美麗の真実
社に付くなり、事態を分かっていたのか、白虎の社頭がやって来た。
「こちらへ…。麒麟の御子に力を白虎さまの聖なる力を注ぎます。」
「頼む…。」
「あなたは、こちらへ…。」
「えっ?」
「そのような血にまみれた姿では子供達が怖がってしまいます。」
紅蓮は初めて自分が可燐の血で手も、服も顔も染まっている事を知った。
促されるまま湯殿に入った。
(可燐…。俺がしっかりしてへんから…。)
ぽかっと頭を殴られた。
(麒麟は、アア見えて図太いからな、死にゃあせえへん。)
(…。)
(可燐が言うとったこと、覚えとるか?)
それは、母親・美麗のコトだった。
(あの女の思いをどうやったら信じられるんだよ…。)
紅蓮は言葉を濁した。
(飛蝶街に行ってみーへんか?)
(必要ない。可燐が復活したら、一緒に行って結界を強めるだけでいい。)
飛蝶街は紅蓮にとってよい思い出がなかった。
(お前は、時々真実に目を背ける事がある。特に母親のコトになるとそやな。村人が何言おうが、父親は母親の味方やなかったか?)
(えっ?)
ふと父親を思い出す。
母親のことを聞いたのは村人からで、父からは何も聞いていなかった。
紅蓮が母の悪口を言う度に窘めるような人だった。
(実直なお前の父親が、金の亡者のような女に惚れると思うんか?お前達を生むと思うか?)
(ヤルことやってれば、イヤでもできる。)
(本当にそう思うとんのか?紅蓮、お前は知らないへんわけやないやろ?人の嫉妬というもんが時に暴走するいうこと…。)
彼の脳裏に浮かんだのは白妙に刃を向けた木蓮太夫の姿だった。
(お前の父親は、村一番の細工師で、職人の中では一番稼いどった。それこそ、王宮から細工を頼まれる腕前や…で、お前の母親は、村一番の美人で、男達の憧れの的で、女達からは嫉妬の対象やった。)
紅蓮は、母のコトを悪く言う村人の顔を思い出した。
その顔は醜く、恐怖さえ覚えたことを思い出した。
(自分の目で、耳で確かめてみい。お前が人を信じられへんのやったら、俺の力を御する事なんて百年かかっても無理や。)
(俺が信じられへんのは、あの女だけや!)
(…。)
苦々しい思いで切り出した言葉に、朱雀はため息を吐いた。
(このままじゃ、お前は一生強くはなれへんやろな…。)
(う、うるさい。)
(ふーん、じゃ、お前は1人で死ね。俺は離れる。)
(えっ?)
(言ったよな?俺は迦陵が選んだ相手やないと宿れへんって。けどな、離れんのは簡単。俺の意志でできるんや。)
紅蓮にとって初めてといっていい仲間との絆が切れる。
紅蓮はグッと拳を握り締めた。
(分かった…で、どないすれば、ええねん!!)
逆ギレ状態である。
(てめえで捜せ!アホがき!)
