表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第二部・陰謀篇
31/129

2-5・密談

 同日夜。

 アルフォンス・ルーンを護送する金獅子騎士団の一行は、ルーン公領内リンクスという町で宿泊する事となっていた。

 『踊る金貨亭』というこの宿は立派なもので、位の高い貴族も利用する処である。アルフォンスも、ここの主人がこれまで最も敬意を払ってきた上客であった。

 騎士団長ウルミス・ヴァルディンは、この宿で最高の室をアルフォンスにあてがい、自分はその隣の部屋をとった。そして、この町名産のリプ酒という果実酒と食事をアルフォンスの部屋へ運ばせ、夕餉を共にする事にした。

「いいのかい、罪人をこんな扱いにして?」

 アルフォンスは、粗末な馬車に一日揺られてあちこちが痛む身体を、上等のソファにゆったりと沈めながら尋ねた。

「構うものか。まだ罪が確定した訳ではない。大貴族様を質素な部屋に監禁する訳にもいかないだろう?」

 ウルミスは冗談めかして答えたが、すぐに溜息をついて、まあ、王都が近くなれば、こうもいかなくなるかも知れないが、と付け加えた。

 副団長のバランなどは、大逆人へのこの待遇に、あからさまに不満な顔を見せている。

 やはり、国王が告発を是とし、激怒している事を知る者にとっては、裁判など待たずとも、アルフォンス・ルーンは憎むべき存在なのである。

「とにかく、今宵は飲もう。積もる話もあるしな」

「ああ、そうだな。飲まずには眠れそうもないしな」

 アルフォンスは微笑して答えた。


「状況は、悪い。何ゆえに、陛下が簡単に告発を信じられたのか? それは、きみの弟の背後に、バロック公がついているからだ」

「やはりな……そういう事だろうと思っていたよ」

 アルフォンスは嘆息した。

 国王の寵愛を一身に受けている王妃の祖父にして、先王時代からの宰相、アロール・バロック。その意志には、この国内において、何者も逆らう事は困難である。王妃は祖父に忠実で、国王は王妃の言いなりだからだ。

 バロック家とルーン家は、領地を接している。歴史的には、ヴェルサリア建国後の両家の関係は悪くなかった。だが、現在、アルフォンスには、バロック公に疎まれる理由があった。

 アロール・バロックの子息ティラール・バロックと、長女ユーリンダの縁談を断った件である。

 従兄との婚約を理由にしたものの、バロック家側にすればそれは後出しであり、アロールにとってこれは、若造のアルフォンスから侮辱を受けたに等しい出来事だったのである。

 アロール・バロックは、非常に矜恃の高い人物である。己の顔に泥を塗るような行いをした者を許すことは、決してあり得ない。その事は、充分に理解した上で、アルフォンスはそれでも、愛娘の幸福の方を優先したのであった。まさか、こうした事態に繋がるとまでは、予想もしなかった事ではあったが。


 一方、カルシスは、アロールの三女アサーナを妻としていた。

 彼の愚行により最初の妻に起こった悲劇は、当時国中の噂話となっており、当然アロールの耳にも入っていた筈であった。そんな中で、大切な娘のひとりを、そのように思慮が浅く、しかも伯爵に過ぎない男の後妻に、という話がもたらされた時、アルフォンスは驚きと戸惑いを禁じ得なかった。無論、こちらから断る理由もなく、カルシスも大喜びで受けたものだったが。

 その後、アサーナは、身体的にも精神的にも弱い女性である事がわかり、何とか一女をもうけた後は、身の回りを世話をする者以外、夫を含めた誰をも寄せ付けず、娘と共に引きこもる生活を送るようになってしまった。その為、アルフォンスや周囲の者たちは、アサーナがそういった性質である為に、厳格な父親に疎まれ、厄介払いされたのであろうと、心中考えたものだった。

 だが、今にして思えば。もしかして、アロール・バロックはこう考えていたのではあるまいか。

 アルフォンスの次に、ルーン公爵の継承権を持つのは嫡男ファルシスであり、その次には弟カルシスである。しかし、アルフォンスもファルシスも若く健康であり、ファルシスがやがて妻を娶って男児を成せば、その子供たちがファルシスの次の継承権者である。普通に考えれば、カルシスがルーン家の長となる可能性は低い。

