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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第一部・揺籃篇
12/129

1-9・崇拝者の訪問

 朝食には、家族は誰も姿を現さなかった。

 父は公邸に泊まり、兄もそうした事になっているようだった。

 そして、母は、朝の祈りを済ませた後、そのまま、公邸にいる夫の元へ向かったという事だった。

 ユーリンダは、一人で味気ない朝食をつついた後、乳母のマーサと刺繍をしながらも、上の空だった。


 昨夜訪れた面々の事を考えてみた。

 ダリウス警護隊長。アルマヴィラ都警護隊の隊長である。50代の武骨な男で、挨拶をする時にも、にこりともしないので、ユーリンダは、苦手な意識を持っている。

 しかし、父は彼を、有能な男と言い、評価していた。

 彼が緊急に報告に訪れたという事は、アルマヴィラ都の治安に関して何かが起こったという事と考えられる。

 それから、ノイリオン・ヴィーン。これは、ユーリンダの数少ない、嫌いな人物であった。

 齢は40歳。ルーン公爵夫妻より年長で、現ヴィーン家当主である。カレリンダ妃の従兄にあたる。そして未だ独身で、ユーリンダの求婚者でもあった。

 ノイリオンは元々、カレリンダが未婚の頃、彼女の夫の第一候補だった。本来なら、カレリンダが、聖炎の神子を受け継ぐと共にヴィーン家の女当主となり、彼はその夫君としてヴィーン家を支える筈だったのである。

 若い頃から小太りで、のっぺりした顔の小男である彼は、カレリンダに熱烈に惚れ込んでいて、彼女とアルフォンスの婚約が整った後も、彼女を諦めきれずにつきまとい、ある日二階のバルコニーで彼女に抱きつこうとして、突き飛ばされ、転落した過去を持つ。

 幸い大した怪我を負わず、双方の名誉の為にこの事件は闇に葬られ、流石にこれ以降、カレリンダの事は諦めたと思われていたのだが、彼の執着はそれでは終わらなかった。

 カレリンダが、娘ユーリンダを産んで程ない頃から、是非にユーリンダを自分の妻に、と請い始めたのである。

 元々、聖炎の神子となる夫妻の娘はヴィーン家の者と縁づけるべし、という約定があるのだから、この要求は、まったくおかしなものとは言えなかったのだが、公爵夫妻は、自分たちより年長のこの男に、大切な一人娘を与える気には全くなれず、困惑しつつも、この要求を退け続けた。

 だが、この男は、ユーリンダがアトラウスと婚約し、数多の求婚者がしおしおと去っていった後でも、この婚約は愚かなもので何の役にも立たぬ、ユーリンダはヴィーン家当主の自分の妻になるべき、と方々で言い放ち、公爵夫妻とユーリンダに煙たがられていたのであった。

 このノイリオンが、ダリウスやアトラウスと共に駆けつけた、という点が、ユーリンダには解せなかった。

 ノイリオンの弟はルルア大神殿の大神官であり、言うまでもなくヴィーン家は、アルマヴィラ郡の魔道的守護者として、要な存在であるのだが、ユーリンダは、ノイリオンに対する個人的な嫌悪感が勝ってしまい、どうにもその方面から考えを進める事が困難であった。


 苛々と、進まぬ針をもてあましていた時、執事が扉を叩いた。

「姫様、お客様でございます」

 ユーリンダは、待ち焦がれた人が来たかと喜んだ。即ち、昨夜訪れた第三の男、愛しいアトラウスが。

 しかし、執事は続けた。

「ティラール・バロック様がおみえです」

 ユーリンダは眉根を寄せ、失望の吐息をついた。


 ティラールは、ノイリオンと並ぶ嫌いな人物、そして求婚者であった。

 隣領主バロック公の四男で、ルルア神殿への巡礼と学問の為、と称して半年前にアルマヴィラ都に現れ、そして、『ユーリンダ姫の美貌と才気の虜になり』、未だに客人として都にとどまっている。

 深い焦茶色の髪と澄んだ緑色の瞳を持つティラールは、ノイリオンとは異なり、かなりの美男子で、都の婦女子の憧れの的となっていた。

 だが、いかにも遊び慣れている事は誰の目にも一目瞭然の態でありながら、訪れて三日目にユーリンダに出会ってからは、本人曰く、「どのような美姫の甘言も最早苦い、かの姫のつれなきひとことに比べても」という状態で、自他共に認めるユーリンダの虜となり、アトラウスとの婚約が成った後も諦めきれず、日参しているという状態であった。


 ユーリンダは、多くの令嬢達の憧れの的であるティラールを崇拝者として得ても、嬉しくもなんともなかった。

 彼女は幼い頃から、アトラウスだけを慕っており、他の男性に言い寄られる事の一切が、ただ鬱陶しいとしか感じられなかったのだ。

 アトラウスとの婚約が成り、多くの求婚者は諦めて去って行ったというのに、図々しくも、変わらぬ態度で甘い言葉を浴びせかけてくる、この気障な男が、ユーリンダは大嫌いだった。


