1-22・大逆
ユーリンダは、目の前で何が起こっているのか、まったく解らなかった。
大逆罪? 国王を呪殺? カルシスが告発?
ウルミスおじさまはいったい何を言っているのだろう?
すべては、まるで現実とはかけ離れた、造りもののお芝居のように感じられた。
ただ、お芝居にしては、周りのひとびとの反応が、あまりに深刻めいていた。
カレリンダは、貧血を起こしてよろめき、侍女頭の腕に支えられた。
「……不吉を感じていました、昨夜から。私は、ユーリンダの身に何か起こったのだと思ったのです……。まさか、こんな……」
ファルシスは、顔を真っ赤にして喚いた。
「こんなばかな話はない! 叔父は、昔から父とは不仲だった。とち狂って、そのような事をしでかしたんだ。父に罪をなすりつけようと。呪殺……? 我が父がそんな卑劣な事が出来る人間かどうか、ウルミス卿、あなたもよくご存じだろうに!」
ウルミスは、悲しげに軽く首を振った。
「わたしは、陛下に剣を捧げた騎士。わたし自身が何を知っているかは、この件に関して何の救いも与え得ないのだ。わたしは、アルフォンスの人柄を知るのみ。一方、カルシス卿は、この告発に、ちゃんとした証拠を添えている。彼を支持する人もいる。そして何より、陛下が、この告発を真実と思われているのだよ……」
「陛下は……これを信じておられるのか。わたしが、陛下を弑そうと企んだと」
アルフォンスは、呻くように言葉を発し、片手で顔を覆った。
「……きみに告げるのは辛い。だが、いずれは耳に入ることだろうから、わたしの口から言っておこう。陛下は激怒され、すぐにきみの首を持ってくるようにと仰せだった。それを、居合わせたラングレイ公とわたしが、何とか押しとどめ、まずはきみの身柄を拘束して、エルスタックで裁判を行う、という話になったのだ。だからどうか堪えて、あの馬車に乗ってほしい。或いは、それは、きみの命運を断つ結果になるかも知れないが……わたしは、出来る限りの尽力をして、きみを擁護すると誓う。きみの様子を見て、わたしなりに、真実を悟ったからな」
「……ウルミス。きみの友情に感謝する」
くぐもった声でアルフォンスは言い、顔を上げた。その顔は蒼白だったが、瞳には、徐々に冷静さが戻りつつあった。
「了承した。まずは、陛下にお目にかかり、話を聞いて頂かなくては。それに、カルシス。ああ、勿論、わたしはエルスタックに行かねばならない。身の回りの支度をする時間をくれるか、ウルミス」
「勿論だとも。我々はここで待っている」
「閣下、某がルーン公に付き添いましょう」
アルフォンスは、進み出たノーシュ・バランを冷ややかに睨め付けた。
「無礼者。わたしが逃亡するとでも申すのか」
物静かだったが、その声には、アルフォンスの失脚を確信している様子の副団長を一歩下がらせる力が込められていた。
「い、いや、しかし……」
「わたしが付き添おう。勿論、きみを監視する為ではなく、話を続ける為だ。いいだろう、ルーン公?」
「当然だとも、団長閣下」
アルフォンスは謝意を込めて旧友を見返し、引きつった面持ちの家人の方を見やった。
「大丈夫か、カレリンダ?」
侍女頭に支えられている妻に歩み寄り、心配顔でその面を覗き込む。
「わたくしは大丈夫ですわ。でも、あなた……!」
「横にならなくて大丈夫か?では、ちょっと待っていてくれ。ファルも、ユーリィも」
そう言うと、彼は、わなわなと震えている老執事のウォルダースを軽く促し、ウルミスと共に、館へ入っていった。
程なく、小姓に荷を運ばせて、ルーン公は戻って来た。
大貴族といえども大逆の罪人の疑いをもって護送される身としては、ごく僅かな品の携行しか許されない。
小姓がその荷物を馬車に積んでいる間、アルフォンスは家族と話をする事が出来た。
「ファルシス、あとを頼む」
「父上……!!」
