ライン~境界線~
神秘的なものは、どこか人を引き付ける魔性の力があると思う。神秘的な風景、神秘的な人物、神秘的な出逢い……。それらの全てに共通する事は、神秘的と感じた時にある一種の恐怖の様な感情を抱くことだ。神秘的な風景、例えば宇宙の姿を目の当たりにした時。綺麗な風景だ、と思いながらも自分がいかにちっぽけな存在であるかを思い知らされるような恐怖に陥ってしまう。だけど、そんな感情を持つからこそ、人は神秘的なものにとらわれてしまうんじゃないか。
そう、俺もそうだったんだ。俺はあの少女、椎名あかねに神秘的な「何か」を感じたんだと思う。あの日、俺が椎名の手を取った時。俺は椎名に自分にはない、どこか神々しいモノを確かに感じた。あの時の椎名は俺を圧倒していて。俺はそんなあいつに圧倒されて。神秘的な何かを感じて。だからあの時俺はあいつの手を取ったんだ。
だから手を取ったのに……
さて、どうしてこんなことになっているんだろう。
今、俺は椎名こと、トンデモ暴力少女に引きずられてる。まずなんでこんなことになってるか説明しろと言われても、無理な頼みだ。なんせ、当事者である俺がどういう状況かよく分からないんだからな。
まず俺が分かる範囲で状況を整理してみよう。
とりあえず昨日、俺が椎名の手を取った後は、保健室のようなところでごろごろしたり、どこからどう見ても学校にしか見えない校舎をブラブラしたりしていた。うん、昨日は実に有意義な時間を過ごせた。
今日も俺は朝から校舎をブラブラしていた。まだこの「死んだ後の世界」に来てから、俺的には3日しかたっていない。ましてや記憶なんぞ戻る気配もさらさらない。なんとなく長い付き合いになりそうなこの「世界」を見てみたいと思って探検していたのだ。
どうやらあまり生きていたころの世界とはあまり変わらないらしい。自分自身の生きていた時の記憶はないのに、こういうことは覚えている。実に変というか便利な記憶喪失だな。
そんな平和なことを考えながら保健室から出て運動場に向かった俺にあいつ、椎名が現れたのだった。
「痛い、痛いから。あかね、許して・・・」
こいつほんとに女か?物凄い腕力で俺の腕を引っ張っている。
「すいませんでした。椎名様許してください。お願いします!!」
「フンッ。まぁ許してやってもいいわ」
今ものすごく死の危険を感じたが、回避できたようだ。まあ、なにが許されたのかよくわからないんだが。俺、なんかしましたか?
死といえば、俺の記憶は戻るのだろうか、なんて急に考えてしまう。日向という、名前さえ本当の名かも分からないのに。そして、色々な意味でどこに向かってるのか良く分からない、俺を引っぱっている彼女には、死んだ時の記憶があるのだろうか。
「そういえばあんた。あれよあれ!!あれ!!」
そんな椎名の声で、俺は思考から現実へと意識を戻した。しかし、あれ、って言われても俺にはさっぱりなのだが。
「あれよ!!分からないの?」
いや、分かるわけがないじゃないか。国語の問題でよく指示語の指している文はどれですか、何ていう問題がよくあるが、この問題は絶対に誰にも解けないぞ。もちろん俺も分からんが。
「チッ。本当にクズね。アンタのせいで何言おうとしたのか分かんなくなったじゃないの!」
いやいや、そんなことを言われても困るんだが。世の中、本当に理不尽だな。美少女だからって許されることと許されないことがあるんだが。ちなみに今のは俺の中では許されない側にはいるな。
色々ぐだぐだ考えている間にも結構な距離を歩いたようだ。あの、俺が目覚めた学校のようなところは、住宅が並ぶどこにでもありそうな町並みが延々と広がっていた。しかし、今、俺の目に映るのは、古い木造住宅、それも人の住む気配などが一切しない、廃墟が並んだ風景だった。
「なんだよ、ここは。嫌な空気がするんだが。」
「そうよねえ、お化け屋敷にしては出来そこないのような感じはするわね。」
ダメだこいつ、人の話を聞くことを知らないらしい。
それから10分ぐらい歩いたところで前方に白い大きな廃墟のようなものが見えてきた。一見、学校にも見える建物だが。
「着いたわよ。ここは旧病院ね。」
で、なんでこんな処に俺を連れてきたんだ?こいつは・・・
「何で、って顔してるわね。そんな事も分からないの?」
残念ながら、ちっとも分からない・・・。
「それは、そのあれよ!!」
だから、あれじゃ分からないって。残念ながら俺にテレパシー能力はない。本当に残念だ。
「日向の為じゃないの!!記憶、取り戻したくないの?もう、分かりなさいよね、このぐらい」
心なしか、頬が赤らんでくる気がする。そう、だったのか…俺の為…。
記憶はもちろん取り戻したい。しかし、もう一人の俺が警告してくる。
記憶なんて本当に取り戻したいのか?
