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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第三部・七公裁判篇
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3-1・王と六公の思惑

 大逆の疑いにて国王直属の金獅子騎士団の手で移送中のアルフォンス・ルーン公爵が、道中の宿で毒を盛られ危篤……その報が金獅子騎士団長ウルミス・ヴァルディンの派遣した使者によって王都へもたらされたのは、実際の事件が起きてから約七日の後だった。国王エルディス三世はその報を聞き、護衛の金獅子騎士団は、ウルミスは何をしていたのかと激怒した。

 エルディスは未だ迷いの淵にあった。兄のように思いアルフォンスの後を追っていた時代の記憶は完全に消えた訳ではない。その頃の懐かしい記憶にひとり沈む時は、今起こっている告発騒ぎは全て馬鹿げた小芝居のようにすら思えるのだ。


 遠乗りに出てふざけて馬をとばし過ぎ、護衛の者たちが追いつけなくなってしまった時があった。生まれて初めてたった一人で見知らぬ草原にいるのに気づいた時、言いしれぬ恐怖を感じた。だがすぐに、アルフォンスひとりが彼に追いついた。

『お戯れが過ぎますぞ、殿下』

 ほっとした表情で馬を寄せたアルフォンスは、穏やかだが厳しさを含んだ声をかけた。

『御身に万一のことがあればどうします』

『ほんの少しだけ……一人になってみたかったのだ。王宮では、一人、寝台に眠っていてさえ、周りにひとの気配が絶える事はない。だから……でも、私には今更、一人になる事は出来ないようだ』

『殿下……』

 寂しげな表情の賢しい少年にアルフォンスは何と声をかけるか一瞬迷う。そんなアルフォンスに、エルディスは笑顔を見せた。

『でも、もう良いのだ。そなたがすぐに私を見つけてくれる事くらい、最初から判っていた事だから』


 そんな風にまで心を許したたった一人の臣下、いや、それ以上の存在だった。なのに何故、こんな事になってしまったのだろう。アルフォンスが彼に害をなすなんて想像も出来なかった。いや、今も本当は出来ない。アルフォンスにもし不満に思う事があれば、かれはただそれを率直に告げる筈だ。そして彼を王として相応しい道に導いてくれる筈……。昔の夢は、そんな風に彼の心の奥底に囁きかける。

だがすぐに、いつも傍らに居る最愛の王妃が彼を過去から現実に引き戻す。

『大逆の、れっきとした証拠があるではありませんか。大神官が誤る筈がありません』

『ルーン公はただ、祖父の後の宰相の地位を考えて陛下に阿っていたに過ぎませんわ。陛下は純でいらしたから、うまく誑かされていただけ。あんなに信を置かれていたのに陛下に恨みを持つなど、何と恩知らずな男でしょう』

『そんなにお悩みになられて、ああ、なんてお気の毒な陛下。陛下には、このリーリアがおりますわ、いつまでも陛下だけの忠実なリーリアが傍におりますわ。だからもう、ルーン公とのよしみはお忘れになって、正しい裁きをなさいませ』

『大逆の罪人は死罪……大昔からの決まり事ですわ。罪人のせいで陛下がお苦しみになる必要はございません』

 日々吹き込まれる甘やかな音の声に、段々とエルディスの心は支配されてゆく。

リーリアは元々告発の前から、少しずつ気づかれぬよう巧みに、アルフォンスの悪評を彼の心に忍び込ませていたのだ。だから、半年前にもつまらぬ事で怒ってしまった。何故他の者と同じように肯定してくれないのかと……他の者と違って率直に諫めてくれるからこそ信頼していたのに。本当は、あの時更に言い返してくれていたらよかったのに、という思いが自分でも気づかぬ心の奥底にあった。臣下の身で王の怒りに触れてそんな事が出来る訳もない事くらい解ってはいたが、それが孤独な若き王の弱さと甘えである。寂しそうに退出していったアルフォンスの目が彼を更に苛立たせた。

(アルフォンスが危篤……)

 その知らせは、エルディスに交錯するふたつの思いをもたらした。死んで欲しくない、無実を証明して欲しい、という思いと、かれがこのまま死んでしまえば、自らの手でかれを裁かずに済む、という思い。



 宰相アロール・バロックは、国王より早くその情報を捉えていた。

 王国において離れた場所に情報を伝達する手段は、王侯貴族が使う最も正式なものとしては印を押された書状を使者が持参する事。それ以外の者にとっては、郵便馬車。それから、鳥文というものもある。これは早いが確実性が劣る。

 これら表向きのもの以外に、王侯貴族は様々な情報網を持つ。訓練された間者は騎士の早馬より先に情報を届ける事が出来るとされる。

 その他、魔道を用いた伝達法もあるが、神殿が正式に認めた者以外の使用は禁じられているし、そもそも距離が離れる程に難度が上がるので、実際に役に立つような使い手は稀と言われている。そして、神殿を介してしかやり取りが出来ないという定めがあり、私的に利用する事は御法度である。たとえ宰相であろうとも。

