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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第三部・七公裁判篇
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3-2・貴族の誇り

「まあ、今日はまた一段とお顔のお色がよろしいようですね」

 眩しそうに朝日を受けているアルフォンスに、部屋に入ってきた介護の女性が嬉しそうに言った。アルフォンスは右手に杖を持ち、左手で窓枠を掴んで窓の傍に立っている。

「ありがとう。気持ちの良い朝だね、リサ」

 冷たさを含んだ初冬の朝の空気を胸一杯に吸い込みながらアルフォンスは微笑んだ。生きているという感覚が、その歓びが全身に感じられる。まだ身体の動きは覚束ないし、視力もだいぶ衰えてしまった気はするが、それでもこうやって自分の足で窓辺に立ち、新鮮な空気を味わえるというだけで、生とは何と素晴らしいものかとしみじみと感じる事が出来た。窓の下の宿の庭先では金獅子騎士たちが打ち合いをしている。彼らは退屈しているのだ。体力を持て余している。申し訳ない気持ちと羨ましい気持ちが入り交じる。

「今日は宿の敷地の外まで行ってみたい」

「まあ、それは……団長閣下や先生が何と仰るでしょうか」

 黄金色の髪を風になびかせて気持ちよさそうに佇むアルフォンスを、まるで街の神殿で見た壁画の中の人みたい、と思いながら見とれていた女性は、アルフォンスの言葉にはっと我に返って答えた。壁画に描かれた初代の聖炎の神子エルマ・ヴィーンと同じ黄金色の髪と瞳。関わる事があるなど想像もしていなかったルーン家、またはヴィーン家の人間の特異で美しい容貌。それが目前にあって、しかもそれが大貴族ルーン公爵その人であるという事が、だいぶ慣れた筈の今でもまだ、一介の粗野な村女でしかない彼女には夢のように思われたのだ。



 彼女は最初、大貴族というようなものは、自分など、たとえお世話をする為に同じ室にいたとしてもきっと、家具か何かのように視野にも入れず存在にも気づかないくらいだろうと想像していた。特に、ルーン公は多くの娘を殺した罪人として大貴族でありながら護送されてきたような人間である。小さなこの村で村人同士は皆家族同然、彼女は、娘の仇を討つ為に毒殺を企み処刑された女とも勿論よく知り合った仲だった。気が利き誠実な性格という事で医師の助手に推薦されて拒む事も出来なかったものの、決して当初は瀕死の床にあったルーン公を良くは思っていなかったのである。それでも持ち前の真面目さを発揮して、本当に罪人ならばこのまま死ぬ筈だが、助かるのならば罪もないものかも知れない、と思い、医師の指示に忠実に従い介護を続けた。そうしているうちに段々と病人に対して情が湧き、何とかいのちを取り留めて欲しいと願ううちにかれは生還した。

 リサというこの二十代の女性は、ルーン公が絶望的な状態から命を取り留めたのは間違いなくルルアのお導きに違いないと思い、それを村の者に話して回った。しかし当初、村はルーン公と金獅子騎士団をとんでもない疫病神として敵視する空気に満ちていた。それが徐々に変わり始めたのは、アルフォンスがちゃんと意識を回復し、周囲の人々と会話を交わすようになってきた頃である。街道宿の勤め人とはいえ王国の中でも底辺に近い泥臭い田舎の村人に、ルーン公は穏やかに話しかけ、世話になった事に謝意を表し続けた。恐れ多いと目を伏せる者たちに、まだ身体も辛そうなのに気さくに、家族は何人かとか暮らしはきつくないかとか尋ねてくる。世話をする者や宿の者たちの見る目が徐々に変わり始めた。もしも本当に悪逆非道の人ならば、まずは自分を苦しめた暗殺者である女の関係者の処刑を求めるだろうと思われた。だがかれは、拘禁されていた女の家族を解き放つよう騎士団長に頼み、娘思いの為に死んだ女を恨みもせず哀れんでいる様子だった。

「きみの領民をきみの許しも得ずに手にかけた事を内心悪く思っていないだろうな?」

 寝台の上に身を起こしているルーン公に騎士団長が話しかけると、

「まさか、そんな筈はないだろう。きみは法に則って仕事をしただけだ、それくらい心得ている。ただ……」

「ただ?」

「きみに嫌な仕事をさせたのも、彼女やその娘が死んだのも、元はと言えば全てわたしの迂闊さが招いた事だ。わたしが冤罪を着せられるような隙を持たなければ、何も起こらず彼女も娘も普通に暮らし続けただろう……そう思うと、わたしは彼女に詫びたいような気持ちにさえなるんだ」

「馬鹿な事を! 悪いのは娘達を殺し、きみに罪を被せて追い落とそうとしている真犯人に決まっているだろう。危うく命を落としかけたというのに、毒を盛った相手に詫びようとはどういう神経なんだ」

