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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第三部・七公裁判篇
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3-15・銀の鎖

 アルフォンスは蒼白な面持ちで小瓶に見入った。もうこれ以上時間を稼げそうにはない。室の内も外もしんと静まり返り、閉ざされた結界のなかで冷たい目の暗殺者と対峙している状況に、どのような救いの手も差し伸べられる筈もないのだろうと思い知らされるしかなかった。恐らく何ひとつ気づかずに扉の外に詰めている騎士との距離が、物理的な意味ではなくあまりにも遠い。

(結局はこれがわたしの運命なのか)

 宰相の陥穽にはまり武装を解かれて囚われの身となった。流言のせいで犯してもいない罪を恨まれ毒を盛られて体力が弱ってしまった。そのふたつの弱みさえなければ、暗殺者をここまで絶対的に優位な立場に立たせる事はなかった筈。ヴェルサリア一の武人であるウルミスと互角の使い手であるのだから。しかし、小刀一本すらない今は抗う糸口もなく、断れば直ちに、魔道の縛りによって操られて自ら毒をあおらされるだろう。

「最後に聞きたい。本当に、カレリンダには、それに息子や娘にはこのような事はないのだな?」

「カレリンダさま、それにユーリンダさまについては先程申し上げた通りです。ファルシスさまは……微妙なお立場です」

「なんだって?」

「ファルシスさまが殿下の跡を継いでルーン公として立たれるならば何も手出しはないでしょう。しかし現在の情勢ではその見込みは少ない。次のルーン公はカルシスさま……そうなった場合、カルシスさま及びファルシスさまを『ルルアの子ら』は見逃しはしないでしょう」

 観念しきった様子のアルフォンスに対し、神官の言葉は何の容赦もない。

「なん……だって?」

 もう一度アルフォンスは弱々しく聞き返した。

「カルシスさまは宰相の傀儡。ルーン公の座と引き換えに喜んで秘伝を差し出すおつもりとお見受けできる。歴代で最も愚かなルーン公は、最も短命なルーン公となるでしょう」

「カルシスが秘伝を手にする前に殺すつもりなのか! そんな事をせずとも、警告してやればいいではないか!」

「おや、まさかご自分を冤罪に陥れようとする弟君を庇われるのですか?」

「そういう訳ではないが、おまえたちのやり方は汚すぎる! ルルアの代理人気取りでルーン公を処刑するなど、おまえたちの方こそダルムの氷獄に堕ちるだろう! それに、ファルシスが何をしたと言うのだ?!」

「何をしたかと? これは殿下の罪でございますよ? ルーン公となれぬかも知れぬ者に秘伝を渡そうとなさった……ファルシスさまはそれを受け取られた。ご子息を危険の淵に立たせているのは、殿下御自身なのですよ!」

「……!!」

 アルフォンスは声も出ないほどに打ちのめされた。恐らく、この夜に受けた最も大きな衝撃。しかしすぐに、黙っている場合ではないとばかりに思わず憎らしい神官の腕を掴み、必死の表情で叫ぶように言いつのる。

「あの書状には、本当に何も直接的な事は書いていないんだ。ファルシスは何も知らない。ただ、自由の身となって館に戻った時にそれがわかるよう、ただそれだけなのだ。もしも彼がルーン公となれぬのなら、秘伝を知る事はない。本当だ!」

「『ルルアの子ら』は、秘伝を護る為にあらゆる危険を排除せねばなりません。僅かでも手がかりを知る者を野に放つ訳にはいかないのです」

 アルフォンスが初めて取り乱した様子を見せたのを、むしろ神官はばかにしているようにさえ冷たく撥ね付ける。だがそれでもアルフォンスにはこの男の取りなしに縋る以外、息子の命を救う手立てがない。

「あれが罪だというのならわたしはいくらでも罰を受けよう。だが、ファルシスはただ書状を読んだだけなのだ! そもそも、そこまで言うのならば、ティラール卿からさっさと書状を奪ってしまえばよかったではないか!」

