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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第二部・陰謀篇
35/129

2-9・ティラールの誓い

 ファルシスとアトラウスがひと騒動を起こした同じ頃、ユーリンダのもとにも来客があった。

 刻は夕暮れ。

 厳戒態勢の館にいきなり、白馬に跨り臆する様子もなく近づいた若い男に、慌てて金獅子騎士が駆け寄る。

「待て! 許可なき者はなんびとたりとも、ルーン公邸に近づくこと、まかり通させぬ!」

 剣の柄に手をかけそうな勢いの騎士に対し、男は眉間に皺を寄せつつこう返した。

「俺は、宰相アロール・バロックの息子、ティラール・バロック。誰の許可が必要なのか、教えてくれ」

 騎士は一瞬逡巡したが、男の容貌に、式典の折にみた宰相と相似するものを見出し、退いた。

「失礼致しました。宰相閣下の御命であれば、どうぞお通り下さい」

 ティラールは僅かに複雑な表情をみせたが、頷き、馬を進めた。


 ティラール訪問の報に、ユーリンダは戸惑いを感じるばかりだった。

 このところ、来訪がなかったので、彼がまだアルマヴィラに滞在していることすら、意識の外だった。

 今の窮状に、もっと親しい者たちも誰一人、訪れてはくれぬのに、なぜ彼が?と訝しんだ。

 実際は、彼以外の訪問者は皆、金獅子騎士によって追い返されていたのであるが。


「姫。此度の事は、さぞかしお胸をお痛めの事と存じます」

 そんな風にティラールは言った。

「勿論、そうですわ」

 ユーリンダは返した。今回の出来事に、自分がこのティラールとの縁談を嫌がった事が絡んでいるかも知れない、などとは思い至らない。生まれて初めて経験する、辛く不安な気持ちを慰める為にわざわざ来てくれたのだと思うと、いくら嫌いな相手でも、僅かに気持ちが和らぐ。だが、だからと言って、愛想笑いをする気にはなれない。

「ご不自由はありませんか?私に出来る事なら何でも助力致しますゆえ、何なりと仰ってください」

「不自由はありませんが……」

 ユーリンダはふと言い淀んだ。

(何でも助力?)

 その台詞で初めて彼女は、相手がこの国の権力者の息子である事を思い出した。

「お助け下さると仰るなら、どうぞ父をお助け下さいまし。あらぬ疑いをかけられているのです。父は大逆の罪を犯すような人柄ではございません。そのことは、娘であるわたくしが誰よりも知っています。どうか、お父君の宰相閣下におとりなしをお願い下さいませ」

 もしもこの願いが、同じ宰相の息子でも、彼の兄たちに向けられたものでもあったなら、たちまちに一笑に付されたものであったろう。バロック家とルーン家の確執は、彼女の意向に端を発しているのであり、それをよく理解していないのは、当事者のなかでは彼女くらいのものであったのだから。

 だが、ティラールは、軽くあしらう代わりに、真摯な眼差しで頷いた。

「正直に申し上げると、末っ子で不肖の息子である私の言葉に、父がどれ程耳を貸すかは判りません。ですが、姫のお言葉はきっと、わが父に伝えましょう」

「ほんとうですか」

 ユーリンダのやつれた頬に、ほのかに赤みが差した。彼女の感じやすいこころは、この一言で、目の前の優男に対する評価を変えた。

(誰もが助けてくれようともしないのに、冷たくしていた私の願いをこんなに真剣に聞いてくれている)

 と言っても勿論、恋愛感情とは程遠いものである。許婚のアトラウス以外の男性が、恋愛の対象となるなど、ほんの子供のうちから、ユーリンダには考えもつかなかった事なのだ。

「ティラール様、ありがとうございます。今のお言葉でわたくし、どれほど力づけられたか、言葉にしようもない程ですわ。色々、あの、失礼な事も致しましたのに……」

 ティラールの訪問に対し、しょっちゅう、理由をつけては会わずに追い返していたユーリンダである。

「なんの、どうかお気になさらないで下さい。アルマヴィラに滞在させて頂いている間に、ルーン公の実直なお人柄に折につけて触れ、誠に感じ入っています。罪を犯されるようなお方ではない。そのことをきっと父に知らせましょう。本当にお役に立てた時には、私という男の評価を、改めて頂ければ望外の喜びですが」