 呆れ果てたようにウルミスは首を振った。この会話を部屋の隅で片付け仕事をしながら耳にしていたリサは、益々アルフォンスに尊敬の念を抱くようになった。

 実の所、この会話を敢えて彼女の前でしたのは、ウルミスの計算であった。アルフォンスの性格を知り抜いている彼は、アルフォンスの応えを概ね予測していた。思った通りのやり取りになり、村女の顔に感動が表れるのをちらりと見たウルミスは内心ほくそ笑んだ。これはアルフォンスに対する友情から思いついた事である。領民の理解を得たいと切望していたアルフォンスだから、身近に接している者たちがかれを信じる様子を見せたなら、元気も湧くだろうと思ったのである。


 だが次第に、ウルミスさえも予測していなかったことが起き始めた。そろそろ軽い足慣らしをと医師に勧められたアルフォンスが、杖をつき、ウルミスに支えられて階段を降り、実に二十日ぶりくらいに宿の玄関から表に出た時、周囲には緊張が走っていた。当然の事ながら金獅子騎士達が隙なく護衛について誰をも寄せ付けぬ中、アルフォンスはゆっくりと、地面の感触を確かめるように歩いた。

 そんな時である。

「こらっ! 止めぬか!」

 金獅子騎士の一人が怒声を上げた。何事かと皆がそちらを見た。騎士が首根っこを掴まえているのは、五歳くらいの小さな子供だった。手には、身の丈に合った玩具のような竹槍を持っている。子供は屈強な騎士をも恐れぬ風に何とかその手から逃れようと暴れている。

「何をしている! 村人は誰も入れるなとあれ程言っただろう!」

 ウルミスが配下の騎士を怒鳴った。

「申し訳ありません。垣根の隙間から入り込んだようで……」

「かあちゃんをかえせ! ねえちゃんをかえせ!」

 子供の喚く言葉に、皆、はっとなった。この子供はあの処刑された女の息子なのだ。

「は、早く表に追い出せ!」

 ウルミスがやや狼狽えて命じたが、それをアルフォンスが落ち着いた声で制した。

「待ってくれ。その子と話をさせて欲しい」

「何を言う、何を話すというのだ? あの子供はきみを、わたしを恨んでいる。これはどうしようもない事だ。話したって無駄だ」

 ウルミスは険しい顔付きで止めたが、アルフォンスは聞き入れない。

「無駄でも、わたしの気が済まないんだ。頼む」

 ウルミスは暫し親友の顔を見据えていたが、むっつりと、

「どうせ言い出したら聞かないんだから仕方ない」

 と言い、騎士に、竹槍を取り上げて子供を連れてくるように命じた。この時、垣根の向こうから女の叫ぶ声がした。

「お許しください! 訳もわからぬ幼い子供です、どうか命は……!」

 子供の祖母か何かであろうか。村を立ち去るまで女の家族はやはり軟禁したままにしておくべきだったとウルミスは後悔しながら、

「罰を与えるつもりはないから案ずるな!」

 と叫び返した。次第に垣根の向こうに人が集まりつつあった。


 ウルミスが運ばせた椅子に座り、アルフォンスは前に引き出された子供に優しい声で話しかけた。

「名前はなんていうんだね?」

 日焼けして泥に汚れた気の強そうな男の子は、口をへの字にしたままアルフォンスを睨み続けていた。だが、生まれて初めて間近で見る珍しい黄金色の髪とアルフォンスの纏う高貴な雰囲気に、幼いながらに何かを感じ取ったらしく、次第に落ち着かなげな様子になる。だが、アルフォンスが重ねて名を尋ねると、これは親の仇と思い出し、怒りに満ちた目でぶっきらぼうに、

「ダンだ」

 と短く名乗った。

「そう、ダンか。お母さんがつけてくれた名前かね?」

「そうだ! おまえのせいで死んだかあちゃんだ! おれはぜったい、おまえをゆるさないぞ!」

 騎士に両腕を掴まれている状態でなお、子供は勇ましく叫んだ。

「やめなさい、ダン! かあさんの事は無理もなかった事だって言ったろう!」

 垣根の向こうからまたさっきの女の声がする。子供を案じて必死の様子に、何か安堵させるような言葉をかけたいとアルフォンスは思ったが、そこまで届くような大声を出す事はまだ出来ないのは自分でも判っていた。かれはただ、痛ましげに子供を見た。

「お母さんがつけてくれた名前を大事にするんだよ。お母さんのことは、本当に気の毒だったと思う。きみのお母さんが……わたしの大切な領民が、わたしを恨み抜いて死んでしまったのは、領主であるわたしの不徳から出たもの。本当に済まなく思う」