「それはあくまで、ティラール卿が書状を見ようとなさったり他の人間に渡そうとされたりした場合に限ります。我々の存在は表に出てはならない。他家の方と接触するのは最終手段です。勿論、その場合にはティラール卿を消してしまわねばならなかった。宰相の息子を暗殺するのは危険な事です」

「ファルシスの命はどうでもいいのか! おまえたちは、ルーンの闇は、元々ルーン家の者ではないか! カルシスとファルシスを殺して何とする……ルーン家はどうなる……!」

「殿下、殿下とファルシスさまは無論、ルーン家にとって常に最も重要な人物であられました。しかし、いま、この危機を乗り越えるには、殿下でもファルシスさまでもない方がルーン公となる事が必要だと思われるのです。そのかたは、ルルアの試練を克服されて立派に成長された。そのかたは……」

「アトラウスか!」

 アルフォンスは呻いた。

「アトラウスは……知っているのか、おまえたちのことを。おまえたちはアトラウスをルーン公として何を企む……?!」

「『ルルアの子ら』やアトラウスさまのお考えは、私などには解りません。しかし、素晴らしい事だと私には思えるのです。そう、元々このアルマヴィラの民は皆、黒髪と黒い瞳。同じ特徴を持った方、それが聖女の血を確実に受け継がれた方……それこそが、アルマヴィラの領主のあるべき姿、ルルアのご意志ではないかと私には思えます!」

 神官の黒い目が熱を帯びて輝く。アルフォンスは言葉を失った。黄金色の髪と瞳は聖女の血筋の象徴。それを持たないルーン公の出現を望む者がいるとは思った事もなかったのだ。要するにこの神官は、最初は同情するような素振りを見せていたものの、元からアルフォンスやファルシスが助かればいいなどと思ってはいないのだ。自分はともかく、ファルシスまでが殺される……アルフォンスは恐怖に満ちた表情でゆっくりと神官の腕を放し、一歩下がって無言のまま倒れるようにソファに座り込んだ。

「時が移りすぎました。金獅子騎士たちが異変に気づく頃には、私は遠く離れていなければなりません。さあ、お早く。そうすれば、少なくとも殿下のファルシスさまに関するお言葉は、しかと我があるじにお伝え致しましょう」

 その言葉にアルフォンスは、呆然とした目で神官を見つめた。

「ファルシスを……殺さないでくれ」

 掠れた声でアルフォンスは懇願する。神官はゆっくりと頷いた。

 いつもの冷静なアルフォンスであったなら、それが何の誠意もない応えである事にすぐに気づいただろう。だが今かれは、自分でも不思議に思うくらい動揺していた。己が刑死する事になれば家族の命も危うい事は常に頭にあったのに、息子がルーンの闇に葬られるという恐怖が理性を奪ってしまっていた。

「ルルアよ……わたしは常にあなたの忠実な僕でありました……」

 微かに震える手でアルフォンスはルルアの印を切り、祈りの言を呟きながら小瓶を受け取った。神官の唇に満足げな笑みがよぎる。アルフォンスは小瓶の蓋を開けた。無色無臭の液体は一口で飲み下せそうだった。何も考えられないまま、アルフォンスはそれに口をつけようとした。


 その時だった。

『いけません、アルフォンスさま!』

 甲高く切羽詰まった声が室に響いた。はっとアルフォンスは我に返る。驚いたはずみに小瓶を取り落とした。かちゃんと音を立てて小瓶は床に落ちて砕ける。毒の液がはねて飛び散り、神官は思わず舌打ちをした。

「何者だ!」

 神官の叫びにいらえはない。だが、ほんの僅か、先程までとは違う気配が感じられた。

(いまの声は……)

 アルフォンスの胸に微かな希望の光、そして理性が戻って来た。この暗殺者の張った結界を解こうとしている者がいる。そうだ、自分はここで死んではいけない。裁判で無罪を得てルーン公の座を失わない事こそが、ファルシスの命を守る最も確実な道であるのに、なにを惑わされていたのか。

