2-2・不安
カーテンを透かして柔らかに射し込む、陽の光に包まれてユーリンダは目覚めた。
いつもと変わらぬ、清潔で上等な寝具に包まれて、彼女は自分の寝台に眠っていたのだ。
ユーリンダは思わず、安堵の笑みを洩らした。
そう、やっぱりあれは悪い夢だったのだ、と、確信したからだ。普段通りの自室。何かが起こった様子などまるでない。違うと言えば、今が朝ではなく、正午を過ぎているようだという事くらいだが、昨夜は冒険をしたので、疲れて寝坊をしてしまっただけの事だ。
お父様やお母様に心配をかけて申し訳なかった。きちんと謝りそびれたので、早くお父様とお母様にお目にかかって、お詫びをしなくては。
彼女は起き上がって寝台を離れ、ガウンを羽織ってバルコニーに出た。光を浴びて、しっかり目を覚まそうと思ったのだ。
見慣れた庭園を見下ろした時、彼女の眼に、見慣れないものが映った。
陽光を浴びて燦々と煌めく黄金色の鎧。彼女は悲鳴をあげた。
「姫さま?!」
悲鳴を聞いて、すぐに次の間から侍女が現れた。
「お気がつかれたのですね。よかった」
マリースという年かさの侍女は、混乱してよろめいたユーリンダの肩をしっかりと受け止めた。
「なに……あれは。どうして、ここにいるの?!」
「金獅子騎士団の騎士でございますよ。暴徒からご家族を護る為、と称して見回っているのです」
「暴徒……暴徒ってなに?!」
マリースは困ったように作り笑いを浮かべた。
「それは……物騒な事件が起こっていますし……」
その時、別の侍女に呼ばれたカレリンダ妃が室に入ってきた。
「ユーリンダ? 大丈夫ですか? いきなり倒れるのだから、心配したわ」
「お母様……」
カレリンダ妃は、げっそりと窶れていた。光り輝く美しき聖炎の神子、と吟遊詩人に謳われる美貌がかすんだようだ。
カレリンダは、侍女達に下がるように言い、ユーリンダを寝台に座らせ、自身も並んで腰をかけた。
「ユーリィ……気を強く持たなければなりませんよ。あなたを様々な現実から護って下さっていたお父様は、もうここにはいないのです。これからは、あなたも、ひとりの大人として、ルーン家の長女として、事実に立ち向かっていかなければいけません」
「事実……ああ、やっぱりお父様が連れて行かれたのは、事実だったのね。夢ではなかったのね」
カレリンダは、悲しげに口元を歪めた。
「夢ですって……あなたらしいわ」
「お父様は……どうなってしまうの?」
「……」
たった今、現実を知るように説教したばかりでありながらも、カレリンダは、この質問にいったいどのような言葉で答えればよいのか、この娘に耐えられるのか、と迷った。しかし、この期に及んで言葉を濁しても、結局後で知る事になるだけだ。それに、いくら現実に疎い娘でも、大逆罪がどのような罪で、それを犯せばどうなるのかくらい、勿論本当は解っている筈だ。
「もしも……この告発が事実だと、裁判で判決が下されれば、死罪です。それ以外にはあり得ないでしょう……」
途端に、ユーリンダの瞳から涙がこぼれ落ちた。また娘が気絶するのではと思ったカレリンダは、慌てて付け加える。
「でもね、お父様は無実なのですから、そんな事になる筈はありません。ルルアがお護り下さいます。罪はカルシスの方にあると、真実が必ず明らかになる筈です」
「カルシス叔父様がいけないの?カルシス叔父様が、お父様に罪をなすりつけたという事なの?」
「勿論、そういう事です。カルシスはずっと、お父様を妬んでいた……あなたまさか、本当にお父様が罪を犯したなんて思っていないでしょうね?」
「まあお母様、どうしてそんな事を仰るの?!そんな事を思う筈がないでしょう?!あんなに……誰にでも優しくて、高潔で、国王陛下に常に忠実でいらっしゃったお父様の事を!」
ユーリンダは憤慨した。母は、素直に謝った。
「……そうね、ごめんなさい、ユーリィ。わたくし、どうかしているわ」
だがこの時、ふとユーリンダの脳裏に浮かんだ光景があった。誰かが、お父様の事を、卑怯だと言っていた気がする。そんな訳はないのに……あれは、いつ、誰が言ったのだっただろう?
混乱しているユーリンダの頭は、それ以上、その事を詳しく思い出す事は出来なかった。
「お母様……私達はどうなるのでしょう?」
「……わかりません。今のところ、私とあなたは、外出を禁じられ、この館に軟禁されている状態です。見た通り、館の外には、ウルミス卿の残していった騎士たちがいます」
「マリースは、暴徒がいる、と言ったわ。暴徒って、どういう事?」
「ああユーリィ、アルマヴィラの民が、この館を襲うなんて事はあり得ないわ。マリースの言った事は気にしないで」
強い口調でカレリンダは言ったが、その瞳には、微かな不安の影がある。これまで、アルマヴィラの民はずっと、領主に忠実で、特にアルフォンスは、領民に慕われていた。だが、もしも、大衆が、この罪を本当にアルフォンスが犯したと信じ込まされてしまえば、どうなるだろう?忠誠を誓っていた公爵が実は、罪のない娘たちを、おぞましい儀式の贄にする為に殺害するような人物だった、と教えられれば?
「ファルはどこにいるの? ……それから、アトラは?」
カレリンダの答えを素直に受け入れたらしいユーリンダの問いに、カレリンダは、不安を心の奥底へ押しやった。
「ファルは騎士団の宿舎の方で謹慎しています。アトラの事は、わたくしには分かりません」
アトラウスの名が出た事で、母子の間に微妙な空気が流れた。カレリンダは、アトラウスの事をどう考えてよいか、判断しかねていた。父親とぐるであるのか、何も知らされていないのか。
アトラウスがもし逢いに来たら逢ってよいか、ユーリンダは母親に尋ねたかった。だが、母が怒るかも知れないと思い、彼女はそれを言い出せなかった。
「ファルはじゃあ、無事だけども、当分帰って来られないのね? ……ああ、せめてリディアがいてくれたら、私を力づけてくれるのに!」
「そうね……でも、リディアにとっては、ここにいなくてよかったでしょう。館の者は皆、怯えています。リディアには嫁ぎ先も決まっているのだし、ここに戻らず、普通の暮らしをしていく事が出来るのですから。あなたも、自分の事ばかり考えず、そういう風に思ってみてごらんなさい。お父様は、いつもそうなさっていますよ」
「そんな……もう、今まで通りには戻れないような事を仰らないで。お父様は帰ってこられる。そして、また元の通りになるわ。そうでしょう?!」
「そう……そうね。あなたの言う通りだわ。ごめんなさい、ユーリィ。一睡もしていないものだから、わたくし、おかしな事を言ってしまうのかも知れないわ。リディアは嫁いでもまたここで勤めるでしょうし、ファルも良い相手を探して……あなたも……」
カレリンダは、言いながら、眉間に指を当てた。
「少し休む事にします。あなたは、あまり心配せずに、お父様の為にお祈りをしていなさい」
そう言い残して、彼女は立ち去ろうとした。その時、丁度マリースが、客の訪れを告げに来た。
「お妃様、姫さま。アトラウス様がお見えになっています」