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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第一部・揺籃篇
18/129

1-15・深夜

 深夜、こっそりと、ユーリンダは、身支度を整えた。

 準備は万全……の筈だ。

 彼女はこれから、ちょっと前までは、考えもつかなかったような冒険をするつもりなのだ。

(お父様もお母様もひどすぎるわ。私はアトラの奥方になるのに、会ってはいけないなんて、あんまりよ。アトラはきっと、苦しんでる。ここに来られないのなら、私が行って、励ましてあげなくちゃ)

 動きやすい乗馬服に着替えた彼女は、昼の間に、シーツや古いドレスを繋いで作った紐を抱えて、バルコニーに出た。

 彼女が勝手な行動をしないよう、公爵夫妻は侍女に、気をつけて見張るよう命じていた。

 次の間に控えている侍女は、決して彼女を通してはくれない。

 だが、おとなしやかな姫君が、手製のロープを伝って、3階の自室から外へ出るとは、侍女も、そして両親も、想像していなかった。

 もう何年も、理想的な貴族の姫君として日々を送っていた。恋のために、アトラウスに振り向いてもらうために。

 だから、周囲も殆ど忘れていた。子供の頃のユーリンダは、兄と一緒に木登りをする程、お転婆だった事を。

 しっかりとシーツの端をバルコニーの柱に結びつけ、外へ垂らすと、丁度よく地面の僅かに上まで届いた。

 緊張したが、所々足場もあったので、意外と危ない思いもせずに、土を踏む事が出来た。

 頬に当たる夜気が冷たい。

 第一段階の成功に胸を躍らせ、彼女は小走りに馬屋へ向かった。



 同じ頃。

 アルフォンス・ルーンは、妻の寝所にいた。

 最早若いとはいえない公爵夫妻だが、強い愛情で結ばれた夫婦であり、他に一切愛妾を持つ事もしないアルフォンスは、私邸で過ごす日の殆どは、妻の寝台で眠っていた。

 愛の営みを終えたあと、彼は、火照る身体を冷まそうと、何も纏わずに寝台に腰掛けていた。

「本当に、最近は良くない事ばかりだ」

 彼は愚痴った。

「まさか、カルシスがあんな事をしでかすとは。子供たちも、憎々しげにわたしを見る。良い結婚をして欲しいという、親の心は、なかなか伝わらないものだね」

「まあ、あなた」

 素肌に白い絹のローブを羽織ったカレリンダは、小さく笑った。

「それは、仕方がない事かもしれません。両家に結婚を反対されながら、こうして結ばれたわたくしたちの子供なんですから」

「そうかね……そうかもしれないね。でも、今まで、本当に素直に良い気質を持って育ってきたのに、こんな風に反抗されると、やはり気落ちするね」

 アルフォンスは吐息をつき、言った。

「ちょっと、これを言うのは勇気がいるのだけどね。きみがくれた、護り刀をなくしてしまった。あれがなくなってから、悪い事ばかり起きている気がするよ」

 カレリンダは眉を顰めた。

「護り刀……って、あの、あなたがわたくしたちの結婚の許可を求めて王都へ行かれた時に、わたくしが差し上げた、あの短剣ですの?」

「そうだよ……すまない」

 申し訳なさそうに言う夫に、カレリンダは、慰めるように微笑みかけたが、その瞳は不安に曇っている。

「なくなってしまったものは仕方がありませんわ。でも、どうして……」

 それは、うら若かった彼女が、恋人の無事を願って特別に作らせたもので、柄にはルーン家の紋章が刻まれており、ふたつとないものだ。

 この思い出の品を、夫妻は何となく、幸運の象徴のように感じて、アルフォンスは、大事に、常に携えていたのだ。

「わからない。盗まれたとしか思えないが……そんな機会がある者は限られているし、皆、そんな事をする筈がない者ばかりだ」

 アルフォンスは疲れたように首を振った。

「とにかく、早くカルシスが見つかるとよいのだが。あの事件と無関係であってくれる事を、毎晩祈っている。そうであれば、ユーリィを悲しませずに済むしね」

 しかし、その望みが叶う可能性は、最早とても小さくなってきているように夫妻は感じていた。

 カルシスは姿を消したままだし、他に容疑者は浮かんでこないのだ。


 もしも彼がこの犯罪の首謀者であるのなら、いくらルーン公の弟といえど、死罪は免れない。

 人柄も資質も、誰の目にも兄より激しく劣り、子供の頃から故に劣等感を持ちつつも、その劣等感を刺激されると狂ったように怒り散らす弟だった。

 また、亡くなった彼の最初の妻、アトラウスの母親は、もともとアルフォンスの許婚であった。

 物静かで優しい女性で、恋愛感情は遂に生まれなかったものの、彼は人間として彼女を敬愛していたし、その彼女を傷つけてしまう結果になってしまい、それでも彼を恨まないと言う彼女に、幸せになって欲しくて、弟に、くれぐれも頼むと言って託した。

 しかし、結果的にカルシスは、彼女を虐待し、自死を遂げさせてしまった。その事は、感情的に大きなしこりとなって、兄弟の間に今も沈んでいた。

 仲の良い兄弟とはとてもいえない間柄ではあるが、それでも実の弟には違いない。それを自ら裁かねばならない事になるかと思うと、アルフォンスの心は否応にも沈んだ。

 勿論、ルーン家にとって、大変な不名誉であるし、アトラウスがいくら、将来を嘱望する、血の繋がった甥であるとはいっても、そんな父親の息子に、次期聖炎の神子となる、大切な一人娘を嫁がせる訳にはいかない。

 アトラウスまでがこの事件に関係しているかも知れないとは、彼をよく知るアルフォンスは疑わない。だから、彼までも罪に問う気はないが、カルシスの所領は一旦預かり、この件が風化する頃まで、謹慎させるべきだろう。

 そうなれば、その間に、ユーリンダは別の貴公子を探して縁づけてしまわなければならない。

 どんなにか、愛娘に恨まれる事か、と、娘を溺愛する父親は、深く溜息をついた。

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