 そう言うと、アルフォンスは静かに子供に向かって頭を下げた。周囲の者も、そして子供本人さえ、ぽかんとしてその様子を見つめていた。

 大貴族、七公爵というものは、国王や国王に極めて近い王族に続く身分を持った人である。いくら告発された身であっても、その身分が落とされた訳でもない。そんな人物が村人の子供、しかも自分の暗殺を企てて処刑された罪人の子供に向かって頭を下げるなど、まさにこれまで培ってきた常識を覆す光景としか言いようがなかった。騎士の何人かは、ルーン公は毒の為に頭がおかしくなってしまったのだろう、と思った。ウルミスは苦々しげに額を押さえた。自ら謝るという行為は、自ら罪を認めたととられても仕方のない行為である。アルフォンスの気持ちは自分には通じるが、領主としての責任感など理解できる筈もない人々に伝わる訳がない。益々誤解を広げるばかりだと思った。

 子供は、アルフォンスの言葉を全て理解できた訳ではない。だが、憎い相手が謝っている、というのは解った。

「いくら謝ったって、かあちゃんもねえちゃんも生き返らないんだ。ゆるさないからな!」

「それはそうだ。わたしを恨みたければ気の済むまで恨んでいていい。だけど、ひとつだけ信じて欲しいんだ。きみの姉さんを殺したのはわたしではない。勿論、誰かに命じて殺させた訳でもない。誰が何の為にやったのか、罰する為に一生懸命調べていた時に、濡れ衣を着せられたんだよ」

 垣根の向こうがざわついているようだった。

「う、うそだ! みんな、おまえがやったんだって言ってるぞ。かあちゃんだって言ってたんだ。かあちゃんがうそを言うわけないじゃないか。おまえは、たくさんの女の人を殺した悪魔だって!」

 アルフォンスは僅かに悲しげな表情を浮かべたが、それでも言葉を継いだ。

「きみのお母さんは、お姉さんをとても愛していた。だから、わたしが犯人だと信じてわたしを殺すことで、お姉さんが救われると思い込んでしまったんだと思う。でも、きみがわたしの言葉よりお母さんの言葉を信じるのは当たり前の事だ。わたしの方を信じろ、なんて言ったって無理な事くらいわかっているよ。ただ、きみに話しておきたかっただけなんだ」                                                                                                                                                                                           

「……」

 子供は小さな頭で一生懸命考えようとしている様子だった。無駄な事だったろうか、とアルフォンスは思った。その思いは、自分が理解を得られない事への失望ではない。母親が死んだのは自らの思い込みのせいなのだと示唆する事は、たとえ信じないにせよ、この子供にとってはかえって残酷なだけだったのかも知れない、と思ったのだ。かれは子供を家族のもとへ返してやるようにウルミスに頼み、ウルミスは仏頂面で子供を掴まえている部下に、垣根の外の女に渡してやるように命じた。

「済まなかったね、ウルミス。我が儘を聞いてくれてありがとう」

「皆、きみは頭がおかしいのか、それとも偽物の貴族なのかと思うだろう。あの子供は、きみがあのまま死んでいたら、連座で処刑されていた筈の子供なんだぞ。それが許されて恩を感じるどころか、親子ともどもきみの命を狙ってきて、それなのにきみはそれに対して本気で頭を下げるなんて! お人好しもいい加減にしないと、自分の価値を下げるだけになるぞ。いっぺん聞いてみたかったんだが、きみは大貴族としての誇りというものをどう考えているのか?」

 ウルミスは本気で怒っていた。国王直属の騎士団長と言えど、爵位は伯爵であり、貴族としての身分の上では無論アルフォンスに劣る。自分も決して庶民を頭ごなしに見下したりはしていないつもりだが、今のはあまりにも度を超えていると思った。衆目の前でこんな話をするのはいけない、と理性の声は止めたが、どうにも我慢が出来なかった。

「誇りは、無論ある」

 しんとした騎士達が取り巻く中で、アルフォンスは少しの動揺も見せはしなかった。黄金色の瞳は揺らぎのない光を湛えて親友の目を見上げた。

「わたしにとっての誇りとは決して自分を偽らぬことだ。陛下への忠誠揺るぎなきことはわたしにとって第一の誇りだが、その事とは別に、それ以外のすべての人間に対して、わたしは決して自分の意に反する事は言わないししない。それが、公爵としての責を負うと同時にわたしに与えられた誇りであり自由であるとわたしは思っている。だから相手がどのような身分であろうと、恩を受ければ感謝するし、済まないと思えば謝罪する。きみは間違っていると思うか、ウルミス?」

「……いや」

 ウルミスは暫く沈黙した後に、短く返答した。次第に頭が冷えて、部下の前で取り乱した様子を見せた事を恥じた。アルフォンスの言う通りだと心が認めると、苛立ちは収まってきた。

「突っかかって済まなかった」

「いや、本当にこんなわたしの気性の為に心配をかけて申し訳ない。そんな風に率直に言ってくれるのはきみだけだ、本当に感謝する」

 そう言って、アルフォンスは静かな笑顔を見せた。

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