第21章 逃亡準備と最後の暴走
警察から解放された夜、私は眠れなかった。
ベッドに横になっても、目を閉じると、
防犯カメラの静止画と、刑事の目が浮かんでくる。
――DNA。
あの言葉が、頭の中で反響していた。
「……終わるんだ、これ」
そう呟いても、実感がない。
私は、キッチンでウイスキーをグラスに注ぎ、一気に飲み干した。
喉が焼けるように熱い。
手が、微かに震えている。
これまで、どんな修羅場でも、私は冷静でいられた。
親を殺したときも、議員を殺したときも。
なのに、今だけは違う。
「……捕まるのは、嫌」
そう思った瞬間、胸の奥に、別の感情が湧き上がる。
――でも、終わるなら、もっと壊してから。
私は、笑っていた。
スマホを開き、ニュースアプリを見る。
「連続殺人事件、DNA鑑定の結果待ち」
「容疑者の特定、近いか」
――やっぱり、来る。
時間は、もう残っていない。
私は、クローゼットを開け、パスポートを探した。
昔、女優だった頃、海外ロケ用に作ったものだ。
有効期限は、まだ切れていない。
「……香港か、タイか」
そんな現実的な逃亡先を考えながら、
同時に、七人目の標的の顔が浮かぶ。
与党の中堅議員。
テレビで「治安対策」を語っていた男。
あの顔が、無性に腹立たしかった。
――あんたらが、私を壊したんだろ。
私は、バッグに現金と刃物を入れた。
逃亡用の準備と、殺害用の準備。
どちらも、同時進行だった。
その夜、私は、その議員の自宅近くまで行った。
雨が降っていた。
コートの中に忍ばせた刃物が、太ももに冷たく当たる。
マンションの前で、私は立ち止まった。
警備員が、入り口に立っている。
――無理か。
そう思ったが、同時に、どうしてもやりたくなった。
私は、裏手の非常階段に回った。
施錠は、されていなかった。
「……相変わらず、甘い」
階段を上りながら、心臓がうるさく鳴る。
五階。
議員の部屋の前。
私は、インターホンを押した。
「……はい?」
男の声。
「宅配です」
ドアが、少しだけ開く。
その瞬間、私は、刃物を突き出した。
だが、男は素早く後ずさった。
「誰だ、お前!」
大声。
――しまった。
私は、無理やりドアを押し開けようとしたが、
内側から、必死に押し返される。
「警察呼ぶぞ!」
その言葉に、頭が真っ白になる。
私は、諦めて、その場から逃げた。
階段を駆け下りる。
背後で、ドアが開く音と、怒鳴り声。
私は、雨の中を必死に走った。
――もう、無理だ。
失敗。
完全な失敗。
路地裏で立ち止まり、私は、壁に手をついた。
息が、荒い。
「……何やってんの、私」
笑いが、込み上げる。
「……ほんと、バカ」
翌朝、ニュースは、その未遂事件を報じていた。
「与党議員宅に侵入未遂。連続殺人犯との関連も視野」
私は、テレビを消した。
もう、完全に詰んでいる。
そのとき、スマホが鳴った。
知らない番号。
私は、出なかった。
すぐに、留守電が入る。
再生すると、刑事の声。
「加藤さん、DNA鑑定の結果が出ました。至急、来てください」
――来た。
私は、ソファに崩れ落ちた。
「……終わりだ」
なのに、不思議と、涙は出ない。
私は、バッグを持った。
逃げるつもりだった。
でも、足が、動かなかった。
その夜、私は、別の場所に向かった。
かつて、体を売っていた頃、
私に金を貢いでいた、あのオタク男の部屋。
――最後に、あいつに会っておこう。
なぜ、そう思ったのか、自分でも分からない。
でも、私は、そこに向かっていた。




