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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第三部・七公裁判篇
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3-17・秘伝の重み

 しゃらんと音を立てて神官の身体を拘束していた銀の鎖が外れた。神官は屈辱に顔を赤くしながら立ち上がり、忌々しげにラクリマを睨み付けた。ラクリマもまた、きつい目で彼を睨み返す。人を殺した事はなかったが、アルフォンスの為ならばこの卑怯な暗殺者を手にかけるのを厭う心は全くなかったのに、と悔しく思う。手が血に汚れ、聖炎の裁きで神官の位を、あるいは命を失う事になっていたかも知れないとしてもだ。この選択は間違いではなかったか、アルフォンスの意志に背いてでも、殺しておくべきではないのかと迷う。だが彼女の迷いを読み取ったアルフォンスは静かに彼女の肩に手を置いて、

「大丈夫だ。明日にはわたしはアルマヴィラ領を出て王家直轄地に入る。そうなれば、王家直属の魔道士の網もあるだろうし、今宵のように簡単には手を出しにくくなる筈だ。金獅子の気もやや緩む今宵が最大にして最後の好機とみて襲ってきたのだろう。何せ彼らは絶対にその存在すら知られてはならない者なのだから」

 と言った。

「『ルルアの子ら』とは何なのですか。わたくしは存じません。この者の表の顔は神殿で見知っておりましたけれども、ごく目立たない普通の中位神官ですわ」

「『ルルアの子ら』とは、彼らが自称しているだけに過ぎない。ルーン、ヴィーンの本家のみに伝わる名は『ルーンの闇、ヴィーンの闇』。だがその本質を知ればやはりきみの身を危険に巻き込む事に繋がりかねない。現在のわたしの敵、とだけ認識してくれればいい」

 アルフォンスが更に言葉を継ごうとした時、神官が口を挟んだ。

「長話をする暇はありません。もうすぐ結界は完全にほどける。そうなれば金獅子たちはすぐに異変に気づくでしょう。その時、私もその女も、ここにいてはまずい」

「そうか、そうだな。では立ち去る前に、さっき懐に隠したものを返してもらいたい」

 アルフォンスは神官に歩み寄った。神官は悔しげな表情を浮かべたが、ラクリマの鋭い視線に見据えられて渋々と書状を渡した。今はこれ以上争う訳にはいかないからだ。書状はアルフォンスの『遺書』だった。封蝋が施されたままのそれをアルフォンスは懐にしまい直した。

「これをおまえたちの手に渡す訳にはいかぬからな」

「……それでは私は失礼いたします」

 そう言うと、神官は現れた時と同じように唐突に姿を消した。ラクリマは神官の気配が完全に消えたのを確認してから早口で言う。

「アルフォンスさま、わたくしは影からお供してお護りいたします。アルフォンスさまが先程仰った事はその通りだとは思いますが、あの男があのまま諦める筈がありません」

「そうだな……出来ればそうして貰えると心強い。何と言っても、わたしには魔道に対抗する術がないのだから。だが、自分からあの男に攻撃するのはやめておくれ。きみから攻撃をしかければあの男に誓言させた意味がなくなってしまう」

「……いまは時がありません、わかりました、と申し上げるしかございません。カレリンダさまからこれを預かって参りました。お文と、守護魔道の込められた指輪ですわ。今身につけておられるペンダントよりずっと強力なものだそうです。その、嵌めておられる指輪と交換して下さい。そうすれば騎士たちも気づかないでしょう」

「わかった」

 アルフォンスは指輪を抜き取ってラクリマに渡し、代わりに新しいそっくりな指輪を嵌めた。そしてカレリンダからの手紙を懐に入れた。

「ラクリマ、まだ伝えたい事がある。また話せるか?」

「折をみて。今はこれにて失礼致します」

 そう言うと彼女もまた神官と同じように姿を消した。そしてそれと殆ど同時に、ぱぁんと何かが弾けるような音がした。結界が破れたのだ。途端に、空気が変わる。今まで三人以外の気配が絶えていたところに、急に色々な物音がざわりと流れ込んできたような感じがした。

「ルーン公殿下! 今の物音はなんでございますか!」

 扉の向こうの騎士が声を張り上げている。遠くで何人もが階段を駆け上がってくる足音もする。アルフォンスは室内を見回して冷や汗をかいた。神官と争った際に卓が倒れて荒れた様子になっている。ワインの杯が割れて飛び散っている。それから、あの小瓶……。

「なんでもない、卓にぶつかって倒してしまったんだ」

 騎士にそう叫び返しながら、アルフォンスは毒に直接触れぬように注意しながら割れた小瓶を拾って暖炉に投げ込んだ。細かい破片は杯の割れたものに紛れてしまうのが幸運と言えば幸運だった。

「入るぞ、いいか?」

 声がして、ウルミスが扉を開けた。

「なんなんだ、これは、いったい何があったんだ?! 大丈夫なのか?!」

 室内の様子を見てウルミスは驚き声を上げる。

「勿論この通り、わたしは変わりない。少し酒が過ぎたのか、卓を倒してしまっただけだ。驚かせて申し訳ない」

「さっきの音は卓が倒れた音なんかじゃなかった。それにその手はどうした、怪我をしているではないか!」

 言われて初めてアルフォンスは、右手に軽い切り傷を負って血が流れているのに気づいた。勿論、神官と揉み合った際に出来た傷だ。だがアルフォンスは動揺をおくびにも出さずに、