 が、神官もまた素早く状況を悟った。結界が破れれば彼の任務は失敗に終わる。扉一枚が隔てているだけの騎士たちは、アルフォンスの一声で飛び込んでくるだろう。絶対に自分の姿を見られる事だけは避けねばならない。

「余計な邪魔が入らねば、苦しまずに済んだものを!」

 そう言い捨てると神官は懐から短剣を抜き、素早く鞘を払う。そのままアルフォンスの胸を一突きにと襲いかかってきた。だが魔道以外の闘いなら素手であってもアルフォンスに勝機がない訳ではない。紙一重で最初の一撃を避けるとそのまま神官の背後に回り、短剣を持った腕を一気に締め上げた。

「くっ……」

 二人は同時に歯噛みをした。常の状態のアルフォンスであれば、勝負はこれで終わっていた筈だ。神官の剣捌きも訓練を受けた者の動きだったが、アルフォンスにとっては遙かに格下である。だがかれの体力はまだ普段の半分程度も回復していなかった。腕を締め上げて自由を奪ったものの、そのまま武器を奪って床に倒してしまう事が出来ない。力が、ほぼ互角だった。それでもアルフォンスは、少しずつ神官を追いつめ、ねじ伏せていった。

「…………」

 神官は険しい形相で呪を呟いた。魔道。はっとアルフォンスは身を固くしたが、その時胸元のカレリンダのペンダントが輝きを放ち、その呪をはね返した。結界を維持する事に殆どの魔力を費やし、身体の自由も奪われている神官には、それ以上の強い魔道を使う事は出来ない。

「くそっ……」

 神官は遂に床に組み敷かれた。アルフォンスは短剣を奪い、荒く息をついた。体力の限界だった。

「去れ、早く。わたしとしても、おまえを金獅子に引き渡す訳にはいかぬ。裁判の結果がルルアの御心だ。それが判るまではわたしにも息子にも手出しは許さぬ。わたしがルーン家の長だ、いいか、帰っておまえのあるじとやらにそう伝えるんだ。わたしはどんな責めを受けようと、ルーン公の誇りにかけて、秘伝を漏らしたりはしない!」

「……承知いたしました」

 憎々しげにアルフォンスを睨み上げながらも、神官ははっきりと言った。アルフォンスは彼を放してやった。だが、それは誤りだった。途端に神官は跳ね起き、再びアルフォンスに襲いかかる。神官の言葉を信用したアルフォンスは虚を突かれ、あっという間に形勢は逆転する。

「虚言を! おまえはルルアに仕える者としての誇りを持っていないのか!」

「この任務に失敗すれば私は処分される。生きて使命を果たせばこその誇り。さあ、今度こそ死ねっ!」

 アルフォンスの身体に馬乗りになり、神官は短剣を振り上げた。咄嗟に腕で急所を庇いながらも、さすがにこれまでか、とアルフォンスは無念に息を呑む。

 が、その時、何かが宙を引き裂いた。少なくともアルフォンスの目にはそう映った。何もない空間が稲妻のように割け、目にも止まらぬ動きの何かが走り、神官の身体に音を立ててきりきりと巻き付いていく。

「ぐあっ!」

 痛みに打たれて神官は悲鳴を上げる。身体を拘束し締め上げているのは、しなやかな細い銀の鎖。

「申し訳ありません。結界を解くのにあまりに手間取ってしまいました」

 その鎖と同じように、銀をしゃらんと鳴らすような涼やかな声がした。

「お怪我はございませんか、アルフォンスさま」

 そこに立っていたのは、鎖に巻かれて倒れている暗殺者と同じルルアの法衣を纏った若い女性。

「ラクリマ! きみか!」

 言いようもない安堵に浸りながらアルフォンスは女神官に呼びかけた。


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