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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第二部・陰謀篇
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2-14・スザナ・ローズナー

 同刻。

 ユーリンダの夢に現れた人物を、不思議な事に、離れた地で微睡む彼女の父親もまた、目にしていた。

 不毛の大地に立つその若者に、アルフォンスは声をかけた。

「そなたは何者だ?」

 だが、彼の声は、音とはならなかった。

 何らかの魔道の力が働いている、と彼は気づいた。

 白い髪に紅いひとみ。初めて見る風体にも興味をそそられたが、それ以上に、若者の纏う雰囲気がひどく気にかかった。

 憎悪。絶望。触れれば弾かれそうな激しい気流が、その細い身体から吹き上がっているように感じた。

 数多くの騎士や戦士を知っているかれも、このような気を放つ者には出会った事がない。

 険しい視線をアルフォンスに向けたその人物の感情の波が、かれをみとめた刹那、爆発した。

「なんだ?!」

 若者の背後に、突如、紅蓮の炎が燃え立った。

「そなた・・・・・・?!」

 竜巻のように渦をなし、空へ螺旋を描きながら燃え上がる炎に包まれながらも、若者は熱さを感じる風もない。また、間近にいるアルフォンスにとっても、同様だった。

 魔道の炎。

 それは、アルフォンスも何度となく目にした事のあるもの。

 聖炎の神子である妻が、儀式の際にいつも灯す炎。

 だが、このような激しいものは、見た事がない。


 その時、どこからともなく、何者かの声が、無音の世界に響き渡った。

『お止め! お止めったら! 莫迦な子だね。世界が壊れてしまうよ!』

 その声に、我に返った若者は、慌てて炎を消そうとしたようだった。

 だが、遅かったらしい。

 魔道の力の均衡が崩れたのか、立っていた地面が大きく揺れ始める。

 よろめいたアルフォンスに、若者は咄嗟に手を伸ばした。

 その時、若者の顔の半分を覆っていた布が外れた。

「きみは・・・・・・」

 純赤のひとみから、涙の粒が零れる。

 アルフォンスは、そのひとの名を呼ぼうとした。

 だが、その瞬間に世界は崩れ去り、かれはただ深い闇の眠りへと墜ちていった。



 幸せな夢に笑みを浮かべる夜。

 恋人と甘く酔い痴れる夜。

 苦しみ、悩み、眠れぬ夜。

 悪夢に苛まれ、のた打ち回る夜。

 疲れ果て、泥のように眠る夜。

 どのような夜も、やがては明ける。



 深夜まで密談をし、短い睡眠をとったアルフォンス・ルーンは、明け方には目覚め、隙なく身支度を整えた。

 何か、夢を見たような気がする。それも、とても大事な何かを思わせるような・・・。

 暫し、記憶をまさぐってみたが、『重要』というイメージ以上のものは思い出せず、もどかしい。

 すぐに、考えるのをやめた。

 夢などに拘っている暇はないのだ。考えるべき事は山積している。


 宿の玄関のあたりが、騒がしいようだった。

 どうしたのかと思う間もなく、扉が叩かれ、ウルミスが朝の挨拶と共に姿を現した。

「おはよう。何かあったのかね?」

「きみに面会人だ」

 ウルミスは答えた。


「アルフォンス! 久しぶりね」

 笑みを浮かべ、男装の女性は言った。

「ああ、久しいね、スザナ」

 道中での突然の訪問に、驚いたとしても動揺を微塵も見せず、何の憂いごともないかのように、にこやかにルーン公は彼女を迎えた。

 

 七公爵のひとり、ローズナー女公爵、スザナ。

 齢三十八にして、華やかさがいまも盛りのように見える男勝りの麗人は、アルフォンスとは幼馴染の間柄であった。

 彼女の父親の前ローズナー公とアルフォンスの父、先のルーン公は、親しい仲であり、先代の頃には、王都に逗留する際は勿論の事、それ以外にも折につけ、家ぐるみの交流の機会があったのだ。

 まだ幼少の頃、歳上ではあるが、スザナをアルフォンスの許婚に、という話まで持ち上がったものだったが、スザナの二人の兄が相次いで夭折し、彼女がローズナー家の跡取りとなった為に、立ち消えになった、という経緯さえあった。

