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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第二部・陰謀篇
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2-55・ティラールと金獅子

 聖炎騎士団の宿舎を出たティラールは、愛馬を連れ、これまで滞在していた客館とは反対方向でルーン公私邸にそう遠くない宿に入った。当座は持ち合わせの路銀もあるし、荷物に入っている貴重品を売ったりすれば困る事はない。だがいつかは底をつく資金であるし、彼は自分で金を稼いだ事など勿論ない。だから本当は少しでも節約して安宿をとるべきであるが、生まれついての大貴族の子息である彼には、『節約』という意識は机上の概念でしかない。高級宿の主人は、くたびれた旅装の彼を見ても一目で身分の高い上客と見抜き、丁寧にもてなした。また、そういう扱いをティラールもごく当然としか感じない。出奔してきた者としての自覚は、その覚悟とは裏腹に薄いと言わざるを得なかった。これまでの数年間の旅で、支払いや生活の事は殆どザハドに任せきりであったので、仕方のない事ではあったのだが。

 湯を用意させて旅の汚れをさっぱりと落とし、持ち出した僅かな上等な衣服から選んで着替えると、鏡の中のかれは、まるで何事もなかったかのように、いつもの瀟洒な宰相の息子にしか見えなかった。旅の疲れでまだ顔色は回復していないし、舌を噛んだ傷は頬を腫らしてはいるが、ユーリンダに幻滅される程に醜くはないと思った。庶民なら一生触れる事もないであろう、美しい紺色に染めた高級な皮のマントを纏うと、長旅で疲れた愛馬は厩に残し、馬車を頼んでルーン公私邸に向かった。ルーン公の無事を伝えればユーリンダはどんなに喜ぶだろう……そう思うだけで、かれは今までの全ての痛みや苦悩を忘れる程に胸が躍るのだった。


 しかし、玄関ホールで執事に、

「大変申し訳ございませんが、本日はどうかお引き取りを。姫さまはお休みされておられます」

 と面会を断られてしまった。

「こんな時間に休まれているとは、姫はご体調を崩されているのか?」

 心配そうにティラールは問う。執事はこの、しつこく通ってくる宰相の息子にどこまで話したものか少し迷ったが、どうせ金獅子騎士は皆知っているのだからいずれ知る事、と考え、ありのままに告げた。

「昨夜、姫さまの御寝所に魔道を用いる賊が侵入し、狼藉を働いたのです。幸い姫さまに大きなお怪我はございませんが、大変お心を痛められて伏せっておいでなのです」

「なんだと!」

 ティラールは顔色をなくし、大声をあげた。

「いったい何の為にこんなに騎士が詰めているのだ。御寝所に賊など……! それで、大きなお怪我はなくとも、どこか傷を負われたのか、あのか弱い姫が」

「賊は姫さまを括り殺そうとしたのです。しかし、すんでの所で騎士さま方が助けに入られ、賊は魔道で逃亡致し、姫さまのお命に別状はなかったのです」

 ユーリンダが自らの聖炎で賊を撃退した事は、執事のウォルダースや乳母のマルタ、侍女頭のエリザには判っている事だが、出来る限りそれは、金獅子騎士や外部の者には気づかれないよう……アルフォンス一家に忠誠を誓う者たちの間で共有する意識である。ユーリンダは無力な少女であると思わせておくに越した事はない。

 だがティラールは、ユーリンダの身を、感じたであろう恐怖を思い、身体を震わせた。

「ああ、何という事だ。金獅子騎士がついていれば、今は姫の身に危険が及ぶ事はないと思っていたのに。彼らは本気で姫を守る気があるのか?」

「それは……騎士様がたのお役目ですから、お心の中はわたくしめなどには測れませんが、お守りすべき姫さまに何かあれば騎士様のご責任という事になる訳ですから……」

 ウォルダースは無論、金獅子騎士に好感情を持ち合わせている筈もないが、彼らが自らに課せられた責任を果たそうという意識を疑った事はない。何の感情も交えず、守れと言われれば守り、処刑場へ引き出せと言われれば引き出すであろう。自らの想像に、執事は無表情を保ったまま小さく身を震わせた。そんな執事の様子を見ていたティラールは、

「わかった、とにかく姫はご無事なのだな。だったら伝言のみ願いたい。わたしはルーン公殿下にお会いしてきた。ご病状は改善に向かわれている。お命の心配はもうない、と」

「ほ、本当でございますか!!」

 やつれた老執事の顔がぱあっと明るくなる。本当はユーリンダのこの表情を見る筈だったのだが……と思いつつも、自分だけの力でした事がこんなに人を喜ばせられたと思うと悪い気はしない。

