3-5・潜むもの
ウルミスはアルフォンスの言葉を聞いても、まだ素直に同意する気持ちにはなれなかった。彼が処刑した女の家族など顔も見たくもなかったし、そんな者に会うのは時間と精神力の無駄遣いだと思った。彼はアルフォンスと違い、民の愚かさ、狡猾さ、勝手さを嫌という程学ぶ機会があった。勿論、弱い民は守ってやるべき存在だと思うし、民に与えられた権利は保障されるべきであると考えている。その権利をいかにむしりとるかという事ばかり考えている小貴族や役人などの後ろ暗さも同時に見てきたので、そういう類の人間を見るとただ軽蔑の心を持ち、民も貴族も己の利得ばかりを考えるところでは何も変わらぬ、と思ってしまう。無論、全ての人間がそうでない事くらいは判っている。例えば彼の部下たちの中にも、忠誠心と騎士としての誇りが堅く出世欲などとは無縁で、主君や仲間の為にいつでも命を惜しまぬ勇士がたくさんいる。だがそうした人間は全体から見ればほんの少数に過ぎない。村人などと話をしたからといって得られるものなどある筈がないとどうして解らないのかと、アルフォンスの希望にももどかしさしか感じない。しかし同時に、かれの希望を叶えてやりたいし、失望させたくないという気持ちも存在する。かれの理想とするものが実在するならばそれを共に見てみたいという期待感が、無自覚のうちに芽生えてもいた。
このような葛藤を持って、ダンの祖母と話してみたいというアルフォンスの希望にどう答えるか迷っているところに、控えめに扉を叩く音がした。
「団長閣下はこちらにおられますか?」
扉の外から聞こえたのはノーシュの声だ。
「ここにいる。何か用か?」
「火急の事ではありません。お話中お邪魔してすみません。終わられましたら下の方へ……いくつか報告がありますので」
そう言ってノーシュは立ち去りかけたが、ウルミスは素早く呼び止めた。
「ちょっと待ってくれ、ノーシュ、こちらへ来てくれ」
「ウルミス?」
アルフォンスは不思議そうにウルミスを見上げたが、あえてウルミスはその視線を避けるように、室に入ってきたノーシュを手招いた。
ノーシュならきっとこの話を聞けば、慣例がないとか不要なことだとか言って反対するに違いないとウルミスは思ったのだ。つまり、部下を盾に親友の頼みを断ろうという訳である。我ながら卑怯だと思ったが、この手の議論を続けるには彼は疲れすぎており、ノーシュの声を聞いて反射的にとってしまった行動だった。
「……という話なんだが、そなたどう思う?」
アルフォンスに背を向けたままウルミスは手早く今の話をノーシュに聞かせた。ウルミスの意図をすぐに察したアルフォンスは情けなさそうな表情で話を聞いている。
「……ウルミス、きみには何時でもわたしの頼みを断る権限がある。駄目なら駄目とはっきり言ってくれればいいではないか。これは頼みというより単なるわたしの我が儘に過ぎないんだから」
「別に駄目だとは言ってない。ただ、たまたまノーシュが来たから……」
「きみは誤魔化すのが下手だな、昔から知ってはいたが。誤魔化すのが上手であるよりはずっと良いこととは思うがね。解った、きみにこれ以上面倒をかけてまでその女性と話したいとは思わないよ。どうにもわたしはつい、きみの好意に甘えてしまいがちで申し訳ない」
「べ、別に謝る必要なんかない!」
アルフォンスにあっさり見抜かれてしまった事が恥ずかしく、また、何でこんな馬鹿な事をしてしまったのだろうという自分に対する苛立ちもあって、やや強い口調でウルミスは言う。リサははらはらした様子でそんな二人を見ている。だがその時、意外な声が上がった。
「別にそのくらい、よろしいのではありませんか」
ノーシュの言葉に、アルフォンスとウルミスはやや驚いた顔を向ける。アルフォンスもまた、ノーシュは当然反対するものと思っていた。
「領民が領主に陳情したく拝謁の許可を願うのは別におかしな事ではありません。無論、公邸へ出向いて直接……などというには身分が低すぎますが、たまたま村に滞在なさっているルーン公殿下が、その者と話をなさりたいのであれば、人目につかぬようにここに呼びつける程度ならば大した問題にはならないと考えます。老女ひとりくらい、もしも悪しき意図を持っていようと、我々がお側にいれば何の事もありますまい」
「副団長どの……」
思わぬ擁護にアルフォンスはどう反応したものかと迷った。ノーシュと個人的に話をする機会もなく、顔を合わせても今まで通りに堅苦しい態度でしかなかったので、ノーシュがかれに対する認識を改めた事はウルミスから少し聞いてはいたものの、これまで実感に乏しかったからだ。