思い出したくない忘れたい記憶だから、お前が勝手に忘れてるだけじゃないか?と。
そうかもしれないと、少し思う。思い出す恐怖と自分のことを知りたい欲求が、俺の心には確かに雑居していた。
俺の無言をどうとらえたかは分からないが、椎名はまるで俺の無言をあいつなりに理解したかのようなそぶりを見せてから、再び喋りだした。
「この廃墟はね。ラインなのよ。意味、分かる?」
「どういう意味なんだ?」お願いだから、日本語でしゃべってくれ。
「つまり、私たちがここまで来るのに見てきた世界とは全く別物なの。私、ここにはきっとこの世界の奥深い部分が隠されていると思うのよ。例えば、そうね、化け物がいるとか……」
は!!??ば、、化け物?そんなものいるのか!?危ないだろ!!
「あくまで仮定の話よ。私はこの世界に来てから結構色々な場所を見てきたわ。でも、ここから先は私も行った事がない。」
その気持ちは、分かる。俺にもこの場所は明らかに異質だって事が容易に想像できた。
「だけど、日向の記憶はここから先に、というか化け物を見てたら思い出すんじゃないかと思って。」
いや、、、そんなにシリアスに言われても・・・。というか、椎名さん。あなたの中ではここに化け物が要ることは大前提の事なのでしょうか。
「ここにくるなんて、異例なのよ。絶対に来たくないとまで思ってた。でも、人に会うことはほとんどないの。だから、せっかく出会えたあなたの記憶を取り戻してあげたいの」
椎名のその言葉に、不覚にも俺はジーンと来てしまった。そうか、椎名。お前、まだあって間もない俺の事を、そんなに大切に思ってくれている……
「だから、日向は私とこのライン、つまりは過去と未来の境界線を超えるべきなのよ!!!」
いや、もしかして、椎名。お前・・・行きたいだけなのか?
ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
突然、地面を切り裂くような悲鳴があたりに響いた。そんな中、椎名はものすごいスピードで俺の方を見た。いやいや、俺じゃないから。何回も叫んでるからって、聞こえた瞬間俺のほうを見るなんて失敬な。椎名は、悲鳴の主が俺じゃないことを察してからすぐに「ライン」を踏み越えた。
悲鳴はどうやら、「ライン」よりも奥から発せられているようだ。
意気揚々とそこに入っていく椎名に続いて俺も「ライン」を踏み越えた。そして、急いで椎名を追いかける。しばらく走って、廃病院の3階まで来たところで、椎名が足をとめた。追いついた俺の目に飛び込んできたのは。
悲鳴の主は、化け物だった。とても巨大な、まるで地面をはいつくばるかのような格好をして、うめき声をあげている、化け物。目はいくつもあり、数は分からない。全体がツにのようなもので覆われていた。
悲鳴を上げさせているのは、俺より少し年上に見える青年だった。彼は、身長は175cmは余裕であるだろう、その背丈をさらにはるかに超した大剣を軽々と振り回していた。
悲鳴を上げているモノを化け物と云ったが、今では青年の方が化けもののように感じる。彼は笑いながら、その化け物をなぶっていた。化け物は反撃することもなく、その土でできたかのような巨体をどんどんと崩されていった。
そして、廃病院に静寂が訪れた。そこには、俺と、椎名と、あの化け物のような青年しかいなかった。
しばらく、俺も、先に走って行った椎名も、その場に立ちすくみ、声を上げることが出来なかった。そんな硬直状態の俺たちのもとに、青年はじりじりと歩み寄ってきた。
あの、大剣を、振りかざして。
「うわあああ!」
なんなんだ、この青年は。なぜ剣を振りかざしてくるんだ。に、逃げなければ。殺される。殺される!椎名は茫然とその場に立ちすくんでいた。
そして、振り下ろされる。まっすぐに、振り下ろされていく、剣筋が、俺の目に映った。