 しかし、彼は、四男とはいえ、アロール・バロック公爵の息子であった。

 このヴェルサリア王国の、王に次ぐ権威を持つ七公爵家、バロック、ローズナー、ヴェイヨン、ルーン、ブルーブラン、ラングレイ、グリンサム。

 その中でも、筆頭であり、現宰相も務めるバロック公。

 彼の息子の求婚を喜んで受け入れない女性、受け入れない事を許される女性など、この世にユーリンダただ一人であろう、と世間では噂していた。

 やがては、聖炎の神子となり、アルマヴィラを離れて住む事は叶わぬ彼女の為に、四男である自分はルーン家の養子となってもよい、とまで言うティラールの願いを却下する事は、流石の娘思いのアルフォンスにも、かなりな難事であった。

 ティラールとユーリンダの双方の意志とその食い違いは、早くから明らかになったので、その事もあって、アルフォンスは、急ぎユーリンダとアトラウスの婚約を結ばせた。

 だが本来なら、分家の者との婚約など、いくら相思相愛でも、父親の気持ち次第では、成っていても密かに破棄させられても仕方のない程の事なのである。

 であるのに、ユーリンダは、許嫁がある身だという事を盾に、気分が不良だのと言い訳をつけては、日参するティラールに、せいぜい5日に一度程度しか会わなかった。


 今日は、2日前にティラールとは会話を交わしており、彼女としては、面会を遠慮したい日だった。

 しかし、ユーリンダは、気を取り直し、応接室に彼を迎え入れた。

 ゴシップに詳しい彼なら、昨日起きた出来事に関して、何か知っているかも知れないと思ったからであった。

「麗しのユーリンダ姫、今日のドレスも素晴らしい。薄黄色のシルクは貴女の輝く黄金色の髪と瞳を引き立たせる名脇役だ。それに、そのリボンの刺繍もとても可愛らしい」

 室に入るなり、ティラールはそんな事を言った。

 そういう彼は、鮮やかな青いチュニックに、見事な織りのウールのマントを羽織い、睡眠不足でやややつれたユーリンダと比べ、こちらの方こそ輝くような美男子ぶりであった。

 しかし、ユーリンダは、彼の外見などにはまるで興味がない。

「こんにちは、ティラール様。お会いできて、嬉しいですわ。今日は、どのようなご用でいらして頂けたのでしょう?」

 とりあえず社交辞令を述べながら、どのように情報を引き出そうか、あれこれと考えた。

「ああ姫、用などと野暮な事を仰るな。麗しのご尊顔を拝するだけで、わたしの心はただ歓びに満たされるのですよ」

 ティラールとの会話はいつもこんな調子で、内容がない。

 ユーリンダは苛立ち、単刀直入に尋ねる事にした。

「ティラール様。貴方様は何でもご存じですから、きっとわたくしの求める問いの答えもご存じだと思いますの」

「ああ姫、貴女の求めるものなら、なんでも私は捧げましょう」

「昨日、何か都で事件が起こったのでしょうか? 父も兄も、昨夜出かけたまま戻らず、わたくし、心配でなりませんの」

 ティラールはその言葉を聞くと、顔を曇らせた。

「やはり察しておいでなのですね、マイレディ。わたしも、この話を聞いて、貴女がその尊き胸を痛めておいでかと心配しておりました。本当に、怖ろしい事です」

「何があったんですの? 早く教えて下さいませ!」

 ユーリンダは急かした。ティラールがわざと気をもたせる言い方をしていると思って、彼女は眉をつりあげた。

 彼は別にそんなつもりではなかったのだが、彼女の様子を見て、怒った顔もまたお美しい、と賛辞を述べようかと思った。が、続く話の悲惨さを考え、軽い台詞はぐっと飲み込んでおいた。

「先日から、都の内外で、若い娘が連続して行方不明になるという事件が相次いでいました。その娘たちが見つかったのですよ。全員、死体でね」

「まあ……!!」

 ユーリンダは、悲痛な声をあげた。

「合わせて19人もの乙女の遺体が、ある館の地下室で発見されたのです。それから、裏庭からも5人。皆、殺されていたのです。今朝から、もうどこへ行ってもこの噂で持ち切りですよ」

「怖ろしいわ……そんな……」

 ユーリンダは青ざめ、身を震わせた。

「ああ姫、人並み外れて繊細な姫のお心には、いささか刺激の強すぎるお話でしたか? わたしもそれが気がかりでしたが、しかし姫がお知りになりたいとの仰せでしたので。申し訳ありません、どうかお許しを」