 子供の頃の二人は、伸びやかで明るい気質が良く合い、仲睦まじい姉弟のように過ごしたものだった。

 だが、長じて、互いに家庭を持ってからは、流石に男女の別がある為、親友のような付き合いはなくなっていた。

 とはいえ、七公爵家のうちで、アルフォンスにとって、最も親しい間柄の家であり、スザナの娘フィリアとユーリンダは、まめに書簡のやり取りをする仲である。

 現在、窮地に陥っているアルフォンス・ルーンにとり、ローズナー女公爵が、昔からの絆に免じて、かれの言い分をきちんと吟味し、もしその潔白を認めたなら、力になってくれるのか・・・ということは、かれの命運を左右する、極めて大きな要素のひとつと言えた。

 王都に護送されてしまえば、王家の監視なく話す事は難しい。

 いち早くここに会いに来てくれた事は、アルフォンスにとって、望外の出来事だった。


「少しだけでいいわ。二人で話させて頂きたいわ」

 波打つ豊かな赤い髪を後ろに払いながら、砕けた口調で、スザナはウルミスに言った。

 だが、ウルミスより先に、副団長のノーシュ・バランが、険しい表情を作り応えた。

「お待ちください、レディ。護送中の大逆の罪びとと、何をお話なさりたいのか。国王陛下の御名において、公正な話であれば、お二人きりでなく、この場でお話頂きたい」

 スザナは負けてはいない。

「わたくしは、ウルミス卿と話しているのです。他の者は、お下がりなさい」

「な・・・・・・!!」

 ノーシュにとっては、このヴェルサリアの尊き国王を護る金獅子騎士団の副団長として、国王の名を出したのに聞き入れられぬなど、いかに七公爵といえど、あってはならぬ事である。

 侮辱と感じた彼の丸く白い頬が、血の気を帯びた。

「陛下は、そこなルーン公に罪ありと、既に仰せなのですぞ。ローズナー公におかれては、その罪びとに加担されるおつもりか」

「言葉が過ぎる、ノーシュ卿。裁判を行うと陛下がお決めなのだから、まだ罪が確定した訳ではない。ルーン公とローズナー公の面談を、何ゆえに、未だウルミス卿が口も開かぬうちに、そなたから禁じられねばならぬのか」

 凛としてスザナは言い放った。

 ノーシュが言葉を返す前に、慌ててウルミスが割って入る。

「レディ、手短にお願い致しますぞ。出立の刻が迫っておりますからな。そちらの室をお使い下さい」

「団長!」

 ノーシュが不満の声を上げる。その背後の数人の団員も、副団長と同じ目をしている。

 ウルミスは、心中溜息を漏らした。固い信頼で結ばれている筈の配下。なのに、アルフォンスを擁護する、という決断を、だれも支持せず、喜ばない。

 アルフォンスは、高潔且つ分け隔てのない気さくな人柄や、主だった貴族のうちで最も凛々しく整った容姿などから、既婚の身ながら宮中の婦女子に人気が高い。

 だが、時の権力者バロック公にも媚びず、王にも諫言を厭わない姿勢を、鼻持ちならぬと感じる騎士、貴族が多いのもまた事実であった。

 国王直属の金獅子騎士団においては特に、王の暗殺を謀ったというおぞましい嫌疑をかけられた、というだけで、憎しみを持つ充分な理由になるのである。

 王への忠誠篤い証といえなくもない反感を、咎めだてもできず、ウルミスはただ眉間に皺を寄せる事しか出来なかった。


「スザナ、わたしの話を聞いてくれるかね?」

 ルーン公の問いかけに、女公爵はあっさりと首を横に振った。

「長々と話を聞いているいとまはないわ。わたくしはただ、これだけを聞きたいの。あなたは、やったの、やってないの?」

 単刀直入な物言いに、アルフォンスは一瞬驚きながらも、すぐに吉兆を感じた。

 スザナの言葉は、要すれば、アルフォンスの言い分を無条件に聞く姿勢があると意味している。

「やっていない。わたしは永遠に陛下の忠実なる臣だ。信じてくれ、スザナ」

「証拠は?」

「ない」

 スザナはまじまじと幼馴染の顔を見つめた。

「それで他人を納得させられると思っているの? あなたの弟は、何やらルルア大神官も認めた立派な証拠を用意していると言うじゃないの」

「らしいね」

 アルフォンスは頷き、軽く溜息をつく。

「しかし、ねえスザナ。もしもわたしが罪びとなら、こうした事態に備えて、何かしら身を守る準備をしているものではないかね? あまりにも青天の霹靂……想像の域を遥かに超えた告発に対して、どうして前もって無実の証拠など、揃えられようか?」