強ばった表情のファルシスを力づけるように、アルフォンスは微笑みを浮かべて息子の肩を叩いた。
「ルルアに誓って、わたしは何の罪も犯していない。だから、何も心配はいらない。カレリンダも、ユーリンダも、わかったね?」
「あなた……アルフ……ああ、なんという事でしょう!!」
妃は遂に耐えきれずに、大粒の涙を零した。
「あんまりですわ!王家に対し、長年の忠誠を尽くして来られたあなたですのに、なぜ、どうして、こんな愚かな告発が通るのですか?!」
「大丈夫だと言うのに。陛下はきっと解って下さる。きみは、ルルアに祈って待っていておくれ。そうだ、あの、結婚を賭けた御前試合に赴いた時のように。あの時の護り刀がない事だけが、少し不安だけれどもね」
「……これをお持ちになって」
夫の言葉に、思い出したようにカレリンダは、首にかけていたペンダントを外した。
「僅かですが、守護の魔力を込めています」
「ありがとう、カリィ」
アルフォンスは、妻の頬に口づけた。
それから、今にも気を失いそうな様子の愛娘の頭を優しく撫でた。
「良い子にしているんだよ。もう、お母様に心配をかけないように」
「おとうさま……」
ほろほろとユーリンダは涙を流し続けた。何か言わなければいけない、と思うのに、言葉が出てこない。
少しでも怖いことがあると、これまではいつも、優しく強い父親が、彼女を護ってくれていた。
いま、これまで経験した事がない程に怖いことが起こっているというのに、父親は彼女の前から連れて行かれようとしている。
ルーン公爵が、望みもしないのにどこかに連れて行かれるなど、想像した事もなかったのに。
意識を手放してしまいそうなくらい、怖い。気を失って、目覚めれば、これはたぶん、ただの恐ろしい夢に過ぎなくなっているだろう。だからもう、目を瞑ってしまいたい……。
そう思いながらも、ユーリンダは父親の顔から目が離せないでいた。
もしかしたら、いまが、愛する父親との永のわかれになるかもしれない。
考えたくもないのに、そんな思いが、いくら逃れようとしても決して離れない自分の影のように、胸の内から消えないでいたからだった。
何も言えずにいる娘を優しく抱きしめ、アルフォンスは再び嫡男の顔を見た。
「ハーヴィスとダグは力になるだろう。大神官とノイリオンには気をつけるように。……それから、アトラは……この件には無関係だろうと、わたしは思う。だが、きみの判断に任せる。母上とウォルダースに色々相談して……また、書簡をよこすから……頼む」
「はい、父上」
ファルシスは、下唇を噛み、しっかりと父親の眼を見つめた。
「道中、お気をつけて……御無事な御帰還をお待ちしております。こちらの事は、どうぞ心配なされませぬよう……しっかりと留守を守ります」
「頼もしくなったな、ファル。では、行ってくるよ」
アルフォンスは微笑を浮かべ、もう一度息子の肩に触れると、踵を返した。
その様子はまるきり、普段の公務をこなしに王都に出向く時と、変わりがなかった。
アルフォンス・ルーン公爵は、何の動揺も見せず、理知的で穏やかないつもの気品と風格を纏い、まるで事態を楽観視しているかのように、周囲に思わせた。
その様子は、少しばかりは、ルーン家側のひとびとを力づけた。
「これはひどい、この馬車は」
罪人護送の粗末な板張りの馬車に乗り込む時、かれは肩を竦めて言った。
「腰を痛めそうだ。なんとかならないのか、ウルミス?」
「後でクッションを用意させよう。それで我慢してくれ」
ぎこちなく笑って、ウルミスは答えた。
こうして、アルフォンス・ルーンは、アルマヴィラを発ち、王都エルスタックへの旅路に就いた。
騎士団の最後のひとりの姿がみえなくなるのと同時に、ユーリンダはくずおれて意識を失った。
なぜ、父に、心配をかけてごめんなさい、と言えなかったのか、と、心の奥で、悔やみながら。
第一部 完