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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第二部・陰謀篇
42/129

2-16・ラングレイ公爵とブルーブラン公爵

 同じ頃。

 上町の別の邸、バロック公邸に比して敷地は劣らぬものの、まったく飾り気のない、実用一辺倒の、煤けた茶色の煉瓦造りのラングレイ公邸にて。

「……そなた、此度のことをどう考えている?」

 邸内の一室、客間には、邸の外見と同じく、殆ど装飾もない。領民から贈られた素朴な麻織りのタペストリーが、古びた漆喰の天井から下がるのみ。

 問うたのは、ポール・ラングレイ、62歳。灰白色の髪を刈りつめ、灰色の鋭い目をしたこの公爵は、アロール・バロックより3歳年長で、親しみを込めてラングレイ老公、と呼ばれている。質実剛健、曲がった事は許さぬ清廉潔白な人柄、近寄りがたい風格を持つも、眼を細めて平民の幼子をあやすような一面も備えており、領民の人気は絶大で、王からも一目置かれている。時の権力者アロール・バロックも、ラングレイ公には、表面上、年長者に対する礼儀として、譲る場面も多かった。だが、あくまで、表面上、である。融通の利かぬラングレイ公を煙たがっているのは、すこし眼の利く者にとればあからさまとも言え、無論当のラングレイ公も承知していた。だが、かれは権力にはなんの興味もない。バロック公から疎まれようと、何の痛痒もなく、ただおのれの正義を貫くことに揺るぎはなかった。

 しかし、今回の事件においては、ラングレイ老公には、かつてない迷いがあった。しかとした証拠があり、王もまたルーン公の有罪を信じているのにも関わらず、自身の勘、他者に対する信用……そのようなものが、それらを打ち消すからである。アルフォンス・ルーンについては、幼少の頃より知っており、その高潔、王家への忠誠は疑いようもないと知り抜いている、

 万が一、王がバロック家から王妃を得てからの冷遇に、彼が僅かに不満を抱いたとしても、彼ならばそれを公の場で表明する筈であり、まかり間違っても、罪もなき乙女を生け贄に王の呪殺など、思いもつかぬ筈であること、判りきっている事なのである。

 しかし、その思いを打ち消すかのように、問われた男は応えた。

「さあねえ……人間というものは、とち狂って、よく知る他人にも思いもつかぬような事をしでかすものです。だからこそ、面白いんですがね」

「面白いなどと。まさか、儂以外の前で口にすなよ」

 大逆罪の話題にして不敬ともとられかねない返答を、ラングレイ公は鷹揚に聞き流した。相手の気性をよく知っているからである。

 リッター・ブルーブラン。王家の次に風流を愛すと公言している公爵。長い黒髪を背中で緩やかに束ね、古風なデザインの細やかな刺繍の施された優美なチュニックを纏い、緑色の瞳を愉しげに煌めかせながら、窓際に佇んでいる。まだおおやけにはしていないが、ラングレイ公の末娘を娶る話がまとまったばかりである。ラングレイ公は、以前より、この風変わりな青年貴族を気に入っていた。義理の親子となる事で、忌憚ない話ができると、ラングレイ公は期待していた。

「アルフォンスの気性はそなたも知っていよう。告発者である弟のカルシスは、長年かれと不和であるし、とても鵜呑みには出来ぬ」

 ラングレイ公は、同調する意見が欲しい。リッターはそれを解った上で、あえて同調しない。

「知られている被告の気性……それが裁判の結果を左右するようなら、秩序というものは何をもって成り立つでしょうか? 大事なのは、証拠、そして、陛下のご意志」

「そんな建前を聞く為に話をしているのではない。判っておろうが」

 やや、むっとしてラングレイ公は応えた。

「話を弄ぶのはそなたの悪い癖ぞ。時間は限られているのだ。アルフォンスがこちらへ着く前に、ある程度我々も腹を決めておかねばならぬ。無論、罪有りと見なせば、儂が自ら斬って捨てようと思うくらいだが、そうでなければ……」