 そうした背景の元、バロック公は当然のごとく、王都へ向かう金獅子騎士団の一行の傍に常に間者を置いて変事があれば報告させるようにしていた。本来ならすぐに国王に報告すべきであるが、国王は間接的に彼の傀儡であるし、知らせたとてまた癇癪を起こすだけで何かが変わる訳でもない。バロック公は、孫娘の夫である国王に、僅かに憐憫の情を抱いていた。元々優れた資質を備えていたのに、急な即位、急な婚儀、短い間に彼を取り巻く環境の変化があまりにも大きく繊細な若者には重すぎて、若さゆえの気負いから誰にもその戸惑いを見せるまいと気を張っている間に、バロック公の思惑通りにリーリアの美しさと大半が演技である優しさに溺れ、自分を見失ってしまっている。

(あまりに臣下に軽んじられるような振る舞いが多くなれば、それはそれで困るのだが……)

 眼の利く主だった貴族達は皆、国王即位以来の宮廷の流れに気づいている。無論、聡いアルフォンスも解っていただろうに。

(わざわざこちらから差し伸べてやった手をはねのけた事が、そなたの命運をわけたのだ、アルフォンス)

 息子ティラールを娘婿として受け入れてさえいれば、ヴェイヨン公と同じく、縁戚として悪く扱うつもりはなかった。あとは、そうやって潜り込ませたティラールやザハドが、求めるアルマヴィラの秘密を探り出せさえすれば、アルフォンス一家を抹殺する必要などなかったのだ。子供の頃から知っているアルフォンスをバロック公は嫌ってはいなかった。賢しすぎる他家の子供に好感は持てないが、アルフォンスは礼儀正しく目上を立てて周囲に自身の才をひけらかそうとするような面が全くなかった。いずれ娘を、年齢が合い最も気立てのよい次女を娶せようか、とさえ思っていたのに、周囲に大反発されるという愚を犯してまで、聖炎の神子を妃として自ら選んでしまった。そして今度はもっと大きな間違いを……娘個人の意志を重要視して結婚相手を決め、バロック家と敵対するという選択肢をとってしまったのだ。アルフォンス本人にそんな意図があろうとなかろうと、ティラールとの婚約の申し出を断った時点で、バロック公はアルフォンス一家を排除すべき敵と断じ、ただの保険に過ぎなかったカルシスと手を結ぶ事を選ばざるを得なかったのだ。カルシスならば次のルーン公になればむしろ操りやすく好都合とも言えるのだが、バロック公は愚かなカルシスを好んではいなかった。

(儂に逆らいさえしなければ良い目も見せてやったものを、道中で苦しみ果てるか、アルフォンス・ルーン)



 スザナ・ローズナー女公爵はアルフォンスとの短い会談の後、十数騎の供を従え先行して王都に向かっていたが、その道中でこの知らせを聞く事になった。アルフォンスと親しい幼馴染みの間柄であった彼女は動揺した様子で、戻って見舞う事も考えたが、助からぬものならば今更戻っても間に合わぬであろうし、助かるならば一刻も早く王都へ入って色々と手を打つ事が重要と思い直し、日頃よりの気丈な性格を発揮して急ぎ旅を続けることにした。



 ラングレイ公は、卑劣な暗殺などによって真実も明らかにならぬままにアルフォンスが惨死するのかと憤ったが、近く義理の息子となるブルーブラン公は、「もしそのまま果てるならそれがルルアの定めた彼の命運であったのでしょう」と冷静さを微塵も崩さなかった。



 大貴族である七公爵のひとりでありながら、既にバロック公に懐柔され陰で『宰相の腰巾着』と揶揄されるヴェイヨン公は、領地から王都へ向かう道中であったが、この報を聞いて、はてこれは宰相閣下の策略なのであろうかと首を捻った。バロック公からは、裁判の折には彼に倣って行動するよう既に念を押されてはいるが、彼が何を企み何を求めているのかは全く知らなかった。



 そして、幼い息子グリンサム公に付き添い、同じように王都への道中にあったグリンサム前公妃イサーナは、この知らせを最も遅く受ける事になったが、おっとりと口を開いて出た言葉は、「まあ、もしルーン公がそのままお亡くなりになれば、ここまで来たことが無駄になってしまいますね」というだけのものであった。



 国王と他の公爵たちがまだ遠い王都やそこへの道中でこのような状態にあった頃、実際にはアルフォンスは快復に向かっていた。意識を取り戻した後のかれは、とにかく一刻も早く体力を取り戻して旅を……もしかしたら永遠に戻れぬ片道になってしまうかも知れない旅を、再開しなければという思いでいっぱいだった。ティラールとの会談を終えた後にはもう無理はせずに、医師の指示に従い養生に努めた。その結果、奇跡的な生還から十日も経つ頃には、杖に縋って立ち上がれる程になっていたのであった。

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