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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第三部・七公裁判篇
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3-18・エレノアの大罪

 かつて、約二百年程の昔、エレノアという王女がいた。魔性と囁かれた美貌を持ち、宮廷の至宝と呼ばれ、数多の男を魅了した。彼女はその完璧に整った貌の裏に、ぎらつく欲と膨らむ悪意を隠し持っていた。

 彼女には二人の兄と二人の姉がいた。第三王女の身では王位は遠い。いまは宮廷の至宝と崇められても、いずれは格下の王族か公爵に嫁がねばならない。玉座が欲しい。そうすれば、死ぬまで『宮廷の至宝』でいられる。そう考えた王女は、兄と姉の暗殺を思い立った。だが、王太子を含む四人の兄姉を葬るのは困難な事。そこで彼女は、交流のあった高位神官を誘惑し寝所に引き入れた。神殿で育ち、ルルアに祈り民を救う事しか知らなかった高潔な若い神官が、王女の魔性の前に崩れ、堕ちた。彼女の望みを叶える為なら、ルルアの教えを破り、与えられた魔力を彼女の為に使おうと誓った。優れた魔道の力を用いれば、いかに騎士が警護する王宮内であろうと、守りの力はないに等しい。当時は現在よりも魔道に対する備えはずっと低かった。王太子と第二王子、二人の姉王女は暗殺された。王太子を含む三人は事故死に見せかけて、そして残った第二王女は、暗殺の罪を悔いての自殺に見せかけて殺された。

 この第二王女は、エレノア程の美しさはなかったものの、優しい人柄で皆に慕われていた。ルルアへの信心も篤かった。彼女は魔道に操られて自ら毒を呷るとき、全てを悟った。

「わたくしはルルアのしもべ、罪なき事はルルアがご存じです!」

 魔道に抗って、最後の力を振り絞って彼女は叫びを残した。その声を、警護の騎士複数が聞いていた。罪を認めた遺書があり、王女が自ら毒を呷ったのは明白であったにも関わらず、その声と、日頃の評判から、疑いの目はエレノアに向けられた。

「わたくしがいったいどうして、兄上さまや姉上さまの御身を害しようなどと思いましょうか。それに、そんな事が出来よう筈もありません。姉上さまは御自身で自害なされたのですから!」

 そんなエレノアの訴えも、父王の疑いを払拭できなかった。エレノアの心が清ければ、むしろ姉を庇い、何かの間違いでしょう、と言う筈だが、彼女は一貫して、死した優しい姉を罵倒し続けた。王は聡明な人物で、娘達の性質をよく見抜いていた。たった一人残った末の娘は、恐ろしい罪を隠そうとしている、と彼女の言動の端々から悟った。七公爵が招集され、裁判が行われた。七公の全員がエレノアの有罪に票を投じた。

「エレノアを聖炎の裁きにかけよ」

 王は苦渋の決断を示して命じた。当時はまだ聖炎の裁きは公開裁判として時折行われていたものの、そこから生還した者はいない事を王は知っていた。

 よく晴れた日、泣き叫ぶエレノアは王宮の中庭に引き出され、樹の幹に括り付けられた。聖炎に裁かれて死ぬ者は恐ろしい苦痛を味わい、すぐには死ねずにのたうち回るからだ。その苦しみようや焼け方が罪の軽重を表す、とも言われる。

「娘よ、いま罪を認めて、どのように兄姉を害したのか話すならば、別の方法もあるのだぞ」

 四人の兄姉を殺した罪ならば、どれ程苦しい目に遭うのか、自白さえすればせめてもっと楽な処刑をと、王は辛い気持ちで告げたが、エレノアは頑として罪を認めなかった。誰よりも美しい自分はルルアに愛されており、聖炎の裁きにも耐えて王位を得られるかも知れない、と思う執念からだ。

 王は嘆息し、大神官に、聖炎を灯すよう命じた。エレノアの身体は燃え盛る聖炎に包まれた。

「ああァァァーーっ!!」

 王女の絶叫が中庭中に響き渡った。聖炎は、樹を焼く事はなかったのに、王女の自慢の美貌をじりじりと焼き焦がしていったのだ。美しい艶の茶褐色の髪が焦げて灰になり、整った貌が赤黒く爛れ、皮膚が溶け落ちて燃えてゆく。王は思わず目を背けたが、それでも気力を振り絞り、怖ろしい悲鳴を上げながら悶え苦しむ娘に近寄り声をかけた。

「まだ何も言う事はないのか、娘よ?」

「わたしの顔がぁっっ!! ごめんなさい! わたしがやりました! 助けて、お父さま!」

 エレノアは神官の名を出して、自分は神官に唆されたのだと喚いた。それは嘘と見抜きつつも、王は情けをかけ、娘の首を刎ね、苦しみから救ってやった。エレノアは忌まわしき大逆者として、その焼け爛れた首は城門の前に晒されたが、あまりの醜さに誰もが直視できなかった。晒された王女の首は、深夜に恨み言を呟き続けていた、と記された文書もある。