朱雀はポカッと紅蓮の頭を叩いて、それ以降言葉を交わしてこなかった。
汚れを落とし、可燐のもとを尋ねた。
「…紅蓮?」
彼の気配に目が覚める。
「あっ、起こしてしもうた?ごめん。」
立ち去ろうとする紅蓮を呼び止める。
「…可燐…ホンマ…ごめんな?俺がぼさっとしとったから…。」
「ううん、いいよ、そんなん。調子が悪い時だってあるし!って、痛たたたっ。」
化け物は可燐の治癒能力を半減させる力があったらしく、社での傷の癒え方も少し遅かった。
「大丈夫か?」
「うん。……それより、何?謝りに来ただけ?」
紅蓮は言い難そうに声を出した。
「あ、あの女のコト信じる気になれへんけど…可燐が言う事は信じることにした。」
可燐は噴出す。ちょっと傷に響いた。
「何?それ、素直じゃないな。いいじゃん、美麗母さまのこと、自分の目で調べて来なよ。絶対、紅蓮はちゃんと見るべきだと思う。」
「可燐…。」
「傷が治ったら、私も行くからね!」
可燐の変わらぬ笑顔。
紅蓮は部屋を後にした。
可燐は去っていく紅蓮の背中を見送って、何故か泣いた。
(ははっ、私も母さまに逢いたくなったよ、麒麟…。)
(可燐…きっと、紅蓮も気付くよ。自分が愛されていることを…。)
可燐は頷いた。
紅蓮は、まず、朱雀の社に飛び、それから、集光の街を抜けた。
可燐の家は更地になり、人々が花を添えていた。
この街を去る時に張った結界はまだ強く残っていたことに安堵した。
生まれた火の村。
去年の今頃この村を後にしたことを思い出した。
この一年で紅蓮は驚くほど背が伸びた。
「こんなに屋根って低かったっけ?」
屋根の高さで自分の成長を知った。
「紅蓮?紅蓮か…。」
しわがれた声がした。
振り向くとそこには、自分達家族に優しくしてくれた老人がいた。
「大きくなって…。」
紅蓮は老人の家に上がった。
紅蓮と月凪の家は、月凪が攫われた時に火をつけられて消失していた。
それ以来、寝るためと食うために借りていたのは、老人の家の離れであった。
たった一年なのに、老人は小さくなっていた。
「久しぶりじゃの、元気にしとったか?」
懐かしいお茶の香がした。
「おやっさんも…。でも、随分人が減ったんとちゃうか?」
長老は苦笑した。
「皆、飛蝶街に越していってしもうたんじゃ。残って居るのは、年寄りだけじゃよ。」
「出稼ぎいうやつか…。」
「美麗を…。」
ぎくっとなる紅蓮。
「飛蝶街の博打場の店主がな、捜しておるんじゃよ…。そ、そのお前の母親を…。」
老人の言葉がやけに重い。
「街がイヤんなって、出て行ったんとちゃう?」
「あの女があれほどの生活を捨てれるとは思えん!あ、あの女は、金に目の眩んだ…。」
老人の家の中を見渡すと以前はなかった写真があった。
若い娘の写真だった。
「おやっさん、この人誰や?俺がココにお世話んなっとー時、なかったよな。」
「娘じゃよ…。」
「優しそうな人やな…こんな人が俺のおかんやったらよかったのに…。」
何気なく出た本心で老人に言った。
「そうや、あの女さえおらんかったら、麻衣は…。自殺などせなんだ!」
「自殺?」
「そうや、あの女が清廉を寝取ったりしなければ!あの子は、あそこまで傷付く事はなかったんじゃ!」
老人は怒りと憎しみに任せて語りに語った。
一人娘の麻衣は、紅蓮の父親・清廉がとても好きで、将来的には、彼の妻になるコトを望んでいた。
しかし、美麗が、清廉の将来を計って、2人が本当の気持ちに気付く前に、清廉を寝取ったというのだ。
傷付いた麻衣は、それでも清廉がいつか目が覚めると思って耐えていたが、2人の間に子供が出来てしまい、絶望の淵に落とされ自殺したのだという。
「もう、少し待っておれば…あの女を上手く、飛蝶街に軟禁できたというのに…。」
「えっ?」
上手く頭に入らない言葉が聞こえたと彼は老人に聞きなおした。
「な、何でもないわ…。」
老人は慌てたフリで部屋から出て行った。
1人部屋に残された紅蓮は、写真を見つめた。
(…どういうことだ?)