「と、殿はどのようなご様子で? いつ、どのように? 何と仰せで……」

 思わずウォルダースは興奮を隠しきれずにティラールに近づいたが、流石にすぐに相手が誰であるかを思い出し、

「あ、こ、これは申し訳ございませぬ、ご無礼を。つい……」

 と詫びた。そもそもティラールは敵方とおぼしき宰相の息子、心易くその言葉を受け入れられようもない筈が、身のうちのすべての忠誠と敬愛を捧げたアルフォンスの無事を聞き、つい我を忘れてしまった。

「構わない。わたしはユーリンダ姫のお力になりたい一心で殿下をお見舞い申し上げたのだ。わたしの言葉をそのままに信じろというのは難しいかも知れないが、殿下が回復されているのは確かだ、起き上がられてお話されていた。そなたを騙したとて何の益もない。いずれ他からも同じ報を聞くことになろう」

「……ありがとうございます」

 一種の感動を味わいながらウォルダースは深く頭を垂れた。この若君は何か以前と変わった、と感じながら。

「殿下から姫へのご伝言だ。『離れていても、心は常に共にある』と……。そなたからでも侍女からでも、なるべく早く伝えて姫を安堵させてあげて欲しい」

「ご自身でお伝えにならなくてよろしいのですか」

「伏せっておいでなら、お目にかかるのは後日でいい。それより早くお気持ちが安らがれるよう、お伝えしてくれ」

(この方は……)

 老執事はティラールの想いが真実強いものであると、この時初めて確信した。それは、もしかしたら、形ばかりに短時間顔を見せては慌ただしく去っていくアトラウスとの長年築いた絆にも劣らない強さであるかも知れない、と。但し、それをユーリンダが受け入れるとは到底思えないが。

「わたしはこの館の金獅子騎士の責任者と話がしたい。陛下直属の騎士ともあろう者が、狼藉者の侵入を許すとは何事か、はっきりさせて、場合によっては父から陛下へ伝えて頂こう」

 勿論、後半ははったりである。しかし、ユーリンダの命に危険が及んだと聞いて黙って帰るなど考えられない。いずれは父と袂を分かった事を知られるとしても、まだ今は『宰相の正式な息子』という肩書きは力を持っている。今のうちに有効に利用しない手はない。

「は、はい、承りました。それでは客間にて暫しお待ちを」

 ウォルダースとて、昨夜の騒ぎに金獅子騎士が何の役にも立たなかったのをよしと思っている筈もない。この貴公子がいけすかないオリアンに一矢浴びせてくれれば爽快である。かれを客間に案内すると、いつもは顔を見るのも気が重いオリアンの所へ急いで向かった。


 丁度折しも、オリアンの所にはウルミスとノーシュからの書状を携えた使者が到着して、オリアンは書状に目を通し終えたところだった。道中人里離れた場所で馬が足を折るなどのトラブルがあり、ティラールより先に発っていながら半日以上遅れて着いたのだ。

『公女殿下の拉致または暗殺を企てる者がいるとの情報がある。くれぐれも公女殿下に失礼のないよう、御身に害の及ばぬよう、金獅子騎士として命を賭して警護するように』

 ウルミスの書状は、書いた本人には確証もなかった事だが、図らずしも昨夜、真実であったと既に証明された形になってしまった。オリアン個人の気持ちとしては、こういう危機の時こそ大貴族の娘としては凛々しく振る舞うべきであるものを、めそめそうじうじして引きこもってばかりなユーリンダを好ましく思えず、命を賭して守る価値のある存在とも思えない。ユーリンダの美貌に惑わされて同情している若い騎士が多いのもまた腹立たしい。しかし、団長直々にこの役に任命されたからには無論、個人的な感情は後回しにして仕事として彼女を守るつもりではいる……その必要がなくなる時までは。だから昨夜の失態は重く心にのしかかり、益々苛立ちを募らせていた折りであった。そんな時にウルミスからのものと共に届いたノーシュの書状は、更にオリアンに不快感と失望感を与えた。ノーシュは実直で不器用な男である。書状に気持ちを託す、などという行為は苦手なのだ。だからウルミスから言われて頭をひねった挙げ句にしたためた書状はただ、『ルーン公に対する認識には誤解があった。公が逆賊であるという認識は改め、裁判の結果が出るまでは公やご家族には丁重に振る舞うべきだと思う』という内容のみで、オリアンの考えを改めさせるような説得力はまるでなかった。オリアンは、ルーン公を盲信する団長に命じられて書いたのか、それともルーン公の甘言に籠絡されたのか……という感想しか持たなかった。王都を発つ前に酒を酌み交わしながら『ルーン公に肩入れしがちな団長閣下を、我々が時には不興を買う覚悟でお諫めしてでもお止めしなければ』と語り合ったのに、何という様か、と失望したのである。