 次は、神官が聖炎の裁きにかけられる番だった。彼は、女神と仰いだエレノアの死に様に絶望し、全て洗いざらい話した。早く聖炎の裁きにかかり、彼女と並んでダルムの氷獄に繋がれたいと。彼の望みはすぐに叶えられた。

 この事件により、魔道の力を暗殺に用いる事はどんな場合でも外道、という認識が広まった。欲の為に実の兄姉を四人も殺害したエレノア王女の話は、後世まで稀代の悪女として語り継がれた。やがて貴族たちが魔道士を配下に置く風潮が広まってきた頃、時の王は法を定めた。魔道の力を暗殺に用いた場合、それを命じた者は如何なる地位の者であっても死罪だと。

 この法は現在に至るまで、忠実に遵守されてきた。魔道を暗殺に用いる事は、禁忌中の禁忌なのだ。そうとしておかなければ、敵を持つ者は誰もが安心して眠れない。魔力を持たぬ者からすれば、こんなに馬鹿げた話はないからだ。


 このような背景により、「魔道士に襲われた」というアルフォンスの話は、ウルミスとノーシュを驚愕させた。

「いったい誰がそんなことを! そこまでしてきみを狙うのは何故だ? 既に罠にかかったも同然なのに、その上危険を犯しても確実な方法できみを消し去りたいと思うのは何の為なのだ?」

「さあ。わたしにも、わたしをそこまでして殺したいと思う者の気持ちなど解ろう筈もない。だが、確かにあれは魔道士だ。結界を張って騎士に気づかせない、と言ったからな」

 アルフォンスの方は、襲撃者が「アルマヴィラの神官」ではなく、「得体の知れない魔道士」と思わせなくてはならない、という計算でいっぱいである。何とかして、二人を納得させねばならない。嘘をつく事に胸は痛むが、こればかりは譲れない。二人の為にも。

 ウルミスとノーシュが寄せてくれる信用は、アルフォンスにとって大切な大切な命綱でもある。疑念が疑念を呼んで、万が一二人がかれの無罪を疑うような事にでもなれば、孤立無援に等しい状態に陥ってしまう。だが、かれは自身の為よりも、二人の為、そしてルーン家の長としての責任の為に、この嘘をつき通さなくてはならないと思った。

 『ルーンの闇』を束ねる者とて、魔道を用いての暗殺がどれ程危険で堕ちた行為であるか、誰よりもよく解っている筈である。それでも、秘伝を守る為にアルフォンスをより確実に葬る事が出来る方法を選んだのは、それがルルアの御心に沿う行いだと確信しているからであろう。そう思うと情けない気がしたが、今はそんな事は考えていられない。

「魔道士を暗殺に使った事が露見すれば、どんな高貴な身分の者でも全ての名誉を剥奪されて死罪となる。今まで想定していたきみの敵で、そこまでの危険を犯すと思える人物をわたしは思い当たらない」

 とウルミスは言った。それはそうだろう、とアルフォンスも思う。宰相、カルシス、ノイリオン、或いは大神官……誰も、危険を犯してそれをするとは思えない人物ばかりである。仮に他の貴族が絡んでいるとしても。そもそも、ここまでして殺すつもりがあったのならば、手の込んだ罠など用意せずとも、最初からこうしていれば良かったという話だ。

「あの男は何も語らなかったし、顔も隠していた。だから素性は何もわからない。ただ……」

「ただ?」

「憎しみを感じた。雇われて仕事をこなす、といった風ではなかった……と思う」

「私怨……か? もしやあの村の女のように?」

「わからない。そういう感じがした、というだけだ。わたしも必死だったからな」

「そもそも、殿下はどのようにしてその者を退けられたのですか?」

 ここで、当然の疑問をノーシュが口にした。魔道士が本気で殺しにかかってきたなら、屈強な騎士とて危うい。そしてアルフォンスは病後の身。だがその問いに対する答えはもう用意していた。

「この、妻が渡してくれたペンダントが魔道を跳ね返してくれたんだ。それで相手は頭に血が上り、短刀で襲いかかってきた。そこで格闘になって、何とか押さえ込んだ。すると奴は結界を解いて逃げてしまった、という訳だ」