 言いながら、ちゃっかりとティラールは、動揺しているユーリンダの華奢な手に、そっと自分の手を添えた。

「ティラール様は悪くないわ。わたくしが知りたいと言ったんですもの。……でも、いったいどうして? 誰がそんな怖ろしい事を? なんの為に?」

 衝撃の冷めやらないユーリンダは、大嫌いなティラールに手を握られている事にも気づかない。

「それはまだわからないのですよ。そんな、一朝一夕に片づく事件ではありません。これは、単に多くの娘が殺された、という以上の大事件に発展する可能性があるのです」

「……どういう意味?」

「娘の中には、貴族や有力商人の子女も含まれています。一番問題視されているのは、たまたまアルマヴィラ都を訪れる途中に拉致された、国王の側近リンド伯爵の姪です。彼女は、二ヶ月後に婚礼を控え、名付け親であるルルア大神殿の神官の所へ、その報告の為に訪問するところでした。都近くの宿場町ジェンドに宿泊し、たまたまその晩、街で祭りがあったので、侍女と共に出かけ、侍女もろとも攫われ、殺害されたのです」

「まあ、なんてお気の毒な」

「それから、これはまだ真偽の判らない噂なのですが……娘たちの殺され方は……」 

 ティラールが、やや声をひそめるように話そうとした時だった。


「わたしの許嫁を、あまり怖がらせないで頂けませんか?」

 静かな、だが、怒りを含んだ声が響いた。いつの間にか、戸口のところに、アトラウスが立っている。

「おや、これはこれは、ブラック・ルーンどの」

 肩を竦めて、ティラールはユーリンダの手を離した。そこで初めて、ユーリンダは、自分の手がティラールの手の中にあった事に気づいた。

 ユーリンダは、当惑と怒りとで顔を赤らめた。愛しい人の誤解を招かないかと、咄嗟に不安を抱いたのである。

「違うのよ、アトラ。あの……」

 だが、ゆっくりと入ってきたアトラウスは、ユーリンダの言い訳など気にもしていない様子だった。

 彼女が、進んで他の男に手を預けたりする筈もない事は解りきっており、咄嗟にそんな心配をする彼女に対し、不信などもとよりなく、ただ可笑しく思えただけである。しかし、笑う気分にはなれなかった。

「立ち聞きした上に、許しもなくずかずか入ってくるとは、大した礼儀をご存じなのだな、ブラック・ルーン」

 冷ややかにティラールが言う。

 ブラック・ルーンとは、無論、アトラウスの容姿をあげつらった蔑称である。

 面と向かってそういう者は流石に少なかったが、陰でそのように呼ばれる事は、珍しい事ではなかった。

 穏和な性質のアトラウスには、そう敵が多い訳ではない。が、やはり未だに、彼はルーン家の血をひいていない、と言う者もいなくはなかったし、そのように思えば、彼がルーン公の甥として優遇され、おまけに高嶺の花のユーリンダ姫を易々と射止めたともなれば、不満に思うのも当然の人情といえなくもなかった。

「立ち聞きするつもりはありませんでした。しかし、あなたのすぐ後にここへ着き、執事に次の間に通されたので、待っていたのです。そうすると、あなたの声が大きいもので、話が聞こえてしまい、許嫁の事が心配になったのです。ご無礼は謝罪します、ティラール卿」

「申し訳ありません、ティラール様。彼が止める間もなく……」

 そう言いながら、控えめにアトラウスの傍に、もう一人の男が進み寄った。

 ティラールの従者、ザハドだった。真っ黒な髪に青い瞳、浅黒い肌を持った長身の男で、ティラールがどこに行くにも影のように付き従っている。

 彼は、アトラウスより前から次の間に控えており、執事は、アトラウスには別の間で待ってもらおうとしたのだが、アトラウスは無理を言って、彼と同じ室で、二人の話が終わるのを待っていたのだった。

「アトラ……あの、わたし、どうしても気になって。お父様とファルが……その、帰ってこないものだから」

 今朝の、母とファルシスの口論の事は、勿論、この場で言うべきではない。ファルシスは、帰宅していない事になっているのだ。

「心配で……ティラール様に、事件の事を話して頂いていたの。それだけよ」

 アトラウスはユーリンダの方を向き、柔らかく微笑んだ。底知れぬ闇色の瞳が、彼女を見る時いつも、温かく包み込むような優しさを浮かべるように思え、彼女はそれで安心をする。

「ユーリィ。きみはそんな事は心配しなくていいんだ。そんな事は、ぼくや伯父上やファルに任せておいて。大丈夫、ぼくが、きみに怖い思いはさせないからね」

 父アルフォンスがよく言うのと同じような言葉に、感じていた恐怖が遠のくようだった。そうだ、わたしは護られている。怖いことなんかない。アトラやお父様やファルがいるのだから。

「随分、過保護なんだな。姫は君のひとつ年下なだけだろう? 子供じゃあるまいし、未来の聖炎の神子として、色々知っておかなくてはならないんじゃないのかい? え、ブラック・ルーンどの?」

「わたくしの許婚を、そんな名前で呼ばないで下さいませ!」

 きっとなってユーリンダが言った。

「おお、怒った顔もお美しい。では、そろそろ私は退散致しましょう」

 今度は心おきなくティラールはその賛辞を述べ、心残りな様子を見せながらも、従者と共に室を後にしていった。

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