紅蓮は立ち上がった。
その足で、飛蝶街に向かった。
「捜せ!」
「店長、もう一ヶ月以上捜してるんですよ?」
「大事な金蔓や、月凪がおらんようになったのなら火の村からだけでも金もらわんと…。」
店の中で頭を抱える店主。
「それって、どういうことや…。」
目の前に紅蓮が立っていた。
店主は最初、彼が誰だったのか分からなかったが、紅蓮だと分かると急に口を噤んだ。
「腕にモノ言わせてもええんやで…。」
紅蓮は思い切りすごんで見せた。
そこで、得た真実は紅蓮を戸惑わせた。
まず、美麗は、本当に清廉と愛し合っていたこと。
少しでも暮らしが裕福になるようにと夫の仕事を手伝っていたこと。
子供が生まれるまでは、派手な生活への憧れもあったが、実直な彼と共に生きようと考えていたため、飛蝶街へは行くことはなかった。
娘を殺されたという恨みを美麗に抱いた老人は、常日頃から村長の娘とは言え、美麗が気に食わなかった。
だから、夫の仕事である簪を届けるついでに彼女を派手な世界へ誘うよう、二度と火の村に戻ってこないよう監禁してほしいと頼んだ。
店主が美麗のコトを一目で気に入ると老人は分かっていた。
好色な男だ。
一緒に飛蝶街へ向かった者から店主が彼女を特別な目で見ていたことを聞いた老人は、彼に毎月金を支払う事で話をつけた。
店主は、老人の寄越す僅かな金などには興味がなかった。
ただ、美麗を愛でていたかった。
田舎暮らしが長かった美麗は都会の暮らしの楽しさに目が眩んだ。
ココで暮せば、子供たちにも贅沢をさせることが出来る、夫にも仕事の息抜きが出来ると思った。
そんな美麗に店主は、老人から渡された金以上の借金を少し遊んだだけで背負ってしまったと嘘を吐いて、傍に置いた。
借金を返さなければ、娘を売るとか、借金を夫に全額支払わせるとか言って、脅し、彼女を監禁した。
月凪の歌が聞きたいから帰せといってきた美麗を帰さないように村人の協力で月凪を攫った。
老人は、自分が村長になれなかった悔しさが根底にあったこと、娘以外にも村の憧れを集めていた清廉を奪った美麗への嫉妬、美麗に憧れ、口説いていた男達の清廉への嫉妬を煽り、幼い兄妹に美麗の悪口を吹き込んだ。
仕事に忙しい 清廉は、親身に子供達の世話をしてくれる老人を信じていた。
「じゃあ…。」
「そうさ、美麗はいつだって俺から離れようとしやがった。だから、お前には帰るところはない言うてきかせた。村の連中がお前のことをどう子供達に言っているのか全部言ってやった…、なぁ、なんであいつはいなくなってもたんや?好きなもん与えて、聞きたい言うた月凪の歌やって毎日聞かせてやったのに…。傍で居ってくれたらそれだけでよかったんや…。」
店主は崩れ落ちた。
紅蓮は店を後にした。
(今まで、今まで俺が信じとったんはなんやったんや…。)
あれほど信じていた老人の言葉は、娘を自殺に追いやった美麗への八つ当たりであった。
彼が聞かせた母親のこと、月凪を巡る村の人達の行動。
「美麗母さまのコト分かった?」
振り向くとそこには可燐が立っていた。
「可燐…大丈夫なんか?!」
「うん、ホントはとっくにね。」
紅蓮が呆れたという顔をする。
「だってね、私がいたんじゃ、紅蓮ってば素直に聞かないでしょ?1人で行って、感じて欲しかったの美麗母さまの心を。」
紅蓮は真っ赤な顔をして複雑な顔をした。
「確かに、お遣いの後に、店主の口車に乗って、ちょっと遊んでしまったことをかなり悔やんでらっしゃったわ。素直じゃないから、紅蓮や、月凪見ると『どうせ嫌われているんだから!』って…。憎まれ口ばかりたたいてたって。なんとなく…親子って似てるよ。」
可燐は俯いてしまった紅蓮の横に腰を掛ける。
小刻みに震えている紅蓮。
身体が幾ら大きくなっていても、母のいなかった期間の長さ、母を恨んできた自分を思うと熱く込み上げてくるものがあったのだろう。
「大丈夫…生きてるんだもん!仲直りできるよ!!」
ばしっと自分より広い背中を叩いた。
胸の中が熱くなっていた。
可燐の両親はもういない。
その現実を受け止めてながら、自分のことに心を砕いてくれた、笑ってくれた彼女。
紅蓮は大切にしなければと、二度と傷つけはしないと誓った。
(やれやれ、やっと第一歩だぜ…。)
朱雀が愚痴をこぼしたことに紅蓮は気付いていなかった。
つづく