しかし、アルフォンスとファルシスが、揃って爵位を放棄せざるを得ない事態に陥れば。次のルーン公爵はカルシスである。彼と前妻の息子など理由をつけて廃嫡してしまえば、アロールの孫が、その次のルーン公爵となる……。


「きみとバロック公が疎遠になった経緯については理解しているつもりだ。だが、それだけで、こうまでの大事を仕掛けてくるとは思えない」

「勿論、あちらには、以前から色々な思惑があったのだろう。カルシスが行方不明になった時に、彼の舅に対して、ただアサーナ殿を気遣うばかりで、裏を考えなかったわたしは、あまりに迂闊すぎたというものだろう」

 自嘲気味にアルフォンスは言い、リプ酒の杯をあおった。

「カルシス一人で、こんな大それた事が出来る訳がない。カルシスにノイリオン、そして大神官だ。わたしはノイリオンにも恨まれているからな。そしてそれにバロックが手を貸している……」

「誰が敵で誰が味方なのかを、慎重に見極めねばならん。宰相の意向に逆らってでも、きみを擁護しようという者は、少数だろう。だが、わたし以外にも、そういう者はいなくはない筈だ」

「ウルミス……わたしの為にきみの立場を悪くしては、申し訳が立たぬ」

 ウルミスは酒杯を手にしたまま、にやりと笑った。

「水くさいことを言うな、アルフォンス。わたしは宰相など懼れないぞ。きみの無実を確信した以上は、宰相が何と言おうとも、真実を陛下にお伝えするのがわたしの役目」

 勇ましく騎士団長は言い放ったが、陛下、という一言が出た途端、二人の表情は暗くなった。

「たとえバロック公が口添えをしたにせよ、いったいどうして陛下は、わたしが陛下の御身を害そうとしたなどと、信じてしまわれたのか。わたしはそれ程に、陛下の信薄い家臣であったのか。それがいちばん、情けないことだ」


 現国王エルディス・ヴェルサリアが王太子であった頃、アルフォンスは、かれに特に気に入られていた。

 おべっかを使わず、実直で温かな視線で見守り、色々な知識を与えてくれるアルフォンスは、他の貴族たちからは感じられない親しみを王子に感じさせた。年に数度、アルフォンスが王都を訪れる度、王子は時間の許す限り、アルフォンスと共に過ごして、学問や剣の稽古に付き合わせたものだった。

 また、アルフォンスも、優しく繊細で向学心の強い王太子を格別愛しく思い、時間のやりくりをしては極力、彼の要求に合わせていた。

 王太子殿下とルーン公は、まるでご兄弟のようにお仲がよろしくて、とは、宮中の婦女子には、当たり前の挨拶のように言われていたような間柄であったのだ。

 そんな間柄が、少し変化の兆しを見せるきっかけとなったのは、王子の結婚である。

 宰相の孫娘との盛大な結婚式を、アルフォンスも万人と共に、何の裏心もなく寿いだ。

 艶やかで賢しい王妃は、ヴェルサリアの繁栄に一層の華をもたらすであろう……誰もが、そう信じて疑わなかったのだ。

 だが、婚儀から二ヶ月の後、アルフォンスが若き国王に伺候した時、エルディス3世の様子は、以前とはやや異なったものを感じさせた。

 下々の者にも思い遣りを持った性質であったのに、些細な失敗で側仕えの者をきつく叱り、打擲した。衣服や室内の調度も、依然と打って変わって、華美なものを好むようになっており、それを入手した経緯を自慢げに語った。

 アルフォンスは、その変化をよく思わず、小姓を打擲した際、そこまでなさらずとも、と軽くたしなめた。すると、これまでは、アルフォンスの進言は全て素直に受け入れてきた王が、急に不機嫌になり、会見を打ち切ってしまった。その背後には、王妃リーリアの、鋭く冷たい視線があった。