「なるほど……」

 ウルミスとノーシュは頷いた。部屋に残る格闘の後と、それに全く気づかなかった張り番の事を考えると、辻褄は合う。

「しかし、なぜそれを隠そうとしたんだ? 言ってもらわなければ、今後の警護のありようを考え直せないではないか」

「本当にただの私怨なのかどうか解らない。魔道に対して、今の戦力では備えようがない。もしかしたら、とんでもない忌まわしい力が後ろにあるのかも知れない……色々考えると、なるべく触れたくないと思ってしまったんだ。いくらきみたちが王国一腕の立つ騎士であろうと、魔道で眠らされでもしたら為す術がない……それくらいなら巻き込むまいと。結界を張るには相当魔力を要するらしいから、むこう数日は再度仕掛けてくる事はないだろう。その間に何か打つ手があるか考えよう……そんな風に咄嗟に思ってしまった。済まない」

「打つ手はある。すぐに早馬を出して王都から神官を呼び寄せよう」

「ああ。冷静に考えれば、それが一番だろうな」

 王家側の神官の介入は避けたいところだったが、今の状況では仕方がない事だ。それであの神官が大人しく引き下がってくれれば、アルフォンスもラクリマも余計な危険に晒されずに済むとも言える。ただ、もしこの部屋に残った魔道の痕跡を調査されれば、これが魔道士によるものではなく、神官の用いる魔道だと判ってしまうかも知れない。その辺りの鑑定がどのくらい可能であるのかは、アルフォンスにも判断はつけかねた。神官が大貴族を魔道で暗殺しようとした、などと判明すれば、益々大騒ぎになる。魔道士より神官は遙かにルルアの教えを守らねばならぬもの、なのにそれでは、まさにエレノアの災いの再来、と人に思わせてしまう。そこから、誰が秘伝に繋がる糸の存在に気づかぬか知れたものではなかった。だが、そこはいくら案じようと、どうする術もない。あの神官も、自身の痕跡を隠す事にはかなり気を配っていたようだから、それに託すしかない。因果なことだ、と思った。

「ひとつだけ、言っておきたいんだ」

 アルフォンスは二人に向かって言った。

「なんだ?」

 とウルミス。

「もしも万が一、わたしが死んで、どう見ても自害したようにしか思えない状況であったとしても、絶対にそれはわたしの意志ではないと解って欲しい。あの遺書はまだここに持っている。悪用されるかも知れない。しかし、きみたち二人が解ってくれるなら、わたしはそれでいいんだ」

「そうだ、わたしもそれを言いたかった。その遺書はわたしに預からせてくれ。王都につくまで絶対に焼き捨てたりしないから」

 さっきのノーシュとの相談を思い出し、ウルミスが言う。アルフォンスに迷いが生じた。確かに、ウルミスに預けておいた方が安全と思える。

「本当に焼き捨てたりせずに、万が一の時は使ってくれるんだろうな?」

「わかっている、わかっている」

 ウルミスは、アルフォンスが意外にすんなりと聞き入れた事に軽く驚きながらも頷いてみせた。頷いたのは、焼き捨てない、という部分に対してだけで、利用するつもりは全くなかったが。アルフォンスは懐から遺書を取り出した。

「……」

 ウルミスに渡す前に、もう一度封筒を眺めたアルフォンスの表情に、一瞬影がさした。

「どうした?」

「……いや、なんでもない」

 アルフォンスは軽く首を振って書状をウルミスに渡した。

「とにかく、要らん気遣いはやめて、あった事は何でもこちらに伝えてくれ」

「わかった。済まない」

 アルフォンスは、ウルミスのまだ少しむっとしているような顔とノーシュの心配げな顔を見比べた。二人ともかれの言う事を疑ってはいない。ただ、遠慮はやめて欲しいと顔に書いてある。二人は根っから謹直な騎士なのだ。信じると決めたら信じる、彼らはそれだけなのだ。そんな彼らを騙している事を後ろめたく思うものの、アルフォンスにとっては、ルーン公としての責任は自らの命より遙かに重いものであるので、割り切るしかなかった。


 宿の灯りが木々の向こうにちらちらと見える位の離れた森の中に移動したラクリマは、一息ついた。神官を逃がしてしまった事を悔いても今更時間の無駄である。とにかく、今後アルフォンスの身を守り抜く事が自分の使命であり、望みなのだ。

(王都に着くまでは……)

 そう思って、ラクリマの胸はずきんと痛んだ。王都に着いたら? 神官や王家の魔道士が網を張っている中で、魔道を用いてアルフォンスの元へ向かうのは非常に困難な事だろう。そして、仮に暗殺の危険がなくなったとしても、もしも裁判で敗れる事になればアルフォンスは処刑されてしまう。

(お逃がししたい……無実の罪の為にアルフォンスさまが処刑されるくらいなら)

 一瞬そんな事を思うも、それは決してアルフォンス自身が望む事ではないと解っているラクリマは、その考えを振り払うように首を振った。黄金色の髪がさらりと揺れる。そして、アルフォンスから渡された指輪をぎゅっと握りしめ、首からかけた守り袋の中に大切にそれをしまい込んだ。


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