 もちろんですわ、と言いかけた時、扉がノックされた。

「お話中失礼致します。ルーン公妃が、ティラール様と面会を希望されております」

 執事の言葉に、ティラールは軽くとまどいの表情を浮かべながらも、勿論、と頷いた。


 その返事を待っていたように、カレリンダが執事の後ろから現れた。

 うつうつと仮眠をとっていたが、ティラールの来訪を聞き、すぐに身なりを整え、しゃんとしていた。

「これはルーン公妃殿下、ご挨拶が遅れ、失礼致しました」

「とんでもございませんわ、ティラール卿。わたくしこそ、もっと早くご挨拶致すべきでしたわ」

 カレリンダの瞳はいつもとは違う光を帯びていた。

「お母様! ティラール様は、お父様の無実について、宰相閣下におとりなしをして下さるそうですの!」

 幾分得意げに、ユーリンダは言った。

「おとりなし?」

「そうよ、お父様が無実である事を、ティラール様は、ちゃんとわかって下さったわ」

 単純な答えに、カレリンダは軽く嘆息し、ティラールに向き直った。

「本日は、どのようなご用件で、娘をお訪ね下さったのでしょう?」

「……それは無論、ユーリンダ姫が、心細い思いをなさっているであろうと……」

「心細いのは当たり前ですわ。父親が、謂れのない罪を着せられているのですから。それにしてもティラール卿におかれましては、この事を、驚かれるようなこともなかったのではありませんか」

 思いを、カレリンダは率直に口にした。


 聖炎の神子とはいっても、政治的な駆け引きの手ほどきを受けた訳でもない。 

 正しいやり方かまったく確信が持てなくとも、夫と子供たちを守る為に、思うように闘うしかない。

 バロック家の息子……彼がユーリンダに近づいた事が、災いの発端としか思えない。

 しかし、もしもこの若者の愚かさが、飾りではなく、本心からユーリンダに惚れているとするならば、最大限に利用するべきである。


「どういう意味ですか」

 怪訝そうにティラールは問い返した。見る限り、二心があるようではない。しかしカレリンダはもう後にはひけない。

「お父君から、このような事が起こる、と、前もってお聞き及びだったのではないですか、と申し上げているのですわ」

「……」

 ティラールは暫し考え込み、それから慎重に口を開いた。

「妃は、父がルーン公を陥れた、とお考えなのですか」

「……証拠は何もありません。ですが、宰相閣下が是としなければ、今回の騒動は起こらなかったのではないかと思っています」

「陛下に直訴したのは、妃の義理の弟どのですよ?」

「かれは宰相閣下の娘婿ですわ」

 わかりきったことをなぜわざわざ言わせるのだろう?もしかして、自分は誘導されているのだろうか?カレリンダは、急に心細くなった。目の前の、誠実そうな表情を浮かべた優男の真意は、まったく読めない。

 その時、ユーリンダが口を挟んだ。

「何を仰っているの、お母様!」

「え?」

「ティラール様は、お力添えをお約束して下さったわ。それなのに、そんなこと……失礼ではありませんの?」

 ユーリンダは憤慨していた。

 宰相バロック公がどう思っているのか、彼女にはわからない。しかし、その息子ティラールは、たった今、助力を誓ってくれたばかりである。そんな彼を糾弾するような物言いは、失礼ではないのか。

「ユーリンダ。これは大事な話なの。要らない口を挟まないで頂戴」

 また娘が見当違いの事を言い出した…とカレリンダは思い、思わず幼子を叱る様に、有無を言わせぬ口調で言った。

「妃。要らない口ではありません」

 ティラールは眉をひそめて言った。

「わたしはユーリンダ姫を訪ねてきたのです。姫のお言葉はすべて、わたしには貴重なもの。姫がわたしを頼りにして下さった事は、わたしにとって感涙にいたる事。わたしは暫く父と会っていませんし、父が何を考えているか、正直に言って、わかりません。しかし、父の息子である事を最大限に利用し、姫とご一家の為に役立とうと思っているところです。どうか、姫と同じように、わたしを信じていただけませんか?」


 そう言われても、カレリンダはまだ、この若者を信じる気にはなれなかった。

 だが、これ以上ここで責めても、事態が何か好転する筈もない。

 カレリンダは俯いた。

「申し訳ありません……ティラール卿。ご親切なお言葉には、痛み入るばかりですわ。わたくしは、混乱しているのです。突然、あらぬ疑いを突きつけられて……ご理解頂けますわね?」

「勿論ですとも」

 ティラールは、気の毒そうな表情でカレリンダを見た。

「ユーリンダ姫の母君に対し、悪く思う筈もありません。どうか今は、休まれて下さい。わたしはこれより、父に書状をしたためます。朗報を待っていて下さい」

 嬉しそうなユーリンダと共に、カレリンダは礼を言うしかなかった。


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