表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第三部・七公裁判篇
128/129

3-21・襲撃

「あんた……デルスを殺したの?」

 まじまじとティラールを見つめ直しながらヴィヴィは声をひそめて問う。

「デルスなど知らん……いや、確かあの男はデルスと呼ばれていたか。わたしが暴行されるきっかけを作った男だ。見ればわかるだろう、誰かを殺すどころか、わたしは身を護るのが精一杯だった」

「ふぅん、まあ信じるよ。あんたはこんなとこで喧嘩して人を殺すような奴には思えないし、あたし、デルスなんか大嫌いだったしね。でも、どうするのさ、あんたすっかり容疑者にされてるみたいじゃないか」

「何かの間違いだ。わたしは出て行って事情を話そう」

 そう言い切って、身体の痛みに顔を顰めながらも寝台から下りようとしたが、ヴィヴィは素早く彼を押しとどめた。

「あんた、昨日だって死んでもおかしくないくらいやられたんだろう? 連中はそれ以上に頭に来てる。ああは言ってるけど、出て行った途端に刺されるかも知れないよ。役人には、逃げようとして抵抗したから仕方なく殺した、って言えばそれで通るんだから」

「そんな、調べれば判るような事を。それでは私刑ではないか」

「あんたみたいな貴族には解らないかも知れないけど、ここはそういう所なんだよ。そんな身体で出て行くのは死にに行くようなものさ」

「そんな……では、どうしたらいいのだ」

 さすがのティラールもヴィヴィの言葉の真実味を感じて動揺する。狭い家で、扉は一つしかない。殺気だった男達は今にも扉を蹴破りそうな勢いで叩き続けている。

「あたしに任せな。……うまくいくかどうかわからないけど」

 ヴィヴィはそう言うと、ティラールに手を貸して立たせた。

「どうしようというのだ」

「この家の元々のあるじはね、よく借金取りに追われてたから、隠れ場を作っていたのさ。あたしを身代わりに置いてさ。腹を立てた借金取りによく殴られたものさ。まあ昔の話だけど」

 言いながらヴィヴィは竈の方に向かう。その後ろと壁の間に、前から見ても全く判らない隙間があった。

「ここから入るんだよ。床下に潜れるようになってるから。狭いけど我慢しな」

 そう言ってティラールの大柄な身体を押し込もうとするヴィヴィに、彼は傷の痛みを我慢しながら尋ねた。

「なぜ君はここまでしてわたしを庇ってくれるんだ? もし君の身に危険があれば……」

「……あんたが死んじまったら、助けた礼金を取れなくなるからさ! あたしは慣れてる、余計な心配せずに声を立てるんじゃないよ!」

 一瞬言葉に詰まったものの、すぐにヴィヴィはきっぱりと言い放ち、ティラールをぐいと押すと、

「うるさいな! あたしは夜の仕事の後で眠いんだよ! 何の騒ぎだい!」

 表の男達にそう叫び返しながら扉に向かった。だが彼女が内側から扉を開けるより一瞬早く、待ちきれなくなった男の一人が扉を蹴破った。大きな音を立てて粗末な木の扉が真ん中から割れるのを見てヴィヴィは、

「何するんだい! 誰だい、弁償しろ!」

 と喚き立てる。だが詫びの代わりに返ってきたのは平手打ちだった。

「このクソアマ、待たせやがって! 野郎をどこへ隠しやがった!」

「知らねぇよ! 誰もいやしねぇだろうが!」

 ヴィヴィもこんな扱いは慣れたものであるから、怯みはしない。殴った男を睨み付けながら言い切った。だがむしろ男は獲物をいたぶるような眼で怒りの中にも嘲笑を見え隠れさせながら、

「ふん、じゃあなんでてめぇはこんな時間から飯食ってんだ? てめぇは食うもんにも事欠いて、夜の仕事の後しか食わねぇ習慣だろうが」

「うるさい、あたしがいつ何を食おうとあたしの勝手だろ!」

 このやりとりを聞いて益々心を痛めたティラールだったが、男は更に容赦ない。

「隠し立てしたって、てめぇが痛い目みるだけだぜ。昨日の晩、仕事したってんなら、相手は誰だか言ってみろよ、ええ?」

 この言葉にはヴィヴィも内心臍をかんだ。ヴィヴィの相手になるようなこの界隈の男は、見たところ皆この場に集まっている。昨夜は一人で過ごした。客引きに外へ出た所で倒れているティラールを見つけたのだ。余計な事を言ってしまったとヴィヴィは悔しく思ったが、もう後へは引けない。

「この辺の奴じゃないよ。まだ早い時間だった。貴族風のやつで、でも、もう昨日の日付のうちに帰ったよ。きっとその後でデルスを殺したんだ」

「嘘つくんじゃねぇ!」

 再び男はヴィヴィに張り手を喰らわせた。痩せた身体は壁まで吹っ飛んだ。

「おいおい、てめぇ、嘘は得意だったってのに、随分誤魔化しが下手になったじゃねぇか。いつ俺たちが、デルスを殺したのは貴族風の男だなんて言ったよ? さあ、これ以上下らねぇ事言うとぶっ殺すぞ。印なき者ごときがとばっちりをくらって死んだからって、誰も咎め立てなんて受けねぇんだからな!」