「割れた杯を触ってちょっと切ってしまっただけだ」

 と言い張った。

「……」

 ウルミスは難しい顔で、しらを切り通そうとするアルフォンスを見つめていた。争いがあったのは、ウルミスから見れば一目瞭然である。床の敷物はよじれているし、卓の倒れ方も単にぶつかっただけにしては激しすぎる。アルフォンスの衣服も少し乱れている。だが取りあえずウルミスは、背後に詰めかけている部下たちに、大した事はなかったようだから下がって休むようにと言い、ノーシュだけを残した。

「このままではお休みになれないでしょう。片付けさせましょう。それにお怪我の手当を」

 とノーシュが言ったが、

「こんな時間に宿の者の手を煩わせる程の事ではない。こんな傷など布でも巻いておけばよいし、寝台はどうもなっていないのだし。本当に、騒ぐような事ではないから、そなた達ももう休んだ方がよいのではないかね」

 とアルフォンスはあくまで何事もなかった風を装い続ける。

「アルフォンス! わたしやノーシュにまで隠し立てするとはどういうつもりなんだ! それとも、誤魔化せると軽く見ているのか?」

 ウルミスは半ば本気で腹を立てて言った。ノーシュは気を遣い、

「某は席を外しましょうか。殿下も閣下にならきちんとお話し下さると思いますので」

 と言ったが、アルフォンスは、

「いや、それには及ばない。副団長どのの事も今ではウルミスと同様に信用している。いやすまない、ウルミス、そんなに怒らないでくれ。怒らせるつもりではないんだ、ただ……」

 言いかけて、ふらついた。ウルミスの顔を見ていると、改めて死地を切り抜けた事に安堵し、張り詰めていた気が抜けて、それと共に重い疲労感がのしかかってきた。

「大丈夫でございますか!」

 急いで駆け寄ったノーシュに支えられてアルフォンスは蒼ざめた顔にやっとの様子で微笑を浮かべて頷き、その手を借りてソファに腰を下ろした。

「まだまだだな、情けない」

 呟くアルフォンスにウルミスは思わず怒りを忘れて、

「本当に大丈夫なのか。真っ青じゃないか。医者を呼ばなくていいのか」

 と心配顔になる。

「大丈夫だ、休めば治る。さっきわたしの事を純真と言ったが、きみの方は相当なお人好しだな」

 さっき……と言っても、随分と時が経ったように感じた。アルフォンスの言葉にまたむっとした顔になるウルミスだが、アルフォンスは彼を制して、

「すまなかった。まだわたしは神経が高ぶっているみたいだ。黙って済む話ではない、きみの責任問題になるんだからな。ただ、話してきみを巻き込む事を恐れただけなんだ。しかし、何も言わずに済まそうとは勝手だったな。きみが自分の事よりもわたしの身を心配して訳を聞こうとしているのは、よく解っている。信用していない訳では無論ない」

 と詫びた。弱々しい声での謝罪にウルミスはまだ渋面を崩さなかったものの、

「巻き込むも何も、きみの安全を守る事が我々の任務のひとつなのだから、そんな心配は無用にして、何でも話してもらわなければ困る」

 と、話を聞く態勢になる。だが、アルフォンスは見かけほどまでには弱り切っていなかった。話しているうちに徐々に気持ちは平静に戻り、何と言い繕うか素早く頭を回転させる。信用しているという言葉には一片の偽りもないが、『ルーンの闇』の事は誰にも知られる訳にはいかない。アルマヴィラの秘伝に触れればウルミスやノーシュも彼らに狙われる事は間違いないし、王家直属の人間に秘密の一端を明かす事など、ルーン公として絶対にしてはならぬルーン家に対する背反である。『ルーンの闇』の実在はたったさっき知ったばかりであるが、それが約三百年にもわたって受け継がれてきたという事実は、半ば形骸化していた秘伝の継承がいかに重いものであったのかを、しかと胸に刻みつけた。父よりも妻よりも、あの神官が言った『秘伝の秘』について理解していたつもりではあったが、その意味するものが実際にどの程度重大であるのかは、どうやら認識不足だったと自ら認めない訳にはいかなかった。長い年月が流れるうちに、『ルーンの闇』の間では忠実に受け継がれてきたものが、肝心のルーン公爵の方ではいつの間にか、「ルーン公を継いだ証」という意味の方が大きくなってきてしまっていたのだ。少なくとも、アルフォンスは父親からそのように教わった。だからこそ、危険を犯しても息子にそれを伝えたいという気持ちがあったのだ。だが、今、事情は大きく変わった。自分が無事に領地に戻り、将来ファルシスに爵位を渡す日まで、決してもう誰をも秘伝に関わらせてはならない。どれだけウルミスを深く信頼していても、それとは別問題なのだ。

「こんなになるまで気づかないとは、表の張り番は何をしていたのか。きみは何かあったら助けを呼ぶと言っていたのに、あいつは居眠りでもしていたのか」

「いやそうじゃない。彼には何の落ち度もないんだ、咎めないでくれ。敵は魔道士だったんだ」

「魔道士だって!」

 ウルミスもノーシュも驚愕の表情を浮かべた。

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