 アルフォンスはこれを寂しく思ったものの、まだお若く、新婚の身であられるのだから、今だけの事であるだろう、聡い質をお持ちの方なのだから、と自らに言い聞かせ、王都を後にしたのだった。

 その後、王と個人的に会話を交わす機会は殆どないままに、半年以上が過ぎていたのであった。


 アルフォンスの中では、国王は未だ、素直な瞳を持った少年のままである。

 だが、婚儀以降も常に側近くにあったウルミスは、彼の変化を詳細に捉えていた。

 国王を唯一無二の主として剣を捧げた彼は、僅かにも主君に対し、非難がましい言動をとることはない。

  しかし、思う事は自由である。

「王太子であられた頃と同じ陛下であると思うな。……わたしが言える事は、それだけだ」

 幾分沈んだ口調に、アルフォンスも彼の含みを察した。

「わかった」

 だが、ウルミスは、まだ伝わっていない、ともどかしい思いを持った。アルフォンスは、王に目通りして直に話せば、きっと理解を得られる、という望みを持っている。しかし、現在の国王を知る者としては、決してそうは思えない。


 カルシスが王への目通りを願ったあの日。

 傍で一部始終を見ていた彼は、その時の王の様子を忘れる事が出来ない。

 告発を聞いた王は、まず、うろたえ、視線を泳がせた。

 聡かった王太子時代、彼はこんな表情を臣下に見せる事は、まず、なかった。

 だが、この時点では、王にはアルフォンスへの過去の信頼が残っていた。

 しかし。

 泳いだ視線が王妃に向かった時、王妃はそれを真正面から受け、きっぱりと言い放ったのだ。

「これは、ゆゆしき事態ですわ。即刻、ルーン公を討つべきです」

 意見を求められた訳でもないのに、女だてらに……という気持ちを、内心持ってしまったウルミスだったが、その言葉を聞いた王の頬には途端に赤味がさした。

「そうだ!! おのれアルフォンスめ、許せぬぞ! これまでの数々の恩義を忘れおって、大逆の徒と成り果てたか。ウルミス! すぐに奴の首をここへ持って参れ!」

 こう叫んだのである。

 だが、国の重鎮、七公爵の一人であるルーン公を、一方的な告発ばかりを鵜呑みにして討つ訳にはいかない。

 まずは、王都へ召喚し、弁明の機会を与え、それから罪状を判断すべき……そのように話を落ち着けるのに、ウルミスと、居合わせたラングレイ公は、かなり骨を折った。

 王妃の一言で、王はかなりの興奮状態となっていたのである。

 王妃は、気分が不良だ、と、途中で退席した。

 そして、王妃の祖父であり、カルシスの舅であるバロック公は、同席しながらも、不気味な沈黙を保っていた。ウルミスとラングレイ公の説得には、一言も口添えする事なく……つまり、逆の立場であると、無言で示していたのだった。