 頭を壁に打ち付けて鼻血を出しているヴィヴィの細い首を男は軽く締め上げた。

「どっかに隠れてるんだろう」

「隠れるとこなんかないぜ」

「ちっとの間にこいつが逃がしちまったに違いない。吐かせるんだ。懸賞金がかかってるんだからな!」

 狭い小屋に押し入ってきた男達が口々に言う。どたどたという複数の足音と、その辺のものをひっくり返す音。

「あっ……う……」

 ヴィヴィの呻き声。遂にティラールは我慢できなくなった。

「その娘にそれ以上狼藉を働くな! わたしはここにいる!」

 叫びながらティラールは隠れ場所から姿を現した。

「そんな所にいやがったのか!」

 ヴィヴィを組み敷いていた男が首を絞めていた手を放して立ち上がった。床の上にはヴィヴィが、顔を腫らせてぐったりと横たわっている。ティラールに心底からの怒りが湧き上がった。

「そんな少女に暴力を……おまえは男として恥ずかしくないのか!」

「は? 何言ってやがる、こいつ」

 半ば呆れ顔で男達は重傷のティラールを取り囲んだ。

「こいつはてめぇを匿ったりするからこんな目に遭っただけだ。印なき者の分際で逆らうからだ。てめぇがデルスを殺したのが全部悪いんじゃねぇか」

「何を言うか、わたしは誰も殺してなどいない。この中にはどうやら、昨夜あの酒場にいた者もいるようではないか。わたしがあの男を殺す余地などなかった事は誰にでも解る筈だ!」

 自信満々にティラールは言い放った。あの場にいた者が証言してさえくれれば自分の無実は証明される筈。なのについ、こそこそと隠れたりした為にヴィヴィをひどい目に遭わせ、自分の信用も失ってしまったと思った。だが、冷静に考えればこれは冤罪とすぐに皆にも判るだろう。

「おまえ、確かあの場にいただろう。わたしがあの時、デルスを殺す事が出来たか、考えてみてくれ」

 ティラールは険悪そのものの一同を見回し、一際目立つ片目の男に向かって言った。しかし何故か、ティラールに指さされた男はぎょっとした表情を浮かべて後ずさった。

「ひっ……よしてくれ、あんな風に呪い殺されるのはごめんだ! 俺ぁ、俺ぁ、何も知らねぇ。ただ、警護団の方からあんたを探し出すように触れが出てるんだから、あんたが疑われてるのは間違いない。俺のせいじゃねぇ!」

「呪い殺されるだと?」

 男の言葉にティラールは驚く。想像もしなかった事だ。

「そうだ、てめぇが昨夜の恨みでデルスの兄貴を呪い殺したんだろう。あんな死に様は見た事ねぇ。身体中が血と膿だらけで……」

 ヴィヴィを締め上げていた男がティラールを睨みながらその肩を突いた。負傷しているティラールは顔を顰めたが、男は容赦しない。

「デルスの兄貴はいい奴だった。俺は恩があるんだ。殺した奴を許しゃしねぇ」

 それから片目の男に、

「おい、しっかりしねぇか! こいつは呪具も何も持ってねぇ。いくら何でも、見ただけで呪い殺す事も出来ねぇだろう。おまけに弱ってやがる。さっさと突きだして懸賞金を頂くんだ。こいつが少しでも逆らうなら、死体にしたって金は頂けるんだ」

 と叱咤する。

「待ってくれ、わたしは呪術なんか使えない。デルスを殺す術なんかなかった、本当だ!」

「うるせぇ、だったらなんでわざわざこんな似つかわしくねぇ所に入り込んでやがったんだ? 何かデルスから探り出すつもりだったんだろうが! ルーン公の薄汚い間諜め!」

「はぁ?」

 ティラールは、切羽詰まった状況に似合わない間抜けな声を思わず出してしまった。ルーン公の間諜とはいったい何の事なのか?

「てめぇの正体がなんなのかはどうでもいい。だがとにかく、てめぇはここに不幸を撒き散らす存在に違いねぇ」

「わたしはただ、下町を見学したかっただけの貴族なんだ! 間諜だの呪術だの、わたしには何の関わりもない。わたしは……わたしはティラール・バロックだ。この国の宰相の息子なんだ。警護団に突き出すならそうしてくれて構わない。むしろその方が話が早い」

 ここまで誤解が誤解を呼んでいるのなら、最早身分を隠しているのは却って良くない、と判断したティラールは遂に名乗りを上げた。だが、想像と違い、返ってきたのは呆れたような複数の視線だけであった。

「宰相……ってなんだっけ?」

「莫迦、偉い貴族だ。王様の傍にいるとかいう」

「ルーン公より偉いのか?」

「七公爵の一人とか……だが、宰相とかいうくらいだから、偉いんだろう」

 下町の人々にとっては、王族や七公爵など、等しく雲の上の存在であり、誰がどうであるかなど、自分たちの領主ルーン公以外はろくに興味もない。だがとにかく、宰相というのは想像もつかないくらいに偉いのだという事くらいは認識している。この、酒場で殴られてよれよれの姿になった男、呪術師で間諜でデルスを殺したとされている男がその息子だなどと、でまかせというより寧ろ狂っているのかと思えた。

「宰相を知らないのか? バロック公だ、イルランドの領主の。わたしはその息子なんだ。警護団に行けば顔見知りはいる。連れて行くならさっさと連れて行ってくれ」

「莫迦なことを……下らない口をきけないよう、やはり死体にした方がいいんじゃないのか?」

 一人がそう言うと、他の者もそうだそうだと騒ぎ出した。

「信じてくれ! それからこの娘は助けてやってくれ!」

「うるさい! 戯言はたくさんだ」

 リーダー格の男は腰の短剣を抜いた。ティラールは息を呑んだ。何故、こんなに話が通じないのか……こんな所で惨めに死ぬ訳にはいかない。ユーリンダの為に。それから、ヴィヴィの為に。

 だがその時、聞いた事のある声が小屋の外から聞こえてきた。

「待て、殺すな。その男に会わせろ」

 男達がざわめいた。警護団長のダリウスと共に現れたのは、切れ者といま都で一番の噂の、アトラウスだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