2-4・アトラウスの誓い
カレリンダとユーリンダ母子が客間に入ると、俯きがちに窓の傍に立っていたアトラウスは顔を上げた。
「アトラ……」
許婚の顔を見ただけで、ユーリンダは思わず涙をこぼした。昨夜の冒険が、遠い昔に感じられる。
カレリンダは彼を見て、今朝までは、自館で謹慎を命じられていたのは甥のほうなのに、何もかも逆転してしまっている皮肉を、目の前に突きつけられたような気がした。
「ユーリンダ、伯母上……」
アトラウスは二人の姿を見て、表情を歪めた。
「何を言おうと信じてもらえないかも知れない。そう思いながらも、どうしても一言、謝罪がしたくて、合わせる顔がないのは承知で、来てしまいました」
「謝罪ですって?」
どうしたって棘のある口調になってしまう、と思いながら、カレリンダは用心深く言った。
「何を詫びようと言うのですか? あなたは、すべてを知っていながら、娘やわたくしたちを騙していたのですか?」
「お母様! アトラはそんな人じゃないわ!」
「あなたは暫く黙ってなさい」
あまり意味のない弁護に思わず苛立ち、常になくカレリンダは厳しく言った。
「すべてを知って……など、とんでもありません。まさか、父がこのような恥ずべき行いをするとは……いくらあの父でも……まったく予想していませんでした。ただ、それでも、僕の実の父親が、こうして讒言により伯父上を窮地に陥らせている事は、動かしようのない事実です。その事を、ユーリィに、伯母上に、ファルシスに、謝罪しなければと思いました」
尖った伯母の言葉に対し、ただただ沈んだ声でアトラウスは答えた。
「僕と父の仲は、冷え切っています。父は、他に男子がいないから、仕方なく、気に入らない僕を嫡男として認めているに過ぎないし、僕は父を憎んでいる。そういう間柄で、何かを共謀するなど、あり得ません。それだけは信じて欲しいのです」
「あなたはカルシスを憎んでいる?」
それは勿論、父子の過去の経緯を考えれば充分あり得る事ではあったが、これまで、アトラウスは一切そうした感情を他人に感じさせた事はなかった。むしろ、評判の低い父親を庇い、支えていこうとしているような姿勢を見せる事が多かったのだ。
幼い彼を幽閉し、愛情を注がなかった父親。そんな父親でも、この世にたったひとりの血の繋がった親であるが故に、その愛情を得たいのだろうか、とカレリンダはひそかに思っていたものだった。そんな事もあって、アトラウスの言葉をすぐさま鵜呑みにする気には、彼女はなれなかった。
「父を愛そうと、努力した時もありました。……でも、できなかった。あの男が、母上にした事を思うと、どうしても。息子として、あの男を立ててきたのは、ユーリィの為です。僕が父親といがみ合っている姿を見せれば、優しいユーリィが悲しむだろうと……でも、もう、僕の中でも限界が来ていた」
「限界?」
「あの男が姿を消した時、僕も、多くの人と同じように、妬みから伯父上の呪殺を試み、失敗したのだろうと思いました。その時、僕はこう感じました……うまく逃げおおせたつもりでいるあの男を、何とか見つけ出し、思い知らせてやれないだろうか、と。僕は、伯父上に、父が行きそうな処に心当たりはないかと聞かれた時、ないと答えたけれど、本当は、父が夜半に慌ただしく出て行った時、不審に思って、館の者にあとをつけさせたので、父が王都方面へ向かった事を知っていた。でも、まさか王都へ行くとは思わず、その近辺に身を潜めるつもりなのだろうと思っていた。それで、ひそかにその辺りを捜させていたんです。僕は……あの男を見つけて、裁きを受けさせようと……いつの間にか、当たり前のようにそう考えていたんです。あの男がそうして衆人の前で処刑されれば、母上の魂もどれだけ安らぐかと。でも、一方で、実の父親の惨めな死を願う自分を忌まわしく思う気持ちもあった。いま思えば、それゆえに、昨夜は、ユーリィを突き放すような事を言ってしまったのかも知れない。こんな恐ろしい自分を、清らかなユーリィに知られたくない、と」
「アトラ、そんな事を考えていたの?」
震え声でユーリンダは口を開いた。
「あなたが忌まわしいだなんて……そんな訳はないわ。私が清らか? いいえ、あなたのそんな気持ちを、まったく気づかずにいた私は、ただ、何も見えていなかっただけなんだわ。ごめんなさい、アトラ……」
「アトラウス、ではあなたは、生きている父親よりも、亡くなった母上の事を思っているのですね?」
カレリンダは冷静に尋ねた。アトラウスが味方なのか、敵なのか。それは、今後の一家の運命に必ず大きな影響を及ぼしてくる判断だ。ユーリンダのように感情に流される事なく、それを見極めなければならない。
「伯母上、絶対に」
アトラウスは強い目でカレリンダを見つめ返した。
「僕が親として愛しているのは、亡き母上です。そして、許嫁のユーリンダの御両親である伯父上と伯母上。ルルアにかけて、誓います。僕は、ユーリンダと彼女の家族、つまりは僕の家族を、命をかけて護ると。昨夜は言えなかったけど、今は違う、自由に動ける身になったから、必ず護ると、誓います」
カレリンダは、ふっと力が抜け、ソファに座り込んだ。
「お母様?」
驚いて心配そうにユーリンダが駆け寄った。
「大丈夫です、ただ、少し安心したの」
カレリンダは微笑した。それから、アトラウスに向かって言った。
「ありがとう、アトラ……」