「おや、これは異な事を仰せでございますね、義父上」

「なに……」

 リッターからこう呼ばれたのも初めての事であるが、それ以上にその言い草にラングレイ公は意外そうに目を剥いた。リッターは澄ました顔で続ける。

「アルフォンスが着いて直に話すまでは、黒か白か、いくらここで論議しても詮無きこと。そして、白と思えば勿論、そのように陛下に申し上げる。悩む程の事ではございませんでしょう?」

「そなた……」

 あまりの淡泊な返答に、ラングレイ公はかえって戸惑った。かれ自身は既にその気持ちを固めてはいたが、結果、バロックと敵対するも同じである行動に、間もなく娘婿となるこの青年は、もっと慎重になると踏んでいたのである。

「そなたは、それでよいのか。勿論儂はそのつもりでおるが、正直、そなたは、もっと利に聡い立ち回りをするのではと思っておった。儂などと違って、将来のある身なのだからな」

 現実にルーン公支持派としてバロック公と敵対し、そしてもし敗れる事になれば、ラングレイ公はさっさと隠遁して跡目を長男に譲り、自分の筋を通すことがラングレイ家そのものの危機を招かぬようにと考えている。だが、まだ若いリッターはそうもいかないだろう。跡目を継ぐ嗣子も無論まだおらず、彼の身に何かあれば、それはブルーブラン家の存亡にかかわる。

 それに、リッターは、ラングレイ公のように、義理人情に厚い気質ではない。彼は前ブルーブラン公の次男であるが、間柄は悪くなかった筈の兄の事を、「風流を解さぬ人間は家運を傾ける」と言って、善人だが凡庸である兄を廃し家督を自分に譲るよう父親に迫った、という逸話を持つくらいである。話の真偽は、直接本人に問いただした訳ではないので判らぬし、他家の事情に首を突っ込むつもりもない。だが、リッターが、善であっても愚である者を好まぬ事はたしかと知っている。此の度、アルフォンス・ルーンが、時の権力者バロック公の怒りをかった件、また、率直な諫言により国王の寵を失った経緯を、リッターは或いは愚かしい行為、と見なすのでは、とラングレイ公は案じていた。リッターの判断基準は独特で、誰にも読めない。それでも、総合的にみて、ラングレイ公は、自分には決して持てない奔放さを好意的に思い、愛娘を嫁がせる事にしたのであるが。

(たしかに、アルフォンスは愚かで誤った選択をした、と儂にも思える)

 諫言は立派な事であったが、ユーリンダの婚約の経緯については、古い人間であるラングレイ公には、理解しかねた。バロック公が、息子を入り婿にやってもよい、とまで言ってきた話を撥ね、娘が想いを寄せている、という理由だけで身内の者に縁づける、など、娘可愛さに盲目になっていた、としか思えない。

 女の幸せなど、所詮、嫁いでから決まる。バロック公の息子で、しかも心根優しい美男子でユーリンダにぞっこんであったと評判の男に縁づける方が、実の兄を憎んで提訴するような男の息子にやるよりも、余程娘自身の為になったに決まっている。アルフォンスは、もっと賢い男であると思っていたのに……。

 だが、リッターは、未来の舅とは違う価値観を持っていた。

「アルフォンスのこれまでの、己を貫く行動は、私は評価します」

 ラングレイ公の思いを見透かしたかのように、彼は言葉を継いだ。己を貫く行動……その言葉に、ラングレイ公ははっとさせられた。たとえ愚かしく見えようとも、信念を貫くことが何より肝要であると思っていたのは自分の方であった筈なのに、それを逆に指摘され、ラングレイ公は虚をつかれた心持ちになった。

「強者の言いなりにはならない……これこそ、風流を愛する者の行い。そのような男が、美しい乙女を犠牲に呪殺、などという醜い行為に走るとは、私には思えませぬよ」

「しかし、先にそなたは、証拠が重要だと言っておらなんだか?」

「確たる証拠ならば。ですが、カルシス卿の持つ証拠は、罪を決するには弱い。アルフォンスと話してみて、言動に不審がなければ、私はかれを支持します」

「おお……そうか」

 ラングレイ公の貌が綻んだ。意識していなかったが、リッターのこの言葉を待っていたのだ、と自覚した。

「天は義に味方する。陛下もきっとわかって下されよう!」

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