「呆れた言い草ね。でもまあ、一理なくはないわ」

 スザナは苦笑した。

「相変わらず弱みを見せないのね。少しは青くなってるかと思ったのに。無実の罪を着せられた人間は、もっとうろたえるものじゃなくて?」

「うろたえているさ。やせ我慢をしているだけだよ」

 あっさりとアルフォンスは言う。スザナはかれの目をじっと見つめたが、その黄金色の瞳からは、何の動揺も怖れも読み取れなかった。

「……どうして、アロール・バロックに喧嘩を売ったりしたのよ?」

「ひどい誤解だ。わたしは誰にも喧嘩を売った覚えなどない」

「バロック公は、体面を傷つけた者を、決して許しはしないわ」

「しかし、それだけの理由で、こんなでっちあげを……」

「するわよ。元々、彼は、意のままになるヴェイヨン以外の公爵を邪魔に思っているんだから」

「スザナ……」

 今度はアルフォンスが、スザナの濃い緑色の瞳を凝視した。

 幼馴染とは言っても、成人して以来、当たり障りのない社交辞令や、他愛のない世間話ばかりで、笑い合う事はあっても、他人に聞かれてはならぬような話をした事もなかったのだ。

 彼女がこんなにあからさまなバロック批判を口にするとは予想していなかった。

「なんで縁談を断ったの。バロックと縁戚になっていれば、こんな事は起きなかったかも知れないのに」

「ユーリンダには想う相手がいたんだ。娘を犠牲にしてまで、バロックの機嫌をとるつもりなどなかった。たとえ、こうなる事がわかっていたとしてもだ」

「馬鹿ね。少女時代の恋愛なんて、過ぎれば幻のような思い出に変わるだけのものでしかないのに。貴族の娘にとっての幸せは、一族に望まれた結婚をする事だわ」

 思いがけず語気が強くなったスザナは、すぐに我に返ったように首を振った。

「ごめんなさい。こんな話をしてる場合じゃなかったわね」

「スザナ……」

 彼女の亡き夫は、彼女の父親が定めた、一族内のかなり年上の男だった。その結婚が、若いスザナにとって最初は意に沿わぬものだったとしても、子宝にも恵まれ、1年前に夫が事故死するまで、落ち着いた幸福な暮らしを送ってきたようだ。

 ユーリンダとティラールも、そんな夫婦になれたのかも知れない。しかし、過ぎた事を今更どうする術もない。

「あなた、どうするつもりなの。このまま泣き寝入りして運命を受け入れるの?」

 待ち受ける運命とは、汚辱にまみれた死であろう。アルフォンスは首を横に振った。

「泣き寝入りする気はない。死を怖れる心はないが、我が名が後の世まで、覚えなき罪状のもとに、卑劣で残虐な大逆の徒として語られるのは怖ろしい。陛下の命じる死であれば、甘んじて受け入れるしかないが、とにかく、心を尽くして真実を語り、陛下にわかって頂こうと考えている」

「陛下はかつての素直な少年ではないわ。バロックの娘の言いなり……聞いた?彼女の懐妊を」

 スザナは敢えて王妃様ではなく、バロックの娘と表した。アルフォンスは無論気づいたが、それには触れずに言った。

「ああ、聞いた。目出度い事だ」

「はあ?」

 呑気な応えにスザナは目を剥く。目出度いのはあんたの頭だ、と言いたいのを堪え、スザナは首を振って、なんてお人よしなの、と呟くに止めた。

「今の陛下に、心を尽くした話とやらが、そのままに届くとは思えないわ。ウルミス卿も判っていると思うけど……ウルミス卿も味方なんでしょう? さっきの感じから推測すると」

「も、という事は、きみもわたしを信じてくれるのか?」

「あなたがこんな似合わない事が出来る男だと少しでも思ったなら、わざわざこんなところまで来ないわ」

 スザナは軽くまばたきをして笑った。遠い昔、少女の頃によくしていた仕草に、アルフォンスは懐かしさを覚える。

「ありがとう、スザナ……」

「私一人では、バロックに太刀打ちできないわ。けれど、ヴェイヨン以外の公爵を味方にできれば、何とかなるかも知れない。私、一応策があるのよ。希望を捨てないで、アルフォンス」

「何と言って感謝していいか分からないよ。これもルルアのお導きか」

「いえ、あなたの人徳でしょ」

 真面目な顔つきでそう言ってから、スザナは再度笑った。

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