「それから、もうひとつきみに知らせておく情報がある。まだ公にはなっていないが、王妃様はご懐妊しておられる」

「なんと、そうなのか? それは目出度い事だ!」

 思わずアルフォンスは微笑して言った。ウルミスは呆れ顔になった。

「……無論、目出度い事だが、きみの立場で、それが言えるのか?王妃様がお世継ぎをお産みになれば、バロックの権勢は、最早何者にも揺るがせられまい」

「ああ、そうかも知れないな。だが、エルディス殿下……いや、陛下に、御子がお生まれになると思うと、わたしは、自分に孫が出来るように嬉しいよ。まだ、孫はいないがね」

 ウルミスは嘆息した。

「なんと人の良い。これが大逆の疑いをかけられた者だとは。こんなお目出度い者に、呪術で暗殺など、企めるものか」

 ウルミスは、少し酒が回ってきたようだった。

「おや、まだ疑っていたのかね?」

 アルフォンスは、華奢な外見に反して、酒に強い。酔って頬を赤くした親友を見やり、静かに笑った。

「そういう訳ではない。今は、一片もきみを疑う気持ちはない」

 むっとしてウルミスは言い返した。

「判っている。冗談だ、気を悪くしたなら謝る」

「冗談にする事でもなかろうに」

「この二人だけの場では、いっそ冗談の種にもしたくなる。まったく、未だに、悪夢の中にいる、としか思えぬ状況だからな」

 溜息をつくアルフォンスに、ウルミスはいきなり頭を下げた。

「済まぬ、告白しておくが、実際きみに会うまでは、もしや……という気持ちは、心のどこかにあったのだ。この世には、時として、あり得ぬと思い込んでいた事が起こるからな。弟どのと折り合いが悪い事は知っていたから、かれの告発のみでは、鼻で笑って済ませていたであろうが、ルルア大神殿の大神官のお墨付きは大きい。それに、陛下のご即位後、以前とは打って変わって、きみは冷遇されていたようだったから……」

「言うな、ウルミス」

 アルフォンスは苦笑し、酒杯をあおった。

「きみは、金獅子騎士団長として、陛下の御為にすべてを疑ってかからねばならない立場だ。何も詫びる必要などない、職務を果たしているだけだ。……きみの友情には、心から感謝している。たとえ我が命運がどのように尽きようとも、この事は決して忘れはしない」

「礼を言われる程の事はしていない。本当に疑いを晴らす手助けが出来たら、その時に礼を言ってくれ」

「無論、その時には、ルーン家として出来る限りの礼をするとも。きみの望むどんな形ででも、謝意をかたちにしよう。……まったく、ルーン公爵が、言葉で感謝を伝える以外、何の術もないとは、情けない限りだ」

 視線を落としたアルフォンスに、ウルミスは答えた。

「感謝の形がほしくてきみの味方になる訳ではない。あくまで、己の信ずる所に従っているだけなのだから、何も気にする事はない。それより、必要な事を話そう。誰が味方で誰が敵か、という事だ……」

 ほろ酔いではあるが、ウルミスはきちんと考えを巡らせていた。

「裁判は、被疑者が王族やそれに準じる者である場合の形式で行われるだろう。つまり、きみを除く七公爵全員が王都に召喚されるという事だ。最終的な判断を下すのは陛下だが、彼らがどう陛下に意見するかは大きい」

 アルフォンスは頷いた。

「バロック公はわたしを死罪にしたい。ヴェイヨン公は当然、バロック支持だろう。ラングレイ老公は公平な方だから、話によっては理解して下さる可能性があると思う。ローズナー家のスザナは、幼い頃、よく遊んだ仲だ。長じても、わたしは心を許せる相手だと思っているし、味方になってくれると信じたい。ブルーブラン公リッターは、どう出るかまったく読めないな。グリンサム家も同様だ」

 硬い板張りの馬車に揺られながら一日考えていた事を、アルフォンスは簡単に纏めた。

「読めない、とは言っても、ブルーブランとグリンサムには、わたしに付く益は特にない。リッターは、独特の思考をするから、かれの興味を引ければ、話を聞いてくれるかも知れぬ。グリンサムは、体制が整っていないから、バロックに楯突く事は敢えてしないだろうな」

「わたしも同意見だ」

 ウルミスは答えた。

「ローズナーの女公爵どのは、快活で理知的な方だ。一方的な話を鵜呑みにする事もないだろうし、理由もなくバロックに擦り寄る事もしないだろう。老公に関しては、告発を聞いた後も、しきりにわたしに、アルフォンスがそんな真似をするなど信じられない、と繰り返しておられた。きみが直接話をすれば、きっと力になって下さると思う。ただ……このお二方が支持に回っても、バロックの陛下への影響力に勝る事は難しいかも知れない。バロック家と関係の深いヴェイヨン公は仕方ないが、あと残りの二家を味方につけられれば、望みのある展開になるかも知れない」

「なかなかに難しいな」

 アルフォンスは苦笑した。

「リッターとイサーナ前公妃か。どちらも掴めない人物だ。……だが、汚名を雪ぐ為には、難しいとばかりも言っておられぬ」

「面会の手筈など、出来る事は何でもやるから、頑張ってくれ」

 ウルミスは酒杯を掲げて言った。

 更に密談を重ねる二人の上を、夜は静かに過ぎていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