 そんな時に、ルーン家の執事がやって来て、宰相の息子ティラール・バロックが面会を求めている、と言う。オリアンはこれまで、宰相の息子でありながら、大罪の容疑者の娘として軟禁されているユーリンダに未だ面会に通うティラールを、度し難い愚か者と見なしていた。バロック家の正嫡の息子として生まれながら騎士の叙勲も受けずに遊び暮らし、立場もわきまえず私情のみで行動する軟弱な男。どうして宰相閣下はこんな息子を勘当する事もなく、したいようにさせているのかと日頃から不審に思っていた。だがここの所姿を見せなくなっていたので、ようやく父親に呼び戻されて説教でも食らっているのかと思っていたところであった。

「ティラール卿が? まだアルマヴィラに滞在されていたのか。それでこのわたしに一体何の用があられるというのだ?」

 オリアンは不機嫌さを露わにウォルダースに問い糾したが老執事は素知らぬ顔で、存じませぬ、と受け流す。面会を断る理由もないので、オリアンはせかせかした足取りで客間へ向かった。


「これはティラール卿、お久しぶりでございます。某に御用とはいかようなものでしょうか?」

 慇懃無礼な眼差しでオリアンはティラールに近づいた。ティラールは椅子から立ち上がるとオリアンに歩み寄り、

「オリアン・ルイス殿。昨夜騒ぎがあったと聞きました。ユーリンダ姫の身に危険が及んだと。あなたがた金獅子騎士は姫の警護の為にここにいるのではないのですか。賊の侵入を許すなど、真面目に姫の御身をお守りする気があるのですか」

 挨拶も抜きにいきなり本題に入った。

「なっ……」

 あまりの単刀直入な詰問にオリアンは一瞬言葉を失った。如何に宰相の息子と言えど、上司でもない、まして騎士でもない男にこのような事を言われるのは、オリアンにとって耐えがたい侮辱としか受け取れない。

「賊は妖しげな術を用いて潜入し、そして逃げ去ったのです。我々は剣にかけては何者にも劣らぬと自負しているが、妙な魔道などに対抗する術は学んでおりません。妖しの者が付け狙うとは聞き及んでおりませんでしたし、そもそも、そのような者に狙われるルーン公御一家の方に何やわけがあるからこその事態であったと思いますぞ」

「なんだと! 姫が狙われたのは姫のせいだとでも仰る気か?!」

 ティラールもまたオリアンの言葉が許せず、大声をあげた。

「か弱き女性を守る事も出来ぬ上に更にその非を姫君ご自身の咎ででもあるかのように仰るとは、誇り高き筈の陛下直属の騎士殿のお言葉とはとても思えませんな!」

「なんと、我を侮辱なさるのか! この剣は陛下から賜り陛下のみに捧げたもの。元々、罪人の娘を守る為のものでもないし、穢らわしい魔道士風情を斬る為のものでもない!」

「斬る事も出来なかった癖に! それに公爵家の姫君を罪人の娘呼ばわりとは何事だ!」

「まことの事でござろうが! 大体、騎士でもない卿に我らの剣についてとやかく言われる筋はない!」

 一触即発の険悪な睨み合いに、室の外ではウォルダースや騎士たちがはらはらしながら中の様子を窺っていた。せいぜい皮肉の応酬くらいと想像していたウォルダースは、ティラールの真正面からの挑発ぶりに驚く以外なかった。

(いや。挑発の意図はなく、あの方はただ単に思われた事を口にされているだけなのだろう)

 そう思い当たると、今度はティラールの無茶ぶりが心配になってくる。まさか一時の感情でオリアンが剣を抜く事もあるまいが、そう思わせられてしまう程にオリアンの怒気は凄まじい。万一オリアンが剣を抜けば、ティラールの命は風前の灯火となってしまう。ティラールも一応細剣を穿いてはいるが、飾りのようなものだと以前自分で言っていたので、腕前の程は知れている。

 もしもオリアンが感情のままにこのルーン公私邸の中でティラールを斬り捨てるような事になれば、とんでもない大問題が巻き起こってしまう。勿論オリアン自身も何もかもを失う事になるであろう。

「お、お止めしなくてよろしいのですか」

 ウォルダースは金獅子騎士に尋ねたが、騎士達もオリアンの冷徹さや気性の激しさをよく知っているだけに、下手に手出しすれば我が身も危ういと、ただ時を見計らうのみで動こうとしない。

「わたしは騎士ではないが、護るべきものを護る気概では、口先ばかりの騎士殿には負けるつもりはない!」

「なんだと!!」

 遂にオリアンは剣の柄に手をかけた。

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