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炎獄の娘(旧版)  作者: 青峰輝楽
第一部・揺籃篇
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1-7・予兆

 侍女リディアが、休暇をとって出立したその夜の事。

 珍しくこの日は来客もなく、奥の小広間で久々に家族四人で晩餐の卓を囲んだ。

 常になく言葉少なで、俯きがちに何かを考え込んでいる様子の娘に、アルフォンスは食事が済んでから、優しく声をかけた。

「わたしのちび小鳥、何か気になる事でもあるのかい?」

 かれは、双子の子供達が幼い頃、よく、ファルシスをちび仔馬、ユーリンダをちび小鳥、と呼んでいた。

 成人し、息子は騎士となり、娘も婚約が定まった今では、もう殆どそう呼ぶ事もなくなっていたのだが、ふと懐かしく、アルフォンスはその呼び名を口にしてみたくなったのだ。

 多忙な身のかれに、翌年の一人娘の嫁入りまでに、あと何度、家族四人、水入らずで食事ができるのか、と、ふと、感傷という程のものでもない思いがよぎったのかも知れない。

「まあお父様、もう私、ちび小鳥ではなくってよ。ちゃんとした、おとなの鳥なのよ」

 案の定、可愛らしく唇を尖らせてユーリンダは抗議した。アルフォンスは破顔し、それは失礼、レディ、と言った。

「父上、この鳥はひとりではいられない寂しがりやなので、側仕えのリディアが実家に帰った為に、心細くて憂い顔なのでしょう」

 ファルシスが言った。

 ユーリンダは、リディアが今日からいない事を、ファルはどうして知っているのかしら、と幾分訝しく思ったが、口には出さず、別な事を言い返した。

「まあ、ファル、私はそんなに子供じゃないわ。リディアはすぐに帰ってくるのだし。私が気になっているのは、別の事よ。それは……ええと」

 ちょっと言い淀んだのは、折角の楽しい雰囲気に水を差す話題ではないかと気遣ったからだったが、やはり父に尋ねてみたい気持ちが勝ったので、ユーリンダは言葉を継いだ。

「お父様。今朝聞いたんですけど、最近、若い女性が行方不明になる事件が続いているんですって? どういう事ですの?」

「ああ……」

 アルフォンスは、やや困ったように、軽く眉を寄せた。

「きみの耳にも入ったのかい。最近、かなり噂になっているようだからね」

「わたくしが話したんですの。ユーリィももう子供ではないのですから、世の中で起こっている事は、知っておくべきですわ」

 カレリンダが言うと、彼女の夫は、完全に納得した訳ではない、という風に、曖昧に頷いた。

 アルフォンス・ルーンは優れた人間だが、娘の教育という面では、かなり甘い所があった。息子には、後継者として、自分をも超えるような立派な領主、騎士となって欲しいという願いから、教育や鍛錬の面で、かなり厳しく指導する事も多かったが、娘に関しては、ユーリンダの無垢で純粋な心の美しさに、ややもすると溺愛に近いといえる感覚を持っており、酷い話、恐ろしい話は聞かせたくない、という、甘やかしの気持ちがあったのだ。

「行方不明になった女性たちはどうなったのか、わからないんですの? いったい、誰がどういう目的で、未婚の女性をかどわかしたりするのでしょうか?」

「う~ん、色々調べさせてはいるのだけどね、まだわからない事が多いんだよ。本当に、この領内でそんな無法をそう長く許しておく訳にはいかないから、必ずこの件は解決させてみせるよ。だから、きみはそんな心配はしなくていいんだよ」

「ユーリィ、この件では、アトラもダリウス警護隊長に協力して、色々調べているらしい。そんなに気になるなら、今度彼に尋ねてみるといい」

 ファルシスの言葉に、ユーリンダは驚いた。

「まあ、アトラが? いったいどうして?」

「彼の乳母の娘……メリッサといったかな、嫁入り間近にして、事件の被害者になっているらしい。それで、空いた時間を使って、自身で動いてみる事にしたそうだよ」

「まあ、そうだったの。私、ちっとも知らなかったわ」

 少しショックを受けたように、ユーリンダは俯いた。

「ユーリィ、アトラはきみにそういう話はあまりしないのかい?」

 アルフォンスが少し心配げに問いかけた。

「ええ、そうね……。騎士団でのお話や、叔父様のお話は、あまりしてくれないわ。聞いても私には面白くないだろう、と言って。よくお話してくれるのは、書物の中のお話とか、人から聞いたよその地方のお話とか。それは、とっても楽しいお話なの。私がそういうお話をとても喜ぶから、そういう事件の事とか、楽しくない事は聞かせたくない、と思っているんじゃないかしら」

「そうか、なるほど、そうかも知れないね」

 そういう気持ちは自身も持っている公爵は、そうであればいい、と無意識に思いながら頷いた。

 ただ、彼は流石に、娘よりはずっと男女の仲についてよく知っていた。婚約を交わした間柄だというのに、現実的な話をせずに、物語ばかり語っているのは少し考えものなのではないかと思った。

「ユーリィ、アトラウスは少し変わった青年だからね。ああ、悪い意味ではないよ。でも、ファルシスとは全く違う性質を持っている。剣の腕も馬術も確かだが、あまり武芸は好まないようだ。でも、穏やかで人当たりがよく、とても頭がいいから、騎士団の中でも、皆から好かれている。豊富な知識を持っているし、きみを喜ばせるおとぎ話もたくさん知っている事だろう。だけど、彼には、何か憂いがあるようにわたしには思われるのだよ。それは、彼の生い立ちに関係しているのかも知れない。きみは彼の妻になるのだから、彼の心をよく理解して、支えになってあげなくてはいけないよ」

「ええ、わかりましたわ、お父様」

 ファルシスは、この会話を聞いて、純粋であるが故に、やや気の利かないところのある妹に、それができるのだろうかと、少し不安に思った。

 彼は妹をとても愛しているし、従兄の事も、少し不可解なところはあるけれど信頼できる人間と認め、かけがえのない友人として好意を持っていたので、二人の婚約をとても喜んでいたのではあるが。

 何か言おうとした時、執事が扉を叩いた。

「公爵様。アトラウス様と、ノイリオン・ヴィーン様、それに、ダリウス隊長がおみえです。至急な用件との事でございます」

 アルフォンスは立ち上がった。

 夜分の至急な用件。その顔ぶれ。良い知らせである筈はなかった。

「ファルシス、きみも同席しなさい」

 そう言うと、急ぎ足で室を出て行った。すぐ後に、ファルシスも続く。

「どうしたのかしら、お母様?」

 不安げに、ユーリンダは母親の顔を見た。

 カレリンダは、その時何故か、かつてない胸騒ぎをおぼえていた。

 神子の感覚が、何か、とても邪悪な、怖ろしい影が近づいてくる感じを捉えた気がした。

 だが、心配げな娘に向かっては、整った細面にその内心は表さず、お父様がちゃんとして下さるから大丈夫ですよ、と微笑みかけるのみであった。

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