「ルーン公殿下、なかなか機会がございませんでしたので申し遅れてしまいましたが、どうか某のこれまでの無礼な態度をお許し下さいますようお願い致します。武人というものは頭が固すぎるもの、愚か者と罵って下さっても構いませぬ。とにかく、団長閣下には既にお話し致しましたが、某は殿下がまこと清廉で高潔な忠義篤きお方と遅まきながらも気づき申し、団長閣下と共に殿下のお力になりたいと心より願うばかりでございます」
突然の言葉にアルフォンスもウルミスもそしてリサも呆気にとられながら、いかめしく無骨な男が頭を下げる姿を見つめていた。
「その言葉、有り難く受け取ろう」
ややあってアルフォンスは静かに応えた。ノーシュの言葉が心からのものであるという事に疑いは持たなかった。鷹揚で猜疑心の少ないのは育ちの良さゆえでもあるが、これはかれの美点であると同時に弱点である。だが今は、これまで罪人と思い込み、形ばかりの『慇懃』を加えた無礼な態度を取り続けてきた者に対して、あっさりとアルフォンスがそれを水に流したその瞬間から二人は『囚人と移送者』から『公爵と騎士』へと、あるべき関係に戻ったと言えた。
「ノーシュ、よく言ってくれた……すまん、アルフォンス、わたしは少し過敏になり過ぎていたようだ。そうだな、確かに、村人ひとりに会うくらい、なんの事もない」
「ウルミス、きみが不快になるような事をしたいとは思わないんだ、もうこの話は……」
言いかけたアルフォンスを遮ってウルミスはきっぱりと、
「いいや、ここで取りやめたら、ノーシュに否と言わせようなどと姑息な事を考えた自分が許せなくなる。だからもうこれはわたしの問題でもあるんだ。明日その女に来させるように計らおう」
と言った。
「団長閣下……?」
ウルミスが自分を呼んだ意図を読み切れていなかったノーシュはきょとんとして首を傾げた。
「それで、報告とは?」
アルフォンスの室を辞して階下の一室に入ったウルミスはノーシュに問いかけた。
「はい、ディクスの遺体が見つかったそうです。こことアルマヴィラ都との丁度中間地点くらいの森の中で」
「……そうか、やはり駄目だったのか……」
先にアルマヴィラに伝令として派遣し、何者かに成り代わられた者である。ノーシュは彼がどうなったのか、手がかりをずっと探らせていた。どこかに監禁されてはいないかと淡い期待を捨てきれずにいたウルミスは、大事な部下の死に、思わず片手で目を覆い、そのまま軽い黙祷をする。
「それで、どんな様子だったのか、何か判ったか?」
「遺体はこちらに搬送させていますが、検分した部下が伝えてきたところによると、少々不審な点があったと」
低い声でノーシュは答える。淡々とした口調だが、ウルミスと同じように無念に思っているのは、長年を共にした者には感じ取れる。
「不審な点?」
「はい。遺体は隠すように道から外れた場所に埋められていたそうで、暫く彼の馬がその辺りにいたらしく、蹄の跡があるのに気づいた近辺の猟師がたまたま見つけたそうです。それで、死因なのですが、後ろから刺された傷があったそうですが、それが何かおかしいと」
「何かとは?」
「まず、ディクスは手練れの者ですから、全く無抵抗な様子で後ろから刺されているのは妙だという事。そして、出血が少なく、致命傷とは見えない事」
「……つまり、死因をそれと見せかける為に死後に刺したという事か」
「その可能性がありますね」
「では真の死因はなんだ?」
「その近辺を捜索したところ、木の葉などで覆い隠されていた野営の跡が見つかり、そこには血の混じった吐瀉物がそこかしこにあって苦しみ地を掻いたようなあとがあったと……」
「毒か! ルーン公に対して目論んだように、ディクスを殺した者は彼の糧食に毒を混ぜ殺したというのだな!」
「恐らくは……」
ウルミスは怒りを堪えきれずに机を拳で叩いた。
「やはりあの女の裏にいた、巧みに毒を使う手練れの暗殺者がどこかに潜んでいるのだな! 何という事だ……陛下の金獅子が、厭わしい毒使いなどにまたも翻弄されようとは……」
「しかし、敵の手口が判ったからには警戒のしようもあるというもの。そのような手を使うのは、膂力もない貧弱な者でありましょうから、見つけ出せさえすれば始末は簡単でしょう」
「いや、侮ってはいかん。全員分の糧食や宿の食事全てを隙なく見張るのは易い事ではない。この村では既に宿の者全員について把握しているし、不審な者がつけいる隙はないが、ここを発てばまた似たような状況になる。ディクスとて警戒していた筈、それの隙をついて糧食に毒を入れるとは、あの村の女がしたような簡単な事ではない。ある意味、我々がこれまで闘いの場で対峙してきたどんな敵より厄介だとも言える……」
「……」
金獅子騎士団長と副団長は、強ばった顔を見合わせて、今後の警備についての話し合いを進めていった。