動をとる時、彼は、自身の黒髪と黒い瞳に皮肉な感謝の念を持つ。『聖女の血筋』でありながら、あかしの黄金色を持っていない。この事が引き起こした幼少時の悲劇は、彼の魂の奥底に生涯癒えない傷をつけたというのに、そのおかげで隠密行動がとりやすい。町民のなりで街を歩くと、誰もルーン家の若君だとは思わない。ファルシスなどでは、目立ちすぎて到底同じ事は成し得なかっただろう。

 ともかくそういう訳で、彼はアルフォンスが知らなかった情報を色々と手に入れていた。だが、伯父に忠告をする間もなく事態は急速に進んでいた。ユーリンダが深夜に会いに来た時、彼女に告げた気持ちは本当だ。彼女に逃亡の生活など耐えられる筈がないし、自分と駆け落ちしてそんな暮らしをさせる訳にはいかないと思った事。しかし同時に、彼女がこれまで通りの生活を続ける事が多分不可能で、悲劇が目前に迫っている事も知っていた。ルーン公が有罪とされ死を賜ったら、彼女はどうなるだろう? 聖炎の神子はアルマヴィラの宝であるが、ヴェルサリアの守護神ルルアの最高位の巫女でもある。大罪人の妻であるカレリンダの処遇は微妙なところだが、次期聖炎の神子であるユーリンダは、恐らく処刑される事はないだろう。だが、金獅子騎士団によって、終生幽閉の身となり、後継者が出来ればその子はヴィーン家のものとなり、彼女は闇に葬られる可能性が高い。勿論、アルフォンスの代わりにルーン公となるであろう父の一人息子である自分との婚約も破棄させられる。

 そして自分はどうなるだろう? 父がルーン公になる未来がある場合、それは、義母の父であるバロック公の力によるものである。バロック公が、無能なカルシスに力添えをする理由はひとつしかない。事実上ルーン家を配下に置き、近い将来に自分の孫、或いは曾孫をルーン公にする為。そして、その為には、自分はバロック公にとって邪魔者でしかない。いずれ、暗殺されるか、無実の罪を着せられて投獄されるか……。父親は勿論助けてはくれないだろう。

 何もしなければ、自分とユーリンダの未来は、きっとそんな風になる。だが、そうはさせない……憎しみ、ただそれだけしか感じられない父親の思うようにはさせない。これは、父親に復讐する無二の機会でもあるのだ。

(ユーリンダ……絶対に、僕は……僕を信じて、待っていてくれ。例えきみの望むように未来を共に歩めないとしても、きみにとって最上の未来を、きっと……)

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